Chapter 1 of 4

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よく晴れた午後の海辺の遊歩場を、マグルトン(だまされやすいアホウ者という意味)という気のめいるような名前の持主がその名にふさわしく憂欝そうに歩いていた。額には深い苦労のしわが馬蹄形にきざまれていた。そこで脚下の浜辺にちらばつてならんでいる大道芸人の群れがいくらそつちを見上げても喝采してもらえなかつた。ピエロ連中が、死んだ魚の真白な腹のように青白い、顔を上げてみせても、いつこうにこの男の元気はよくならなかつた。きたないすすで顔をすつかりねずみ色にしている黒人連中もやはり同じようにこの男の気分を明るくしてやるわけにはいかなかつた。失望した悲しい男であつた。深いしわのきざまれている禿げあがつた額以外もオドオドしてやつれたような感じだつた。そしてなんとなく陰気だが上品な顔立ちだけに、顔の中で唯一のこれ見よがしの装飾物がなおさら不似合いな感じだつた。それはピンと飛び出して逆立つている軍隊風の口ひげで、つけひげではないかと疑われそうなものであつた。実際、つけひげだという可能性もある。一方、もしつけひげでないとしても、無理にはやしたものだという可能性もある。単に自分の意思で、大急ぎではやしたのかもしれなかつた……それくらいその口ひげは、この男の個性の一部というより、むしろ仕事の一部だつたのである。

というのは実はマグルトン氏はささやかな私立探偵で、額の雲は職業上の大きなへまによるものだつたからである。ともかくそれは、単にこんな苗字を持つているということ以上に憂欝な、或る事と関係があつた。苗字については、むしろなんとなく、誇りにしていたかもしれないのである……というのはこの男は、マグルトン派(一六五一年頃ラドイック・マグルトンが創立して一時流行した宗派)の創立者と縁続きだと断言していた、貧しいながら慎しみ深い非国教派の家に生れたからである……あの宗派の創立者は人間の歴史上この名前を勇敢に名乗つて現われた唯一の人物であつた。

それよりもこの男の悩みの正当な原因は(少なくとも自分で説明したところによると)、あの世界的に有名な百万長者殺害の血なまぐさい現場に立ち会いながら、それを防ぎそこなつたからであつた……おまけにそのために一週間五ポンドの給料で雇われていたのであつた。そこで「うれしいひと日にしておくれ」というような歌をものうげにうたつてきかされたところで、この男に人生の喜びが感じられなかつたという事実は説明がつくであろう。

その点では、浜にはほかにもいろんな連中がいて、この連中なら彼の殺人問題やマグルトン派の伝統にもつと同情してくれそうであつた。海辺の盛り場は、甘い情緒にうつたえるピエロばかりでなく、説教者連中も店を張りにくる所で、たいていはいかにもそれらしく地味で熱狂的なお説教を専門にしているようである。一人だけ老年のやかましくしやべり立てる男がいて、これにはマグルトン氏も目を留めずにはいられなかつた……突き刺すような叫び声で、バンジョーやカスタネットの騒音に負けないで鳴りひびく金切声の宗教的予言と言つてもいいくらいであつた。これはヒョロ高い、しまりのないかつこうをした、足をひきずつて歩いている老人で漁師のセーターのような物を着ていた。しかしかつこうに似合わず、ビクトリア中期の或る種の陽気な伊達男たちが消滅してから見られないような、あの大へん長い、ダラリとたれている頬ひげを両側にはやしていた。浜辺の香具師連中はみんな何かを飾つて、それを売るようなかつこうをしている習慣だつたので、老人もかなりボロボロになつた漁師の網を飾つていたが、たいていはそれを女王さま用のじゆうたんみたいに砂浜にひろげて人待ち顔にしていた。しかし時によるとローマの網闘士(網と三つまた槍を持つてたたかう闘士)がいまにも三つまた槍で人を突き刺そうとするときのような恐ろしい身振りで、猛烈に網を頭のまわりに振りまわすことがあつた。実際、もし三つまた槍を持つていたら、ほんとに人を突き刺したかもしれなかつた。老人のお説教はいつも鋭く天罰をさし示していたからである。聞いている人は肉体や魂をおびやかされる話以外は何一つ聞かしてもらえなかつた。老人はマグルトン氏とはおよそかけ離れた気分で、気の違つた絞首人が殺人犯人のむれに話しかけているような勢いであつた。子供たちはこの老人をガミガミ屋のブリムストン爺さんと呼んでいたが、老人にはこういう純粋の神学上の問題以外にほかにも風変りな癖があつた。その一つは、桟橋の下の蜘蛛の巣のような鉄けたに登つて、例の網を海中で引きまわしながら、われは漁人なり(イエスがペテロ兄弟に言つた言葉を元にしている)と宣言することであつた。尤も実際魚を捕えている所を見た人があるかどうかは怪しいものである。それでも、俗界の遊山客は、恐ろしい神の裁きを叫ぶ天上からの雷声を耳元で聞いて、ハッとすることがときどきあつた……しかし実は桟橋の下の鉄のとまり木からの声で、そこには偏執狂の爺さんが、異様な頬ひげを灰色の海草のようにたらしながら、目を光らせているのであつた。

探偵は、それでもしかし、これから会わなければならない運命になつている坊さんにくらべれば、まだしもブリムストン爺さんのほうがずつと辛抱できると思つたかもしれない。この第二の、もつと重要な会見を説明するためには、マグルトンが殺人問題で驚くべき経験をしてから、大へんいさぎよく自分の持札を投げ出してしまつたことを指摘しなければならない。彼はその話を警察に報告したし、死んだ百万長者ブレアム・ブルースのさしあたり唯一の代表者――つまり、故人の大へんキビキビした秘書のアンソニイ・テイラーという男にも報告した。警部は秘書よりも同情してくれた。しかしその同情のとどのつまりが、警察の助言としては、マグルトンにはおよそ思いもつかないほど意外なものであつた。警部は、しばらく考えこんでから、たしかこの町に滞在しているはずの或る有能なアマチュア探偵に相談するようにと助言して、マグルトンをひどくびつくりさせた。マグルトンはいわゆる大犯罪学者についての報道やロマンチックな物語をかねてから読んでいた……こういう学者は頭のいい蜘蛛みたいに自分の図書室に坐りこんで、全世界大の大きな網から理論の細糸を投げかけるのである。マグルトンは、この専門家が紫色の部屋着を着ている寂しいお城か、アヘンとクイズに日を送つている屋根裏部屋か、広大な実験室か、さもなければ寂しい塔かへ案内されるものと覚悟していた。彼がきもをつぶしたのは、桟橋のそばの雑沓している浜辺に案内されて、大きな帽子をかぶり、大きくニヤリと笑つている、ズングリした、小がらな坊さんに会うことになつたからである。坊さんはちようどその時貧しい子供たちと一緒に砂浜をピョンピョンはねまわりながら、大へん小さな木製のすきを振りまわしていた。

この犯罪学の坊さんは、ブラウンという名前らしかつたが、やつと子供たちから離れたものの、すきからは離れなかつたので、どうやらマグルトンはだんだんウンザリしてきた。坊さんは、とりとめのないおしやべりをしながら、海岸の子供だましみたいな見世物のあいだを頼りないかつこうでウロウロ歩きまわつていたが、特に夢中になるのはこういう所に備えつけてあるズラリとならんだ自動機械で、おごそかに一ペニイずつ使つて、ゼンマイ仕掛けの人形が演じるゴルフや、フットボールや、クリケットの代用ゲームを楽しんでいた。最後に模型の豆競争があつて、金属性の人形がもう一つの人形のあとを追い駆けてピョンピョン飛んで行くだけの仕掛けにすつかりまんぞくしていた。それでもそのあいだ中坊さんは敗北した探偵がしやべりまくる話に大へん注意深く耳をかたむけていた。ただそのあいだもペニイ銅貨を投げこむ手を休めない、右手のなす事を左手に知らすな式のやり方が、ひどく探偵のカンにさわつた。

「どこかへ行つて腰かけるわけにはいきませんか?」マグルトンはもどかしそうに言つた。「ともかくこの問題について聞いてくださるのでしたら、あなたに見ていただかなきやならない手紙があるんです」

ブラウン神父は溜息をついて、飛びまわつている人形から離れると、海岸の鉄のベンチへ行つて、連れと一緒に腰をかけた。連れはもう手紙をひろげていたが、黙つて坊さんに渡した。

こりや荒つぽい変てこな手紙じやと、ブラウン神父は思つた。百万長者というものはかならずしも作法を専門に研究しているわけではないし、特に私立探偵のような寄生物をあつかうときはなおさらそうだということはわかつていた。しかしこの手紙にはただの無愛想というだけでなくそれ以上の物があるような気がした。

「マグルトン君

わたしはこんなことで助けを求めるようになろうとは夢にも思わなかつたが、もう万事投げ出したくなつた。この二年間それがだんだん耐えられなくなつてきた。たぶんきみに知らせる必要のある話はこうだろう。はずかしい話だが、わたしのいとこに卑劣漢がいる。予想屋、浮浪者、ニセ医者、役者、ありとあらゆることをやつてきた男だ。鉄面皮にも家名を名乗つてバートランド・ブルースと自称したまま行動しているくらいだ。たしかここの劇場で何かくだらん仕事にありついたか、でなければそんな仕事の口をさがしているはずだ。しかしわたしに言わせれば、そんな仕事は奴の本職ではない。奴の本職は、わたしを追い駆けまわして、できれば永久にわたしをノックアウトすることだ。これは古い昔の話で、だれにも関係のないことだ。一時はわれわれ二人が肩をならべてスタートして野心の競争をした時代があつた――同時にいわゆる恋の競争もした。奴がヤクザになりはててわたしがすべての成功男になつたのは、わたしの罪だつたろうか? ところがあの卑劣な悪魔は、まだこれからでも成功してみせると、断言している……わたしを射つてから逃げるついでにわたしの――いや、そんなことはどうでもよろしい。奴は狂人だと思うが、いまにも殺人者になろうとする気だ。

「わたしはきみに一週五ポンド出すから、今夜桟橋が閉まつたらすぐ、あの桟橋のはずれの小屋でわたしと会つて――そしてわたしの仕事を引き受けてくれ。あすこが唯一の安全な会合場所だ――いまだに安全なものがあるとすればだ。

J・ブレアム・ブルース

「ヤレヤレ」とブラウンはおだやかに言つた。「ヤレヤレ。かなりあわてた手紙じや」

マグルトンはうなずいて、一息ついてから自分の話をはじめた……ぶかつこうな風采とはうらはらの妙に上品な声だつた。坊さんはうすぎたない下層階級や中流階級の中にひそかな教養の楽しさを隠している人がたくさんあるのをよく知つていたが、それでもこの男のホンのいくらか学者ぶつた感じさえするほどすばらしい言葉の使い方にはびつくりした。まるでそつくり文章になるような話し方であつた。

「わたしが桟橋のはずれにある小さな円形の小屋に到着したときは、あの著名な依頼人の来ているようすはどこにもありませんでした。わたしはドアを開けて中へはいりました……ブルースさんは、自分の姿と同じく、わたしの姿もできるだけ人目につかないようにしたいだろうと思つたからです。尤もそれは大して関係がありませんでした。というのは大へん長い桟橋ですから、浜や遊歩場から姿を見られるはずはないし、時計を見ると、もう桟橋の入口が閉まつたに違いない時間だつたからです。ブルースさんがわれわれの会見を他人に知られないようにこれほど用心するのは、いくらかお世辞の意味もあつて、わたしの助力や保護にほんとに信頼しているところを見せようとしたのでしよう。ともかく、桟橋が閉まつてから会おうというのはあの方の思いつきだつたので、わたしはごく単純に引き受けたのです。小さな円形のアズマヤ――とでも言うのでしようか、ともかくその小屋の中には椅子が二つありました。そこでわたしはその一つにかけて待つていました。長く待つまでもありませんでした。ブルースさんの時間厳守は有名だつたし、実際たしかに、わたしの正面にあるたつた一つの小さな丸窓を見上げると、あの方が、用心に小屋を一まわりしようとなさるのか、ゆつくり通り過ぎる姿が見えました。

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