Chapter 1 of 10

片貝谷まで

大正四年七月二十四日午後七時三十分、汽車にて上野発。翌朝九時二十分、魚津着。少許の準備と昼食の後十一時三十分、出立。暑さ甚し。途中屡々休憩して、午後二時三十分、前平沢。此処にて人夫一人を雇い且つ米を購わんとして空しく二時間半を費やし、五時、漸く出発。奥平沢を過ぎて、六時片貝川の沿岸砂地に野営。

日本晴れのした朝の日本海は、山へ急ぐ私達の身にも快よかった。

昨夜は汽車の中で、同行の南日君と赤羽から一緒に乗り込んだ越後女の一隊が、終夜声自慢の謡を歌うやら笑うやら巫山戯るやら、一方ならぬ騒々しさで、夜風の涼しいにも拘らず、少しも眠ることが出来なかった。

宵に上野を立った時は、十三夜の月が薄靄の罩めた野面を隈なく照らして、様ざまの声をした虫の音が、明け放した窓からはやてのように耳を掠めて過ぎ去るのを現ともなく聞きながら、ゆったりした気持ちで窓に倚り掛っていたのであるが、高崎あたりまで来ると、いつの間にかすっかり曇って、見覚えのある丘の頂さえ何処と指せぬ程に、低い雲が立ち迷うている。明日の天気がすぐ気に懸るという程でもないが、多少の不安が無いでもない。軽井沢では、冷たい霧が幽霊の如くすうと窓から這入り込んで、ひやりと顔を撫でた。しかし雨は降らなかったらしい。牟礼柏原の間で夜が明け初める。上州方面の山々は、淡い樺色に染まった高い巻雲層の下に、動くともなく屯している幾重の乱雲に包まれて、唯だ四阿山であったろう、長い頂上を顛覆した大船のように雲の波の上にちらと見せたが、すぐ復た沈んでしまった。左手は間近い飯縄の原の瑞々しい緑が、引汐時の干潟のように刻々に展開して、花野の露にあこがれる大きな蝶のような白い雲の塊が、軽い南東の風に吹かれて、草の葉末とすれすれにふわりと原の上を飛んで行く。この白い雲の塊は飯縄山から戸隠山の方面へかけて、押し重なってぴったりと山の膚へ吸い付いたまま少しも先へ動かない。まるで何か知らん目には見えないが、其処に恐ろしい或者が立ちはだかっていて、雲は其前に懾伏して、進むことも退くことも出来ないもののようである。飯縄山のすぐ北に駢んでいる黒姫山の蒼翠は、この畏れ入った雲の群集を他所にして、空の色と共に目もさむるばかり鮮かであった。

表日本の空を支配する太平洋の勢力は、此処らあたりを境として、最早日本海の勢力範囲に侵入することは、絶対に不可能なのであろう。少なくとも今日はそうでなければならない。斯うして関東平原から私達を追跡して来た雲の脚は、此処で挫けた。私は例えば引かれぬ意地で人を斬って家中を立ち退いた士が、危く他領へ逃げ込んでホット一息しつつ、恐ろしい追手の姿を見送るにも似た心もちで、東の空を眺めていた目を晴れた北の空に向けた。

冬の間日本海は、殊に多量の雪を日本北アルプスに与えて、自ら象嵌し、蝕鏤し、彫刻する材料たらしめる。私達は夏が来るまで親しく其装飾された山谷の模様を睹る可き自由を欠いているが、山は其間にこの豊富な材料の幾割かを費消して、象嵌す可きは象嵌し、はたそれぞれ蝕鏤し彫刻して、期待された使命を果たすばかりに止まらないで、更にまた幽壑には飛橋を渡し、絶崖には長梯を架して、驚異し嘆美し、そして自己を満足させようとする山岳宗徒に、惜しいことではあるが日本南アルプスでは容易に見ることの出来ない雪の宝殿を公開するのである。

抵抗し難い北侵の力――私はそれを呪いながらも、一面に於てその御蔭を蒙っていることを否む訳にはいかない――から絶えず圧迫を受けながらも、猶お能う限りの保護と愛惜とを加えて居るこの雪の宝殿が、今や其夏が来て巡礼の途に上りつつある私達の目の前で、南方の侵入者に勝手に引掻き廻わされることは、よしやそれが柔かな白い雲の手であるにしろ、わが日本海の堪え能わざる所であるに相違あるまい。私は北の空を眺めて、高田平野の果てを限る松並木越しに、漂渺たる日本海が晴れた穏かな暁の色を浮べているのを見て、斯う思った。

振り反えると、妙高続き火打焼山に至る連嶺には、早や旭の光が薔薇色に燃えて、赭色の山膚に鏤められた雪に宝玉の匂が加わった。かなかな蝉の涼しい声が遠くで聞える。

「ねえ君、大分白いね。あんなに雪の残っていることはそうあるまい」

岡田式静坐法の姿勢を崩さないで、哲学者然と構え込んでいた南日君も、堪らなくなったと見えて、鹿爪らしい顔を窓の外へ出しながら、斯う言って仔細らしく首を捻った。

汽車が高田の町に近付いて、後ろに遠ざかり行く此等の山の姿が、梭の如く飛び交う端山の裾に織り込まれてしまう迄、私達は幾度か窓の外を眺めて、幾度か同じような言葉を繰り返した。

夏とはいいながら、朝凪ぎの日本海は誠に穏かである。波打際に波も立たない程であるから、白い波頭などは何処にも見られない。私達の山に囚われた心も暫く解放されて、広々した海面をあてもなく見渡しながら、黒人らしい人の指さす魚の群だという波のさざめきを眺めて、其講釈を聞きなどした。それでも好い頃合には、頭の上にのし懸っている左手の崖が、不意に鰐の口のようにカッと開いて、白い雪の山が吐き出される。何処であったか忘れたが、白馬も見えた。ずっと南の唐松五竜あたりであろう、尖った峰も二つ許り見えた。泊に来ると、左手の屏風が急に畳まれて、僧ヶ岳や駒ヶ岳の重なり合って大きく蟠まっている後ろから、劒ヶ岳の一部が大鋸の歯で空を引割っている。明日は中村君が此処から鐘釣温泉へ向う筈である。南日君は南日君で、暢気な男だから長次郎が旨く来ていて呉れればいいがと、自分の暢気は荷物と一緒に棚に上げて、頻りにそれを心配している。私達は今度の旅行の困難を慮って、なまじ案内者などは雇わず、前以て大山村の宇治長次郎に、気の合った者を一人連れて、二十五日の朝九時迄に間違なく魚津の停車場に来ていてくれと、折り返して頼んで置いた。承知したという返事も二度来て居るが、南日君の心配するのも尤もな訳がある。しかし汽車が魚津に着いて、荷物を下ろしながら外を見た時、真先に眼に入ったものは、今迄噂していた長次郎のニコニコした顔であった。同行の南日実君も既に来ていた。停車場を出ると、脊の高い男がのそりと来て挨拶する。それが長次郎の義兄だという宮本金作であった。長次郎は今度の山登りが楽しみで、二十五日の来るのを待っていたと、如何にも嬉しそうである。これで南日君の心配も尤もでなくなってしまった。

今日は片貝谷を上って、東又南又の合流点附近で野宿する予定であるから、少し早いが此処で昼食を済し、僅ばかりの買物をして町を離れた。

ごろた石の敷かれた真すぐな道が、何処までも私達を引張って行く。木蔭が少ない上に風が無いので堪らなく暑い。道坂まで行くと素的に冷い水が湧いているというので、南日君は長い脛を飛ばして、サッサと先へ行ってしまう。町を出た時は右に見えていた毛勝山が、いつか道の正面に立ち直って、Y字形をした大雪渓が、絶頂から僧ヶ岳の右に曳いた尾根の上まで続く。その左の雪渓の半頃へ直ぐ上の尾根から押し出した凄まじい赭岩の大崩落が、山の心臓から搾り出された黒血のように雪渓の中央を流れている。阿部木谷の源であろう。白い雲の塊が後ろから肩をすべって此方の谷を覗きに来るが、嘘のように何処へか吸い込まれてしまう、尾根続きの大明神だという尖った山から、なだらかな線が右の方へ長く延びて、儼しい劒岳がドッカと腰を据えている。大日岳の連嶺にはいつもながら雪が多い。劒と大日との間から別山が、不思議の世界でも覗くように脊伸びして、魚津の海を瞰下ろしている。早乙女岳から右は、午下の太陽に照された幾重の雲の峰が一様に平かな底を見せて、果てもなく続く。目立って蒼黒い鍬崎山は、雲の水平線より下に沈んで、大きな暗礁のようだ。遠い雲間に白山の雪が、江戸の将軍に献上したという百万石の殿様の豪奢を想わせた。

道坂に着くと橋の袂で実君が休んでいる。南日君はと見れば、炎天の大道端に茣蓙を敷いてすまし込んでいた。湧いている筈の清水が無いというのでガッカリしたが、仕方がないと諦めて河の水で間に合せた。下村で麦湯を馳走になりながら、後れた長次郎と金作の来るのを待って、米を買い入れる相談をすると、長次郎が「まだ先にいくらもあるっちゃ」というので、買わずに出懸る。谷が急に迫って日影が多くなった、行手からは涼しい風が時折吹いて来るので、大きに凌ぎよい。右手に水力発電所がある。奥平沢から片貝川の水を引き入れて、此処で落差百尺の水力を利用するのだそうな。前平沢の人家が朴の木や橡の木の間にまばらに見える。田なども少しはあるが、如何にも寒村である。此処で是非とも米や味噌を買わなければならぬし、人夫も一人雇わなければならないので、性の失せた木札に物品販売所の文字も怪しい路傍の家に寄り込んで相談を始めた。味噌は丁度この家にあった。人夫も折よく居合せた沢崎源次郎という若い者が行くことになった。これで味噌と源次郎は極った訳だが、一斗五升の米が無いのに閉口した。長次郎と金作が直ぐ裏の路を上って、慥に有るという家を尋ね合せたが、間もなく悄気て帰って来た。今度は仕度して来た源次郎が一緒になって、対岸の東蔵や山女まで探したが、矢張り駄目だ。南日君の渡した五円札は、手に握ったまま同じ路を幾度往ったり来たりしても、天勝の手品と違って米にならない。

私は局外者の位置に立って其処らをあるき廻っていた。この仕末がどう付くかと不安のようでもあり、多少の興味もあった。一軒の家に一斗五升なくても、三軒で五升宛買えばいいという南日君の声が聞える。遠くで一しきり鳴き渡っていた日ぐらしが近い木で鳴き初めた。後の山から引いてある筧の水が小さい瀑になって落ちている下で、素裸の子供が二人で水遊びをしている。蟹の子が石の間からちょろちょろ出て来てまた引込む。青紫蘇の繁った庭の隅に、ポンポンダリヤの赤い花が、一きわ珍らしく目に映った。日は容赦なくどんどん落ちて行く。河狩りの人達が長い柄の付いた銛や網などを担いで向うからやって来た。鱒が獲れるのだそうだ。今日汽車で渡った片貝川の本流は、白い石の河原のみで一滴の水も無かったのに、不思議なことだと聞いて見れば、五月雪しろ水の出た時に海から上り込むのだという。鋭いの鳴声が晴れた空に快く響く。

南日君まで出懸けて行って相談に加わった。長いこと橋向うで立話しをして、四人一緒に帰って来た。私達の手許には幸に実君が持って来た五升の米がある、今夜の野宿に差支はない、それで今から一斗五升の米を舂かして、明日早朝に源次郎が夫を背負って追い付く手筈に事は決ったのだ。二時間余りを費した大詰の幕としては、余り見栄えもしないが、これまでに漕ぎ付けた役者の骨折は、傍で見ている程暢気なものでは無かったに相違ない。

五、六戸の家が淋しげにかたまっている奥平沢の村を通り抜けて、十町足らず行くと、田が尽きて畑ともつかない砂地の所どころに、小豆や粟などが蒔き散してある草原に出た。元は河原であったものが、河が東に移った為に島のような形になって、島尻に十坪程細かい砂を平に敷き均した所がある、其処に天幕を張って泊ることにした。金作が河原から流れ木を集めてうんと背負って来る、火が燃え始めると、体に着いた一切の邪魔物をかなぐり捨てて、いきなり河に飛び込む、水は思ったより冷くない。首まで浸って凝としていると、体の表面からぎらぎらした油汗の固りが、蝶の鱗粉のように浮いて流れて行く。谷の日は静に暮れて、水烟の薄く罩めた河上の遠い連嶺の上に、奥大日の絶頂だけが入日に照されて、一きわ鮮やかに雪の姿を見せていた。人声がしたと思ったら、やがて夕暗の中からどやどやと五、六人の影が現れた、鱒狩りの連中で、獲物も二、三尾あったらしい。煙草の火を点けながら、飯を炊いていた長次郎と話をして別れて行った。七、八町の河上にいい小屋があると教えられたけれども、今更どうなるものでもなかった。里近いだけに蚋の多いのには困ったが、あたりの草を薙ぎ倒して風上から火を放ったので、少し落ち着いて食事が済せた。しかし俗に塩辛とかいう小さな糠蚊は、手といわず足といわず、髪の毛の中までもぐり込んで、ちくちく刺すので一晩中弱らされた。

十四日の円い月影が天幕にさす頃は、片貝谷は一面に光の薄絹に包まれて、現と夢とを維ぐ美しい世界と化してしまった。

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