Chapter 1 of 75

私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣に昔からひとつの小箱がしまつてある。それはコルク質の木で、板の合せめごとに牡丹の花の模様のついた絵紙をはつてあるが、もとは舶来の粉煙草でもはひつてたものらしい。なにもとりたてて美しいのではないけれど、木の色合がくすんで手触りの柔いこと、蓋をするとき ぱん とふつくらした音のすることなどのために今でもお気にいりの物のひとつになつてゐる。なかには子安貝や、椿の実や、小さいときの玩びであつたこまこました物がいつぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。それはさしわたし五分ぐらゐの皿形の頭にわづかにそりをうつた短い柄がついてるので、分あつにできてるために柄の端を指でもつてみるとちよいと重いといふ感じがする。私はをりをり小箱のなかからそれをとりだし丁寧に曇りを拭つてあかず眺めてることがある。私がふとこの小さな匙をみつけたのは今からみればよほど旧い日のことであつた。

家にもとからひとつの茶箪笥がある。私は爪立つてやつと手のとどくじぶんからその戸棚をあけたり、抽匣をぬきだしたりして、それぞれの手ごたへや軋る音のちがふのを面白がつてゐた。そこに鼈甲の引手のついた小抽匣がふたつ並んでるうち、かたつぽは具合が悪くて子供の力ではなかなかあけられなかつたが、それがますます好奇心をうごかして、ある日のことさんざ骨を折つてたうとう無理やりにひきだしてしまつた。そこで胸を躍らせながら畳のうへへぶちまけてみたら風鎮だの印籠の根付だのといつしよにその銀の匙をみつけたので、訳もなくほしくなりすぐさま母のところへ持つていつて

「これをください」

といつた。眼鏡をかけて茶の間に仕事をしてた母はちよいと思ひがけない様子をしたが

「大事にとつておおきなさい」

といつになくぢきに許しがでたので、嬉しくもあり、いささか張合ぬけのきみでもあつた。その抽匣は家が神田からこの山の手へ越してくるときに壊れてあかなくなつたままになり、由緒のある銀の匙もいつか母にさへ忘れられてたのである。母は針をはこびながらその由来を語つてくれた。

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