Chapter 1 of 2

現代と宗教

現代は科学の時代であるという。それは已にその通りである。だから宗教などは不必要であるかの如く説く者があったら、大間違いであろう。科学には科学の領域があって、宗教は科学の支配する世界ではないからである。科学が兜を脱いだところから宗教がはじまるからである。科学は人間の生理と病理とを支配してはいるが霊魂は支配していないからである。心臓や神経の作用についてはよく説明する科学も霊魂というものの存在は全く知らない。そうしてそれ故に科学は霊魂を無しと断定する。何でも知らないものは無いとうぬぼれている人間が、自分の知らないものを無いときめてかかってしまうたぐいである。この種の心驕りの極みに達した者に対しては宗教は全く縁なき衆生として度し難きを歎ずるのみである。全く「おろかなる者は世に神なしと言へり」とバイブルにあるのも、この同じ意味であろう。宗教は人間の理智の無力で頼むに足らぬことを知るところから発足するのである。この困惑を経験しない人間は大馬鹿である。そうして大馬鹿の欲しがるものは金や名誉や世俗の幸福だけである。それで気のすむ人にはなるほど宗教の必要はあるまい。世は科学の時代ではあろう。しかし科学の時代だということが、大馬鹿の時代という事と同じ意味であろうと自分は思わない。否、科学の時代とは人間が智慧を尊重する時代という意味であろう。そうでなければならないと自分は思う。智慧は成長する。成長した智慧は自然界の大法則を学びこれを尊重するであろう。科学は目に見える自然界の法則を学びこれを尊重する精神が我々の所謂宗教である。我々の宗教と科学との相違は目に見える自然界のみを世界とするか、目に見えぬところにも世界があると感じるかだけの相違である。科学者が肉眼で見えない世界を科学的な器械の目で見て別世界を持つが如く、すぐれた信仰の士は俗眼でも器械の眼でも見ることの出来ない精確な心の眼を以て心の世界を見てその大法則に驚き畏敬を感ずるであろう。これが我々のいう宗教なのである。

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