Chapter 1 of 13

一家団欒

お父さんが社から帰って来て、一同晩餐の食卓を囲む時、その日起った特別の事件が話題に上る。

「今日は里の母が見えて、私、上等の浴衣地を戴きましたよ」

なぞというのはお母さんの書き入れ事件である。それに対してお父さんは、

「ふうむ、それは宜かったね。彼方でも皆丈夫だろうね?」

と応じる。続いて里の話になって、

「私、その中に一日行かせて戴きますわ」

「何処へ?」

「里へですよ」

「この間行ったばかりじゃないか?」

「いいえ、あれはお正月でございますよ」

「然うだったかね。それじゃ行くさ」

というようなことに帰着する。

自分に関係のない問題は何うでも構わないが、

「あなた、今日は源太郎が学校のお友達と活動へ行く約束をして来て、ねだって困りましたの」

などと突如に吹聴されて、僕は大に面喰うことがある。

「そうして行ったのかい?」

とお父さんは怖い顔をする。

「お友達が門のところに待っていますし、土曜日ですから、つい……」

とお母さんが言い淀む。

「もういけないよ。活動は低級でいけないって断ってあるじゃないか?」

「はい」

と私も恐れ入る。しかし直ぐその後から、

「その代り今度芝居へ連れて行ってやろう」

とは有難い。活動の分らないのは少し時勢に後れている所為だろうと遺憾に思うが、芝居に力瘤を入れるところはナカナカ話せる。僕も何方かといえば高級の方が面白いのだから、これからはお母さんに御迷惑をかけまいと決心する。お父さんのいないのを承知でお母さんにねだるのは宜しくない。

お客さまも来ず、僕達もおとなしく、地震も揺らず、病人もなく、全く平穏無事の日もある。そんな時にはお母さんは、

「今日は押売が玄関に坐り込んで困りましたわ」

ぐらいのことで間に合わせる。こんな問題でもお父さんは、

「押売撃退の妙法を伝授してやろうか?」

なぞと受けて、冗談の材料にする。

「教えて戴きますわ。毎日一人や二人は屹度来るんですよ。御免、と言うから、お客さまかと思って襷を外して出て見ますと、筆を一本買って戴きたいなぞと申します」

とお母さんは毎度暇を潰されるので、女中のお蔦を相手に、然るべき駆除法を絶えず研究している。

「ああいうものに対等で行くからいけないのさ。俺なら斯うだ」

とお父さんは舌を出して目を白くした。

「何ですの? それは」

「狂人の真似さ。この通り。ベロベロベロ」

「まあ、お父さんが!」

と子供達が笑い出す。

「何と言っても斯うやって首を振っていれば直ぐに帰って行く。そうして二度とは来ない。先方も実は忙しいんだからね」

「オホホホホ。今度試めして見ましょうか? お蔦、お前一つやって御覧よ」

とお母さんが言った。苟くも奥さんが狂人の真似は出来ない。

「あら、奥さま、私、迚も出来ませんわ、そんな器量の悪い顔は」

とお蔦は昨今は相応垢抜けたから、ナカナカもって任じている。

さて、昨日は僕が学校から帰って来ると、浩二が待ち構えていて、

「兄さん、今日はお母さんのところへ女の西洋人が来たよ」

と注進した通り、夕御飯の折、お母さんは、

「あなた、今日は私の昔の先生でスミスさんという方がお見えになりましたのよ」

と女学生時代懐かしく、いつもよりは若々しい声を出した。尤も未だ必ずしもお婆さんではない。三十八とも言うけれど、兎に角四十未満だから、子供は五人あっても決して年寄がらない。

「ふうむ、それは宜かったね」

とお父さんは箸を取りながら応じた。

「スミスさんてアメリカの方でございますよ。私十何年ぶりかで英語を話しましたの」

とお母さんはイソイソとしている。

「ふうむ、それは宜かった」

とお父さんは一日働いて来て腹がへっている。

「母校の復興資金のことで態お出になったのですから、私、今度こそは少し纒めて寄附しなければならないと思っていますの」

「ふうむ、それは宜かった」

「宜しゅうございますの! 安心致しました」

とお母さんは大に力を得て、

「けれども他の方の振り合いもございますから、今も申しました通り、私、出すなら余り吝なことはしたくありませんの。如何でしょう、五十円ばかり? ねえ、あなた、五十円丈け?」

「五十円? 五十円何うするんだい?」

とお父さんは初めてお母さんを顧みた。

「母校の復興寄附金でございますよ。その為めにスミスさんがお出になったんですわ」

「スミスさんて何者だい?」

「まあ! あなたは先刻から聴いていらっしゃらなかったのね。道理で御返事が少し頓珍漢だと存じましたわ」

「腹がへっているものだからね。衣食足って寄附金を知るさ」

「それでは後から申上げましょう」

とお母さんは話の腰を折られて、又のことにしなければならなかった。

お父さんは僕のことを横着ものだといって貶しても、自分もこの通り瓢箪鯰である。都合の悪いことは努めて聞き流そうとする。腹がへっていなくても、これが癖だ。職業が新聞記者で始終自家の説ばかり主張しているから、他の言うことが容易に耳に入らないのだろう。但しイヨイヨ逃げ切れなくなれば、

「うむ、然うか。その相談か。よし。よし。しかしお手軟かに願うぜ。お前に相談をかけられると決して徳はつかないんだから恐れ入るよ」

と覚悟をするところを見ると、初めの中は方針として空耳を使うのかも知れない。

「スミスさんて迚も太ったお婆さんね。そうして面白い方よ」

と郁子が話の切れ目へ更びスミスさんを持ち込んだ。

「郁子はお母さんの英語を聞いたのかい?」

とお父さんは早速相手になった。

「いいえ、日本語よ。時々英語をお使いになりますけれど」

「お母さんがかい?」

「何方も」

「お母さんの英語よりも西洋人の日本語の方が余っ程うまかったろう?」

「それは無論然うよ。ねえ、お母さん?」

「オホホ、私、英語なんかもう悉皆忘れてしまいましたわ。こんなに大勢子供があるんですもの」

とお母さんは妙なところへ責任を持って来た。年を取るのも物忘れをするのも皆子供の所為だと思っているらしい。

「お父さん、家はサンドウイッチですとさ。子供がサンドウイッチですって。上と下が男で、中が三人揃って女ですから」

と郁子はその席に居合せたと見えて、スミス夫人の冗談を紹介した。

「ふうむ、サンドウイッチは宜かったね。成程、アメリカ婦人の言いそうなことさ。男がパンで女が肉か。確かに彼方の婦人はそれぐらいの意気込みでいる。何といってもアメリカでは男よりも女が幅を利かすからね」

とお父さんはむずかしく解釈して、尚お女の威張る実例を二つ三つ挙げた。この通り別に損のつかない問題なら、頼まれなくてもお冗舌をする。論説にこそ豈弁を好まんやと書くけれど、決して無口の方でない。

「スミスさんは真正に笑わせるのがお上手でございますのよ。『大内さん、けれどもお宅のサンドウイッチは些っと肉が多過ぎやしませんでしたの?』なぞと仰有いましたわ」

とお母さんが話し足すと、

「同感だね。俺も少し肉が厚過ぎたと思っているのさ」

と言って、お父さんは女の子達を見渡した。

「それ丈け上等じゃありませんか?」

「私達は肉よ。兄さんと坊やはパンよ。矢っ張り女は豪いんだわ」

と長女の郁子と次女の敏子はこんな場合決して黙っていない。高女二年と、尋常六年のくせに女性の権利丈けはもう一人前に主張する。

「サンドウイッチには野菜のもあるぜ」

と僕は諢ってやった。

「野菜のもあるけれど、サンドウイッチといえば大抵肉に定っていますわ。そんなこと常識でも分っているじゃありませんか? ねえ、お父さん?」

と郁子はお父さんの加勢を求めた。近頃覚えたと見えて、能く常識という言葉を利用する。

「然うさ。サンドウイッチといえば元来肉に定ったものさ。源太郎、お前はサンドウイッチの発明者を知っているかい?」

とお父さんは何処までもサンドウイッチを問題にして、

「高等学校の入学試験に出るかも知れないから教えてやろう。郁子も敏子も聴いていなさい」

「茶羅っぽこじゃ駄目ですよ」

とお母さんはソロソロ警戒した。

「茶羅っぽこなものか。歴史上の事実だ。昔英国はジョージ三世の御代にサンドウイッチ伯爵という貴族があって、毎日博奕ばかり打っていた。三度の食事よりも賭けごとが好きという道楽もので、御飯時になっても動かばこそ、パンに肉をんだのを取り寄せて、これを喰べながら勝負を続けていた。間もなく仲間のものも真似をし始めて、サンドウイッチ式は簡便で宜いと言っている中に、肉をんだパンをサンドウイッチと呼ぶようになってしまった。妙な因縁だろう? 今日我々がハムや野菜のサンドウイッチを喰べるのも皆この伯爵が賭博に耽ったお蔭だ。しかしサンドウイッチ伯爵独創の発明とは首肯し難い節がある。何となれば、もっと昔のローマ人もオッフラという料理を愛好したそうだからね。これもパンに肉をんだもので、伯爵の発明品と毫も異るところがないらしい。偶然の一致か、それとも伯爵が古代ローマのオツフラを模倣したのか、そこまでは未だ研究していないから、ここに断言し兼ねる」

「大変むずかしいんですね」

と僕は感心してしまった。何でもないことにこれぐらい勿体をつけ得なければ、新聞記者にはなれないと見える。僕もお父さんの後を継ぐ積りだけれど、未だ未だナカナカ修行を要する。

「兎に角安心したわ、野菜でなくて」

と郁子は大袈裟に胸を撫で下した。無論僕に当てつけたのである。

「私達は矢っ張り肉よ。兄さんと坊やはパンよ。唯の食パンよ」

と敏子も得意になって反り返った。何もしないものに食ってかかって来るところは成人した新女性によく似ている。

「何だい。女、女、女!」

とこの時浩二は男性に対する挑戦に応じて、中姉さんの方へ頤を二三度突き出した。これは末っ子で尋常一年だ。将来結婚して女のお世話になることには未だ思い到らないから、女といえば男の敵ぐらいに心得ている。

「女が何うしたの?」

と敏子は聞き捨てにしない。

「女!」

「女が何うしたんですよ。真正に厭やな子ね。お祖父さんが、この子は男だから豪いなんて仰有るものだから、好い気になっているんだわ」

「女、女!」

と浩二は女という言葉が有らゆる種類の軽侮を尽している積りだ。

「やあい! 何も言うことがないもんだから。やあい!」

「敏子、いけませんよ、大きな体をして相手になって。浩二もお黙りなさい。千代子を御覧。おとなしいこと」

とお母さんもナカナカお骨折りである。お給仕の手伝い丈けでも好い加減忙しい上に、姉弟喧嘩の取支えをしなければならない。褒められた千代子は益澄まし返った。尋常四年なら先ずこれぐらいの程度だろう。浩二は千代子に学んで静まった。

間もなくお父さんは、

「これでもこの頃は皆大きくなったから、御飯もゆっくり喰べられるのさ」

と言って一同に花を持たせたのは宜かったが、

「浩二が捉まり歩きをする時分には困ったよ。飯台へかかったと思うと、いきなり斯う両手で泳ぐようにして、お茶碗でも何でも皆ひっくりかえしてしまうんだもの」

と思い出すままを口にした。それを好いことにして、敏子は浩二に目でちょっかいをかけた。浩二は無論睨み返した。

「浩二ばかりじゃありませんよ。千代子だって敏子だって随分困りものでしたからね」

と僕は単に長兄として公平を期した積りだったが、忽ち敏子と千代子の睨むところとなった。

「余計なことを言わないで下さいよ。彼方此方に蟹の目が流行って困りますからね」

とお母さんが注意した。

「はいはい」

と僕が一番おとなしい。大に褒めてくれても宜いのに、お父さんは、

「源太郎こそ手に余したぜ」

と僕を槍玉に揚げて、

「お前のは何でも掴み次第後ろへ投るんだから危くて仕方がなかったよ。困ったねえ、お鶴。一人押えていて代り代り御飯を喰べるという騒ぎだったじゃないか?」

「あの時分はお祖父さんお祖母さんも御一緒でなく、女中も居ませんし、何しろ初めてで子供をよく理解しなかったんですね。何処の家でも長男が一番骨の折れるのは親が不慣れだからですわ」

とお母さんは僕の為めに弁じてくれた。

「それも確かにあったろうね。兎に角奇抜だったよ。茶碗の向う側から飲まなけりゃ承知しないという無法ものだったからね」

「お茶碗の向う側って、そんな飲み方がありますの?」

と郁子は直ぐに疑問を発した。これはお父さんが以前一度話したから知っている筈だのに、僕を困らせようと思って、態と訊いたのだ。

「茶の湯にもあるまいね。斯うやるのさ。茶碗を両手でこんな具合に鷲掴みにして、おい、浩二も御覧、兄さんのお茶の飲み方だよ、坊やよりも小さい時の……」

とお父さんは持っていたお茶碗を不器用に掴み直して、

「……当りまえに此方側から飲まずに、斯う口を開いて向う側へ喰いつこうとするから、お茶は皆胸へこぼれて……あつつ! これはしまった。お鶴や、雑巾、じゃない、布巾だ布巾だ」

「お蔦や、早くその手拭を取っておくれ。まあまあ、あなたも未だエプロンが要りますのね」

とお母さんが驚く。

「やあ、お父さんがこぼした!」

と浩二は伸び上り、兎角他の失策を喜ぶ郁子と敏子は無論クスクス笑い出した。

「一寸真似をしたばかりにひどい目に遭った」

とお父さんは胸から膝を拭いている。

「罰が当ったんですよ」

と僕は聊か溜飲を下げたが、

「奇抜だったのね、兄さんは。矢っ張り逆立ち歩きがお上手な筈だわ」

と郁子に冷かされた。

「お母さん、大人は徳ね」

と今まで黙っていた千代子がこの時初めて感想を洩らした。

「何故?」

「だってお父さんなんかあんなにお行儀が悪くても些っとも叱られないんですもの」

「お父さん、少しお気をつけ下さいよ。千代子が苦情を言っていますよ」

とお母さんは笑いながら窘めなければならなかった。

「はいはい。恐れ入りました」

とお父さんがお辞儀をしたので、浩二は、

「やあいやあい!」

と囃し立て、姉さん達もそれに和して快活な笑い声を揚げた。斯うなると最早敵も味方もない。

僕の家はいつもこの通り賑かだ。夕御飯が済んでも、お父さんは葉巻を一本薫し尽すまで、何彼と子供の相手になって他愛がない。子供を煩さがりながらも、斯うやっている間に頭が休まるという。それへ縁側続きの隠居から年寄が来て加わるのが例になっている。昨夜もお祖父さんは刻限を違えず、

「賑かだね。何か面白いことがあるかな?」

と言って顔を出した。すると浩二は、

「お祖父さん、今お父さんがお母さんに叱られたの」

とばかり、直ぐに立って行って一部始終を囁き囁き披露に及んだ。

「ははあ、成程、然うかい? ふうん。浩二は真正に話が上手だな。よく分る。豪い」

と相好を崩して、お祖父さんは浩二となると全く目も鼻もない。

「八つにもなって話のよく分らない子があったら大変だわね」

「直ぐに豪いと仰有るから増長するんだわ」

と郁子と敏子は兎角歯痒がる。自分達も一番年下で思い切り可愛がられた時代があるのに、それはもう忘れている。

「お祖父さん、僕、今日も皆三重丸でしたよ」

と浩二は姉さん達に頓着なく、お祖父さんの膝に凭れて甘えている。

「豪い豪い。浩二や、お祖父さんが学校へ行っても宜いかい? 浩二が先生に三重丸を貰うところを見たいんだから」

とお祖父さんは家で褒めて足らず、学校まで褒めに行きたいのである。

「いけないよ」

「何故? この間は宜いって言ったじゃないか?」

「でも今日からいけないことが出来たんですよ」

「何うして?」

「今日渡辺章三という子のお父さんが来たものだから、皆笑っちゃったの。お祖父さんならもっと笑われますよ」

「何故?」

「渡辺章三のお父さんは頭が禿げているの。あれぐらいでもあんなに笑うんだから、お祖父さんなら迚も笑われますよ」

と浩二は真面目になって主張したので、皆クスクス笑い出した。

「おやおや、それがいけないのかい?」

とお祖父さんは頭を掻いて、

「禿げてはいるが、未だ極く世間並みの積りだがなあ」

「それ以上はありませんでしょうよ」

とお父さんも一寸敬意を表した。

「あら、その人なら私の方へも来ましたわ。私の方の渡辺さんは浩ちゃんの方の子の姉さんですからね」

と千代子が言った。

「矢っ張り笑ったのかい?」

「ええ。少し。そうして後から先生に叱られたわ。でも禿げているんですもの。お祖父さんよりは余っ程ひどいのよ」

「僕はお祖父さんの方がひどいと思う」

「だって私、お祖父さんのは笑わないことよ」

「それは慣れているからさ」

と浩二と千代子はお祖父さんの頭で議論を始めた。

「それでは参観は思い止まるかな。後から子供達が叱られたりしちゃ飛んだ罪作りだ」

とお祖父さんも笑って諦めた。

「子供は天真爛漫ね」

と郁子が大人ぶった。

「時に源太郎や、もうソロソロラジオが来るだろう。今夜は何だい?」

とお父さんが訊いた。

「落語と義太夫です」

「これは有難いぞ。浩二や、お祖母さんに落語があると言って来ておくれ」

とお祖父さんは喜んだ。

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