Chapter 1 of 40

観世縒りの人馬

「飛天夜叉、飛天夜叉!」

「若い女だということだね」

「いやいや男だということだ」

「ナーニ一人の名ではなくて、団体の名だということだ」

「飛天夜叉組ってやつか」

「術を使うっていうじゃアないか」

「摩訶不思議の妖術をね」

「宮方であることには疑がいないな」

「武家方をミシミシやっつけている」

「何がいったい目的なんだろう?」

「大盗賊だということだが」

「馬鹿を云え、勤王の士だよ」

「武家方が宮方を圧迫して、公卿衆や坊様を捕縛しては、拷問をしたり殺したりする。そこで捕縛をされないように、宮方の人々を逃がしてやったり、捕えられた人を取り返したり、いろいろやるということだ」

正中年間から延元年間へかけて飛天夜叉の噂は大変であった。

昭和年間から推算すると、その時代はおよそ六百年前で、後醍醐天皇、大塔宮、竹の園生の御方々は、申すもかしこき極みであり、楠木正成、新田義貞、名和長年というような、南朝方の勤王の士や、北条高時、足利尊氏、これら逆臣の者どもが、歴史の上に華やかに、名を連ねていた時代なのである。

そういう時代のある一日――詳しくいえば正中元年八月××日の真昼時に、土岐小次郎という若い武士が、洛外嵯峨の草の上に、ボンヤリとして坐っていた。

近くの丘には櫨の叢が、のように紅葉し、その裾には野菊や竜胆の花が、秋の陽を浴びて咲いていた。

不意に横から声がかかった。

「小次郎様愉快ですか?」

小次郎は吃驚してそっちを見た。

二十三四の美しい女が、いつの間にどこから来たものか、彼の横に坐っていた。

「愉快でないです」

と小次郎は云った。

「それほどの美貌を持ちながら、愉快でないとは変ですね」

「何を厭なことをおっしゃるんです」

「年はたしか二十歳でしたね」

「どうしてそんなことをご存知なので?」

「妾は何んでも知っているのです」

その女は微妙に笑った。

顔の筋肉は笑っているが、眼だけは決して笑っていないと、そう云ったような笑い方なのである。

「美濃の名族土岐蔵人頼春、このお方の一族で、学問も武芸もお出来になるが、美貌が祟って身がもてない、それに気が弱くて感情ばかり劇しい、その上に徹底した放浪性の持ち主、そこで何をしても満足しない。することもなくボンヤリしておられる。――というのがあなたのお身の上でしょうね」

「どうしてそんなことまでご存知なのです?」

「わたしは何んでも知っているのです」

またその女は例の笑いを笑った。

「その美貌をわたしに売ってください」

「何んですって! 何をおっしゃるんです」

「それをわたしに使わせてください」

「…………」

「あなたを仕込んであげましょう」

「あなたはいったい誰なんです」

「一芸のある人間や、特色のある人間を集め、仕込んでやるという道楽を持った、そういう女なのでございますの」

「でもどういうお方なのです?」

「こんなことの出来る人間なのですよ」

云い云いその女は懐中へ手を入れた。

小次郎は思わず首をちぢめた。

何か飛んでもない恐ろしいものでも引っぱり出されはしないだろうかと、そう思ったからである。

女の取り出したのは一枚の紙で、引き裂くと観世縒りを縒りだした。

縒りが出来ると器用な手つきで、馬の形をつくり出した。

出来あがったところで草の上へ投げた。

と、どうだろう観世縒りの馬が、四足を動かして駈け出したではないか。

「あれあれ」

と小次郎は頓狂に叫んだ。

「観世縒りの馬が走り出した。これは不思議だ、生きて動き廻る!」

女は今度は観世縒りで、人間の形をこしらえた。

そうしてそれを抛りだした。

観世縒りの人間は走る馬を追って、自分も一散に走って行き、追いつくとその背へ飛び乗った。

「あれあれ」

と小次郎はまた叫んだ。

「観世縒りの人間が動き出した。これは凄い! 魔法だ! 幻術だ!」

女は次々に馬と人間とを、無数に観世縒りでこしらえた。

みんな生きて動き出した。

丈のびた雑草の緑にまじって、萩だの女郎花だの桔梗だのの、秋草の花が咲いている、飛蝗や螽や馬追などが、花や葉を分けて飛び刎ねている。

そういう地面を戦場にして、その観世縒りの人馬の群れは、やがて合戦をはじめだした。

「こっちが宮方京師方で、こっちが武家方鎌倉方ですの。――さあどっちが勝つことやら」

女はそう云って指さした。

観世縒りの人馬は討ちつ討たれつ、斬りつ斬られつ戦いつづけた。

一間四方ほどの戦場で、小人国の武士たちが、音のない戦いをしているのである。

と、女は手を延ばし、無造作に戦場を一撫でした。

すると人馬は仆れてしまった。

その人馬を女は片手で集め掌の中で一握りし、また無造作に地上へ投げた。

一握りほどの紙の束が、草の上にころがっているばかりであった。

「一切空ね」

と女は云って、小次郎の顔を覗くように見たが、

「こういうことの出来る女なのですよ」

「ド、どなた様でござりまするかな?」

小次郎はしたたか怯やかされたので、いくらか顫えを持った声で、そう慇懃に問いを発した。

「飛天夜叉なのよ。飛天夜叉の中の一人! ……さあ名は桂子とでも云って置きましょう」

「…………」

小次郎は刺されたように飛び上がった。

がすぐに膝を揃えて坐り、まぶしそうに桂子の顔を見た。

素晴らしい奇蹟的の飛天夜叉の噂を、以前から彼も聞いていたからであった。

京都二条の外れにあたって、宏大な古館が立っていた。

その周囲をかこんでいるのは、榎や槻や朴の巨木で、数百年を閲しているらしかった。

門はあったが崩れていた。

築地も荒れて崩れていた。

それは桂子の館であった。

すっかり桂子の家来のようになって、――むしろ寵愛のお小姓のようになって、桂子のお供をして小次郎が、その館へ行った時には、日が暮れて夜になっていた。

二人が玄関へかかった時、可愛らしい美しい十六ばかりの娘が、屋内から出て来て二人を迎えた。

と、その娘は小次郎を見たが、やにわに桂子へ縋りつき、声を上げて泣き出した。

「浮藻や、どうしたの、え、浮藻や?」

桂子は驚いてその娘へ云った。

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