1
その鸚鵡――百済わたりのその白鸚鵡を、大海人ノ皇子へ自身でとどけたものだらうか、それとも何か添へぶみでもして、使ひに持たせてやつたものかしら……などと、陽春三月のただでさへ永い日を、ふた昼ほど思ひあぐねた鏡ノ夫人は、あとになつて考へれば余計な取越し苦労をしたといふものだつた。よく妹の額田ノ姫王から、姉さんは冷めたい、水江の真玉みたいに冷めたい――と、からかはれる夫人であつた。それほど、冷やかなくらゐに聡明な鏡ノ夫人ではあつたが、大海人と妹の関係だけは見そこねた。いや、見そこねたどころではない。第一そんな中年の男女のあひだの愛の性質や、そんな愛のありやうが、夢にさへ想像できない夫人だつたのだ。鏡と額田とは、たうてい一つ腹ひとつ胤の姉妹とは思へないほどに、別々の世界の住み手だつたわけである。数年ののち、夫人はこの見そこなひにハッと思ひあたつて、その美しい唇を噛みしめる機会があつた。
もつともその頃は、時勢も今とはずつと違つてゐて、夫人は世の中の姿そのものからして、いやでも二人の恋の実相をさとらされただけのはなしに過ぎない。いはばこれは、間接的なさとりである。中ノ大兄に娘時代の清らかな愛をささげつくし、人の母になつてからは律気な鎌足の内室として、べつに満足なのでも不満なのでもない、そんな分別すら心にうかばぬほどに自足した明け暮れを、これで十五年ちかくも送り迎へてゐる夫人としては、ひよつとするとこれは無理からぬことだつたかも知れないのだ。だが、それはずつと後の話である。……
*
鸚鵡は無事に、大海人の手もとへとどけられた。しかもそれが、思ひのほかすらりと運んだのだつた。
まるいちにち鸚鵡を相手に、いはば心理的おにごつこをしたあげく、へとへとになつてその晩はてきめん、大海人の登場する何やら気味のわるい夢にうなされまでした鏡ノ夫人は、あくる日は朱塗りの鳥籠をさつさと居間から遠ざけて、今ではがらんとして誰にも用のない客殿の軒へつるさせたのだつたが、七つになる次女の五百里ノ娘が結句それをいいことにして、乳母の今刀自と一緒になつて、次から次へ色んな口真似をさせて笑ひころげるのだつた。その甲高い鸚鵡のこゑが、庭をわたつて、時には却つて幅をましさへしながら、一々手にとるやうに居間まで伝はつてくる。結局その日も朝から夕方まで、鏡ノ夫人は眉をくもらせながら、居ても落ちつかず立つても落ちつかぬ妙な気分で、すごすことになつてしまつた。
これぢやたまらない――と夫人は思つた。かりにも大藤原氏の夫人ともあらうものが、まさか幼い娘を一喝したり、乳母に八ツ当りしたりして、そのもやもやした気分の解決をはかるわけには行かなかつたし、第一その鸚鵡なるものが、そんなことで中々だまる相手ではないことも、夫人は重々承知だつたのだ。では、いつそ絞め殺させてしまふか、それとも籠をひらいて、うらうらと霞む春ぞらへ放してやつてしまふか。……そんな気まぐれな思ひつきも、時たま脳裏にふつと影りはするが、もちろんそれは微笑はおろか苦笑さへも誘はぬ、そらぞらしい、まるで他人ごとのやうな遠い想念にすぎなかつた。よしんばそれを実行するにしても、それはさしづめ妹の額田の役割でこそあれ、あくまで自分のものではなかつた。第一てんで似つかないのである。……
そんな気まぐれな想念が、ふつと影つて消えてゆくすぐその跡へ、妹のくりくりとよく動く、表情のゆたかな大きな眼が、浮びあがつて、これは暫く消えずにゐるのだつた。いかにもあれは、絞め殺される鸚鵡のもがきを、じつと見まもつてゐられる眼だ――と、鏡ノ夫人は心にうなづき、烈しい、といつてもどこかよそよそしい冷やかな羨望を、おぼえるのである。かと思ふとまた、かるく二重にくびれながら心もち突き出てゐる妹のおとがひ、――あの全体としていささか賑かすぎる妹の円顔に、幼ないころから一脈のきりりとした緊めくくりを与へ、時としては変に小ましやくれた、人を小馬鹿にしたやうな表情の基となると同時に、ときによるとその才気が理知に、その嘲笑が無言の冷笑に、それぞれ束のま席をゆづつて、瞬間いもうとの顔を妙につめたい、一種かう冥想的なものに仕立てあげもする、あのおとがひがありありと浮んで、やるせない妬ましさを夫人の胸にかき立てながら、しばらく中有に消えのこるのだつた。そんな羨望や妬ましさの方が、鸚鵡の処分についての愚にもつかない妄想よりも、はるかに直接的な実感として来た。
いたづら好きなそのおとがひが因で、鏡ノ王女はよく口惜しい思ひをさせられたものである。殊に子供のころの、これといつて理由のないきやうだい喧嘩の大半は、まづその妹の小ましやくれたおとがひが、原因を――いや少なくも遠因をなしてゐたにちがひなかつた。とりわけ物ごころがついてからといふものは、今あげた最後の場あひ――つまり、そのおとがひの悪戯によつて、妹の顔がふと心もち蒼ざめて、つかのま彫刻的な影をおびるときが、一ばんいけなかつた。王女はそこに、何ものかの悪意によつてひどく誇張された、いや応ない自分の顔の戯画を見いだしたのである。それはほとんど、生理的な反感といつてよかつた。水江の真玉などといつて妹にあざけられるほど冷静な王女ではあつても、この反感だけはどうにもならなかつたのである。
だが三十をたしかもう四つほど越して、殊にこの二年ほどの間に、じぶんでも苦にするほどめつきり肉づきをました額田ノ姫王であつてみれば、そのおとがひのはたらきにも、おのづから別の趣きが加はつてゐる。相変らずそれは微妙に敏捷にはたらくおとがひではあつたが、それなりにまた、そこに一種いひときがたい複雑な陰影がたたまれてきたことだけは、なんとしても否定できなかつた。鏡ノ夫人は藤原の鎌足宅にゐて、あまり交際ずきな方でもないし、いつぱう妹は、飛鳥も東の山辺を奥へはいつた八釣ノ里のほとりに宅地を賜はつて、はた目には至極のんきさうな一人ぐらしをしてゐる。さうしたわけで、最近は疎遠といふほどではないにしても、時によると二タ月ぐらゐ顔を合はせずにゐることも珍らしくない。そんなあとで、ふと宮中の宴席などで妹の顔を見るごとに、鏡ノ夫人は内心におもはずアッと声を立てたくなるやうな驚きを、おぼえることがよくあつた。影の深まりのことをいふなら、妹のれいの大きな眼のなかにも、その眼におとらず動きと表情とに富んだ口もとにも、もちろんそれはあつた。幼な顔から少女時代の顔と、妹の顔の生ひたつていつた経路なら、その一こま一こまを切りはなしても、眼底にまざまざと思ひ描くことさへできる肉身の姉なのであつてみれば、そのするどい眼ざしをくらまし得るどんな人工の表情も、どんな唐わたりの化粧法も、ありよう道理がなかつた。近頃めつきり濃くなつた妹の頬紅のさしやうも、眉ずみの巧みな曲線も、ひたひに捺した可愛らしい緑いろの花子も、あるひは口の左右にぽつんとつけた粧靨すらも、姉の眼から秘密をおほふヴェールの役は、たうてい果せるものではなかつたのだ。……
しかし、ひるがへつて思へば、そのやうな変化、そんな影の深まりなら、鏡ノ夫人じしん、自分の顔には多かれ少なかれ見いだしてゐるものに違ひなかつた。それはいはば、歳月のふるふあまり目だたない、しかも否応ない爪の痕なのだ。ことに女人の容色を、それが人の母であらうとあるまいと、最もこのんで餌食にしたがるあの爪の痕なのだ。しかも女人の顔といふものは、その爪のむざんな攻撃の前に、おどろくべき柔軟自在な、ときにはしぶといまでに不逞な、狡智のかぎりをつくして抵抗するものなのである。ときには相手の武器を逆用して、かへつて自分の身をよろひさへするものなのである。……さうした中年の女人の秘密のことなら、何も妹の顔からわざわざさぐり出すにも及ばない、夫人じしん朝夕の鏡のなかで、百も承知であつた。問題はやはり例のおとがひにあつたのである。
その額田ノ姫王のおとがひは、その年になつても相変らずきびきびと、よく動くおとがひであつた。もつとも、妹のふつくらした色白の円顔を、いつのまにか豊艶なものにまで変へてしまつた肉づきの変化が、そこでももちろん例外であらうはずはなく、例の二重のくびれは一そう厚みを加へてきはだち、なにかしら重たげな、なにかしら大儀さうな気配が、ふとそこに影るやうなこともないではなかつたけれど、とはいへ所詮は幼な顔の記憶をその網膜からぬぐひ去るすべもない姉の眼にしてみれば、それは相変らず小ましやくれた、依然として人を小馬鹿にしたやうな、いたづら好きなおとがひに違ひなかつた。それと、現在の妹の顔ぜんたいとの釣合ひには、へんにちぐはぐな、そのくせやつぱりさうでなくては恰好がつかないやうな一種しつくりした感じ――いはば破調のなかの言ひやうのない調和の感じがあつて、それが鏡ノ夫人をふつと哀しくほほゑませたりしたものである。
まあこのへんまでのことなら、鏡ノ夫人も時ならぬ感傷にふと誘はれるぐらゐが落ちで、かくべつ気に病んだりすることもないはずだつたが、問題は妹のおとがひの生みだす目まぐるしいほどの千変万化の印象のなかに、今までついぞ見かけなかつた、少なくも気のつかなかつた、意外な一要素がつけ加はつたことであつた。それは賀宴の折などでいへば、唇を杯にふれて、つとそれを離したり、隣席の男などから話しかけられたのに答へようと動かした唇を、ふとためらふやうに再び閉ぢたりするやうな瞬間に、ほんのたまゆら揺らいで消える微かな印象にすぎなかつたが、その揺曳を鏡ノ夫人は姉の目ざとさで素早くとらへ、その後も注意をおこたらずに自分の観察の正しさを折にふれて確かめ確かめて来はしたものの、さてこれをどういふ言葉でいひあらはしたらいいものやら、ほとほと困じ果てたのだつた。
それはもはや、決して冷笑などではなかつた。ましてや人に媚びたり、あるひはわれとわが心に媚びるときに女人の唇辺によく浮ぶ、あの無心または有心の嬌羞では尚のことなかつた。それはもつとずつと内へ向つた、いはば全く相手のない、ひどく孤独な、その意味から云へばむしろこの上なく単純だとも純粋だとも言へさうな心の動きの、内から外へのふとした投影、――まあそんなふうな、いはば笹の裏葉がふとひるがへるにも似た、つかのまの仄めきにすぎなかつた。かといつてそれは、姉の王女にほとんど生理的な自己嫌悪の情を催させるのを常とした、あの冥想的な、妙につめたい表情ともどこか似通ふものがあるやうでゐて、しかも全然ちがふらしい。一口にいへばそれは、ひどく影の深い憂愁だつたのである。……
けたたましい羽音をたてて、鸚鵡が舞ひたつ。と次の瞬間には、鳥の白いかげも朱色の籠も、かき消すやうに消えて、妹のおとがひが中有にかかる。鳥の行方を追ふやうに、ぐいと突きだした例のおとがひのくびれ。そのくびれも、やがて気がついてみれば、幼な顔のそれではなしに、近ごろのあの影ぶかい憂愁を折りたたんだそれだつたのだ。
「これぢやたまらない!」と、鏡ノ夫人はほとんど声に出してつぶやく。……
ざつとそんなふうの、幻想とも妄想ともいひやうのない妖しい思ひにつきまとはれどほしですごしたその日の暮れがた、夫人はやつと或る決心をかためた。それは、あくる朝になつたら早々、何もかも放りだして、五百里ノ娘をつれて大津の新京へさつさと立つてしまはう、――といふのである。
妹の残していつたとんでもない置土産のことは、いざ馬の鼻づらが北へ向いたその瞬間、第一に心に浮んだ思ひつきどほりに処分すればいい。それまでは、もう何も思ふまい、考へまい。……
そしてこの決心によつて、少なくも鏡ノ夫人その人だけは、当座の苦労からみごとに救はれたのである。
*
俗に気性の勝つたといはれるやうな人は、ことにそれが女性の場合、思ひのほか限られた意識の視野の持主であることが、よくあるものである。もつとも、鏡ノ王女が実際いはゆる気性の勝つた女であつたか――といふ問題については、必ずしも一定した評価を立てるわけには行くまいし、後世の眼からすれば、殊にこの姉を妹の額田ノ姫王と並べて眺めるばあひ、むしろ逆の評価の成りたつ可能性の方が多いかも知れない。けだし妹は、万葉集きつての気宇の雄大な歌人として聞こえてゐるからである。とはいへ、少なくも当時――すなはち謂はゆる白鳳の世の人びとの眼には、鏡ノ王女が理知的な「しつかり者」と映じてゐたことは事実だつた。これに反して額田ノ姫王の方は、何かしらその反対の性格の持主のやうに考へられてゐたものである。