第1版への前書き
この本を書き始めたときに疑問が私を襲った。私は偉大な医師たちの生涯と仕事を書くことにしていた。しかし多くの医師たちは神聖な使命の火に鼓舞され毎日の業務に献身したので偉大であり援助を本当に必要とする無数の苦しむ同胞を助けてきた。病気の鎖を切ることによって多く人たちの涙を乾かし幸福を運び入れ多くのことを成し遂げていた。
過去を振り返ってみると医師たちの行列は終わり無く続いているのを見る。衣服も言葉も社会における地位もそれぞれ異なり外見や方法は時代によって違う。ある者は尿瓶を手にしある者は聴診器を持っている。しかしすべての人は原始時代のシャーマンから現代の科学的な医師に至るまで同じ意志によって鼓舞されている。同じ目的を求め同じ理想によって導かれている。本当に偉大な多くの人たちであった。
しかし歴史は彼らを忘れてしまった。彼らは寿命が尽きて死んだ。彼らが助け治した人々にしばらくは記憶が残った。しかしこのような人々も死んで世代は新しくなった。しばらくは大学や学会の記録に名前が残るだろうが今日では何が残っているだろうか? 長期間にわたり夕方に聴衆を楽しませ苦しみを忘れさせた俳優や音楽家と同じ運命を彼らはたどった。すなわち忘却の水の底に沈んで行った。
後の世は創造的な人たちだけに栄冠を捧げる。病気と戦う新しい武器を作って新しい見通しで医術を豊かにした特別な医師以外は記憶に残らない。神のはっきりとしない考えに気付き激しい努力によってそれらを一般に知らしめ実用化することができた選ばれた魂のみが記憶されている。私はこの本にそのような偉大な医師たちのことを書いた。このような医師も少数ではない。医学の殿堂は多くの協力者によって創られた。医学の重要な原理が一般に使われるようになるには種々の形のエネルギーを必要とした。従って限定しなければならなかった。それぞれの時代について少数の医師たちに限って注目せざるを得なかった。すなわち医学の発展に必要な役割を果たした人たちや方向性を与え学派を形成し時代を代表した人たちに限った。名前をあげることを期待する医師たちの多くの名前が入っていないことによって読者たちは残念に思うかも知れない。私は現存している人たちの名前をあげない方針をとったので最近におけるきわめて重大な発見や重要な動きは省略せざるを得なかった。たとえば心理医学の近年の発展である。その他に私は百科全書的に完璧な記載は目指さなかった。医学および医術における基本的な発展の傾向に脚光を当てることだけで満足した。
最高の業績をあげた人以外を言及しない記録は不適当だろうか? 医学の開拓者と我々のあいだに深い溝があると考えるべきだろうか? 否、我々と彼らは何世紀ものあいだ共通な「医師であること」によって結びつけられている。ベッドサイド、実験室、書斎の書き物机と場所は違っても彼らはすべて同じであり医師であった。彼らは我々と同じ目的に向かい今日我々が進んでいる路の開拓者であった。彼ら各人の生涯を頂点と谷間を含めて研究することにしよう。彼らは我々と同じように戦い苦しみ誤ることを学んだ。我々と同じように楽しみ悲しむ。大ざっぱに言うと我々そっくりの姿を彼らに見るだろう。彼らが最高の栄誉を得ているという事実は彼らを我々の教師および手本にし我々の天職の素晴らしさへの信念が日常の診療のつまらないことによって曇らせられたときに彼らについて考えることは我々を勇気づけ元気を出させる。
生きている音楽家たちが絶えずバッハやモーツァルトのメロディーを演奏しないとしたらバッハやモーツァルトは永久に死んでしまっているだろう。臨床家たちが毎日パストゥールやコッホの教えを利用していなかったらパストゥールやコッホは無駄に生きていたことになる。社会の健康は偉大な理論家よりむしろ時々刻々と病人を救ってくれている多くの家庭医たちによって保たれている。
これこそ創造的な医術を作り上げた学者を記載するこの本の始めに医療を実践する医師と彼らの努力を強調した理由である。この本は主として実践医師のために書かれている。本書「偉大な医師たち」を「無名の医師たち」に献呈する。
ヘンリー・E・シゲリスト
ライプツィッヒ
1931年9月