1
大海人は今日も朝から猟だつた。午ちかく、どこではぐれたのか伴の者もつれず、一人でふらりと帰つてくると、宮前の橿の木のしたで赤駒の歩みをとめた。
舎人の小黒が、あわてて駈けだしてきて、手綱をおさへる。そして何か言つた。
「ほう、嶋が? 多治比ノ嶋が来てゐるのか?」
大海人は、よくかげ口をきかれる例の神鳴り声を、小黒の禿げ頭のてつぺんへ浴びせかけると、ゆらりと地上へおり立つた。おそるおそる、といふよりは反射的に、両手をさしのべたもう一人の舎人に、まづ弓をわたす。それから肩のヤナグヒを解いてわたす。例によつて獲物はないから、ほかには何も渡すものはない。
それなり、泥のだいぶはねかかつた行籘を、人一倍ながい脛で蹴たてるやうにしながら、宮殿の廻廊をまはつて大海人はすがたを消した。
点々と、熊の歩いたやうな泥沓のあとが、柱廊の敷瓦のうへにつづいてゐる。その跡を追ふやうに、中途までついて来た舎人の小黒は、黒ぐろとしたその泥の色から、ふと春の香をかいだやうに思つた。
ことしはこの飛鳥の内そとにも、めづらしく雪が多かつた。殊につい十日ほどまへ、遠智の岡ノ上に新たにおこされたミササギに、宝ノ太后と、間人ノ先后と大田ノ皇女と、――この親子三代のなきがらを合はせ葬つた日は、夜来の雪が日ねもす野山をこめて降りしきり、夜ふけてからは吹雪にさへなつて、これは何かの前兆ではあるまいかと、心ある人の胸をさわがせたほどの大雪だつた。
その雪がいま溶けるのである。さう言へば三月の声をきいて、はや四日たつ。例年ならば神奈備の杉むらがくれに、ちらほら花もまじらうといふ時分なのだが、今年はまだまだ、斑雪の方がはばを利かせてゐる始末だ。この分では、北ぐにはまだ雪のなかだらう。近江の国もずつと北寄りの、伊香古の奥から召されてきた小黒の心に、ふつと古里の雪の深さがかげるのである。
だが、おくれたといつても春は春だ。今しがた大海人の泥ぐつから落ち散つたばかりの、この黒光りのする、大きいまた小さい、ねつとりと水気をふくんだ、さながら湯気の立ちさうにゆたかな土くれの色。それは、やがてその黒にまじる若菜のみどりを思はせ、さくりと入れる鍬の先の、ひとりでに地面へ吸ひこまれるやうな、あの手ごたへを思ひださせる。それはまた、野べに立つ陽炎を、うつすらと紅い花のかすみを聯想させる。……
それにしても、ことしの花はどこで眺めることになるものやら。筑紫の朝倉ノ宮から、宝ノ太后が悲しいなきがらになつて、この飛鳥へ還つて来られたのは、つい五年ほど前のことである。その前の代は、十年といふ長い歳月を、都は難波の長柄へうつされたままであつた。かうして都が飛鳥にもどつたのは、なんだか恐ろしく久しぶりなことのやうな気さへするほどだつたが、それ以来五年あまり、だんだん様子を見てゐると、どうやらこれは都がへりではなくて、さる口軽な男がたくみに童謡にうたひこんだやうに、ただの「柩がへり」だつたやうにも思はれてくる。つまり、執政ノ皇子にしてみれば、母后、妹の宮、一の皇女と、わづか三年のうちに三つも重なつた血をわけた亡骸を、古京の土に葬るための時を待つ、ほんの仮の宿りのやうな気持がされるのである。
論より証拠、かうして柩とともに還つて来られても、新たな宮居を造られるやうな気配はない。それのみか、み位を嗣がれる様子も一向にみえない。相かはらずの太子・中ノ大兄として、かつて母后の住まはれた後ノ飛鳥ノ岡本の故宮で済ましてをられる。その一方ミササギの造営はしきりに督促され、役夫三千あるひは五千ともいはれながら、牛の歩みのやうにさつぱり捗らない。この牛の歩みの裏には、何かしらもやもやした空気が感じられる。つい十二三年まへに、その岡本ノ宮をいとなまれた次手に、多武ノ峯のうへに石垣をめぐらした観台をおこさうとされて、香具山の西からはるばる石の上の山まで運河を切りひらき、舟二百隻に石材をつんで宮の山すそまで運んで来させた折にも、民の反感は相当なものであつた。その運河を、「きちがい溝」と呼んだ人もある。「石の丘なんかいくら築かうと、築くはしから崩れるさ」と、憎まれ口を叩いた男もある。もちろん今度は、相手がちがつて陵墓だから、さうあけすけに悪口をいふ者はない。その代り、妙に内にくすぶつた敵意が感じられる。それはひよつとすると、敵意ではなくて不安なのかもしれない。ミササギをおこすこと自体に逆らはうといふのではない。工事の終つたあとに来ようとしてゐるものへの漠然とした、しかもしだいに強まる不安がそれである。
そんな空気が、なにせ工事の現場がさほど遠くはない上に、れいの東ノ漢ノ直のやからとは平ぜい往来の頻繁なこの宮の舎人をつとめてゐるだけに尚さら、小黒の胸にはひしひしと感じられるのだつた。
だんだん強まる妙にあぢけない予感は、二年ほど前から近江の湖べりに新たに工を起された宮居の進捗ぶりや規模などについての情報が、しだいにはつきりした形をとりつつ飛鳥のうちに弘まるにつれて、やがてはもはや動かすべからざる実感として、人びとの胸をみだしはじめた。ねがはくは離宮であつてくれ――とひそかに念じたのも、結局はそら頼みだつた。さうかうするうちに去年の暮ちかく、飛鳥の鼠が群れをなして近江をさして移つた。実際にその大群を見たと名のり出た者はさすがになかつたが、奈良山の深い雪のおもてに夥しい鼠の足あとの列なりを見て来たといふ者なら、そのころ旅に出てゐた者の十中の九までがさうだつた。
この前、都が難波へ移されて、大化のみことのりの下つたその年の末にも、越ノ国の鼠が夜ひるぶつとほしで東へ向けて移つたといはれた。その難波の帝が亡くなつて、いよいよ都が飛鳥へ返らうといふ年の元旦にも、難波の鼠は大挙して大和へ引つこしをした。民のうちに誰一人その移る流れを見たものはないにしても、少なくも或る人の双の眼だけには、それははつきりと映つてゐたのである。その両眼は同時にまた、鼠の移動が民の心へもたらす反応をも、幕のかげから人知れずじつと見守つてゐる鋭い眼でもあつたのだ。
もはや敵すべからざる運命の手を、人びとは見なければならなかつた。つひにミササギも出来あがつて、三人の貴女のなきがらは、降りつむ雪の覆ひのもとに、しづかに葬られた。
さうして春が来たのである。春はおなじ春でも。その呼びさます胸のときめきは、何やらあわただしい、にがい味があつた。……
*
宮殿の舞戸がぎいときしんだ音に、多治比ノ嶋はあわてて座をたつた。窓ぎはの日だまりで、あやふく舟を漕ぎかけてゐたらしい。そして入口の垂れ絹をおしのけて、ぬつと現はれた大海人のすがたを見ると、
「ああ、皇子……」
と低くつぶやいて、うやうやしく唐式の立礼をした。うやうやしいと云つても、いかにも物馴れた身のこなしで、ぎごちないところはみじんもない。
嶋は冠位こそまだ大錦下を拝したばかりの式務省の一吏官にすぎなかつたが、白雉五年の遣唐使随員のうちに加へられ、したしくその肺に洛陽の空気を吸つて来た男である。年のころは四十を四つ五つ越してもゐようが、珍らしく髯を蓄へぬその色白の顔は、つやつやして未だに青年の血色が失せてゐない。大海人は四五年まへ、蘇我ノ安麻呂の別宅びらきの宴の席でこの男を目にとめたのだつたが、それ以来ちよいちよい呼んで向ふの人情風俗の話などをさせてみるうち、もちろん韓人とまであだ名されてゐるほどの中ノ大兄の廷臣ではあり、しかもまだ若いころの眼であたかも興隆期さなかの唐の文運を見て来たのであつてみれば、そこに免るべからざる陶酔もあらうし、また追憶による実体の粉飾がはたらきもしようが、それでゐて、案外に勘どころをちやんとつかんで逃さぬ一種きびきびした批判のひらめきにも乏しくはなく、それが時たまは兄宮の痛いところへちくりと触れる巧まざる皮肉を形づくるに至つては、大海人としては愈々面白いばかりではなく、却つてこちらの眼のウツバリまでが取払はれるやうな気もされるのだつた。はじめのうちは、なにか新時代の舞台うらを覗いてみるとでもいつた、やや見くだすやうな好奇心であつたものが、だんだん別の感情によつて押しのけられて、互ひに気ごころも分り心の垣根の外されたこの頃では、他人をまじへぬ席だと二人は殆ど友達のやうな態度を示し合ふのだつた。
もちろんそれには、年齢の近さといふことも有力な要素だつたらう。大海人はことし四十六になる。だがそればかりではない。多治比ノ嶋の、なかなか皮肉屋でありながらしかも野心家らしい影のすこしも射さぬ明るい真直ぐな人のよさ、なかなか綿密なするどい観察の持主でありながらしかも物ごとの暗い面にばかりこだはらず、たえず何かしら現実の上で秩序なり調和なりを見いだして行かうとする(少なくも思考の上での)ねばりづよさ。さうした善意にもかかはらず、実行の上ではいつも何かしら思ひがけない不運につきまとはれて、まあそれも主に女の問題でだが、ひどく悄気かへつて慰めやうもないほどの意気地なさ。――ざつとそんな風の、何から何まで自分を裏がへしにしたやうな性格でありながら、ではまるつきりなんの共通点もないのかといふと一概にさうとばかりも言ひきれず、なるほど表面にあらはれて結晶してゐる一つ一つの性癖なり慣習なりを取りあげてみれば、をかしいくらゐ正反対なのだが、それらが発生した母胎でありまた現にそれらを支へてゐる土台でもあるところの、どろどろした無定形の、いはば「性格の熔岩」とでも名づくべき大元のところは、他人の空似どころか、おやつと思ふほど瓜二つなのだつた。自分の姿を池の水にうつしてみれば、右の眉は左がはにあり、しかも微かな風のそよぎにつれて面影はひつきりなしに崩れたり歪んだりするのだけれど、そこをじつと見極めてみれば、やはり何といつても自分の顔には相違ない、――まづさう云つた驚きの気持が、この二人の不平児のあひだの不思議な友情を成りたたせ、かつ絶えずそれを保たせてゐるものにちがひなかつた。
「嶋か。しばらく逢はなかつたな。」
大海人は大股にあゆみ寄つてくると、窓ぎはの紫檀の椅子にずしりと尻をおろし、その拍子にだいぶ前からぐらぐらになつてゐた腕木の一本が抜けて、からりと床へ落ちたのには毎度のことだから取り合はず、かと云つて客の顔色へちらりと横眼を走らせて用向きを読みとるといつた貴人によくある癖を発揮するでもなしに、さも面倒くささうにムカバキの紐をときはじめた。
ムカバキが解けて落ちると、いい加減よれよれになつた麁布の括緒袴があらはれる。そこへ小黒が黒い上沓をもつてはいつてくる。両足をつきだして履きかへさせながら、大海人は両の袴をまくりあげて長い脛をぼりぼり掻きだした。
長いだけではない。骨太で、しかももの凄い毛脛である。伸ばしたら二寸はあらうと思はれる真黒な太い毛が、脛骨の峯をさかひに渦を巻きながらひしめき合つてゐる。立派に行者ぐらゐは勤まりさうな脚である。それとも、いざとなつたらその名のごとく海人のたつきにも堪へようし、杣人の暮らしなんぞはお茶の子に相違あるまい。いはゆる天孫族にはめづらしい毛深さ骨太さであるが、これもひよつとすると、母后の筋をとほして、稻目ノ大臣の壮んな血が何代目かに蘇つてゐるのかもしれない。
「いや、ひどく汗を掻かしをつた、あの山兎のやつめが……」
「して、なん匹お仕止めになりました?」
と、多治比ノ嶋が笑ひをおさへながら聞く。
「ははは、きれいにみんな逃げられた。春さきの山兎は采女をねらふほどに難かしいな。……あんまり業腹だから、帰りに放ち飼の黒豚を一匹しとめようかと思つたが、まづまづと腹の虫をおさへて来た。またあの漢ノ直どもがうるさく言ふからなあ。」
その実、大海人が若いころから騎射にかけては無双の名手であることは、朝廷の内そとに誰ひとり知らぬ者はない。それかといつて、近ごろ猟に出るごとに兎一匹鴨一羽ぶらさげて帰つてきた例しのないことも、やはり動かすべからざる事実に相違なかつた。「大海人ノ皇子も腕がにぶられた」と、もつぱらの評判である。はたして腕が落ちたのか、それとも何か気の散ることがあつて、肝じんの刹那に手もとが狂ふのか、そこのところは誰にも分らない。嶋にしたところで分らない。ただ嶋は、この皇子に親近してゐるだけあつて、ひよつとするとこれは気が散るのでも腕が落ちたのでもなくて、逆にある綿密な慮りから出たことかも知れない、だとするとこの皇子もなかなか隅に置けないわいとひとひねり首をひねるところがまあ一日の長といふものである。尤もこれはいかにも嶋らしい思ひすごしかも知れなかつたが、とにかく大和朝廷における大海人の微妙な位置から考へれば、何か一つこの辺で自己をくらます手を打つて置くだけの必要は、おぼろげながら感じられたのである。