Chapter 1 of 13

一 西洋の美と東洋の美

これからいろいろ「日本の美」について、お話をいたしますにあたって、まず、この章は、西洋の美と東洋の美の関係について、のべさせていただきます。

いろいろの世界の学者の議論の中に、一つの間違ったと思われる考えかたがあり、また日本人もそう思っているらしい思い違いがありますので、そのことをいっとうはじめに申しあげておきます。

それは、東洋の芸術は野蛮な民族の芸術である、という考えであります。そのことは、東洋の芸術が西洋の芸術にくらべて、発達の程度が低く、また遅かった芸術であると考える考えかたであります。

この考えかたは戦いに負けた日本人が、何となく日本を軽蔑しているこころにまじって、日本人にとって、とんでもない悪い影響をあたえて、みながいっているアプレ・ゲールという言葉の中にある、やりきれないこころもちを引き起す危険があるのであります。

今から十五年前、今の中国を予言した有名な著書『万里の長城はくずれる』という本を書いた、グロヴァー・クラーク氏は、その本の中で次のような意味のことをいっています。

「中国はなるほどたびたびの戦争はあったが、領土が広く、交通が貧弱であったから、大きな地区は破壊から取り残され、印刷術、陶器すなわち焼きもの、ブロンズすなわち青銅、宝玉たまの彫刻、または中国における銀行の組織、官吏登庸の試験制度など、ヨーロッパにさきんじて、はるかに発達していた」

さらにつづけて、

「西洋は人間の便利のために用うるように、いかに自然力を支配すべきか、生活を愉快にするために事物をいかに作るべきかを多く知っている。しかし、いくら機械に役に立つ多くのものをもったからといって、またそれを知っているからといって、人間を文明人たらしめ、国を文明国たらしめることはできない。ほんとうの文明の社会とは、人が他人を抑えつけたり、人の意志や信仰を強制したりすることなく、おたがいに、正しく、敬いあい、ゆるしあうことによって、人間が共にとけあって生きる社会のことである。中国の社会は、ほんとうに、この意味の文明社会であったから、永くつづいたのである。中国人は彼らの日常生活の上に、儒教の格言であるところの『自分の欲せざるところを、人にしてはならない』ということを、一貫して、徹底して、実行している。彼らは現実主義者であるから、四民平等という到達しがたい観念的な理論は打ち立てない。長い長い実践の上に、彼らの文化、彼らの哲学、彼らの宗教があり、しかもそれを、他人に決して、強制しようとはしない」

というのである、彼は、家族を中心とする、また村落を中心とする、または職業を中心とするギルド、すなわち協同体は、世界に比類のないかたちで発展をとげていることを指すのであります。そして結論として、

「事物を支配する技術については、西洋は中国よりもはるかに多くを知っている。しかし、人間が文明人として、共同に生活するという、最も困難な技術にいたっては、西洋の知るところは中国よりもはるかに僅かである」

といっております。彼のいわんとするところは、東洋は、機械文化と個人を主張する世界においては、立ちおくれているが、人間が集団的に集まって、いかに傷つけあわずに社会を保ち、ほどほどの便利の世界でいかに楽しむかという世界では、一貫した二千年の文化が、封建の限界内にもがきにもがきつつ、独特な、高度な、鍛練を経た爛熟をとげていることを指しているのであります。

中国に一九二〇年から在住し、北京大学の教授までしたグロヴァー・クラーク氏のこの言は、まことに東洋を愛して、これを見た人というべきでありましょう。私たちには、このギルド、すなわち協同体自体が、封建制度のもがきの姿でありますが、このもがいている精神が、世界にとって貴重であり大切であります。

このもがき、抵抗、レジスタンスが芸術でどうあらわれるか、これに注意すべきであります。このクラーク氏の言葉のごとき生活を、文明、すなわちシヴィリゼーションというならば、東洋は、ただこれを野蛮といい、ニューギニアの土人に用いうる savage または native という英語にふさわしいもの、すなわち野蛮なものと考えるわけにはいかぬのであります。

いろいろの理由で、機械文化に共に入ることを拒んだところの地球の半分の住民、インド、中国、日本その他の十億の民族が、機械文化をただ拒んだという理由で、野蛮とはいいがたいのであります。

日本民族は、機械文化に追いつけといわれれば、封建性の圧迫さえなくなり、そして少しでも自由を与えるならば、僅か八十年の年月にして追いつけることを、東洋の諸民族にさきだって示したのでした。それがしかし、はたして幸福であったかどうかは、いまだ実験中ともいえましょう。

このたびの第二次世界大戦は、大いなる警告を私たちに与えたともいえましょう。すなわち、中途半端な、封建的な殻を尻っぽにつけた機械文化を、いい加減な思い上がりをもって使うことが、いかに危険であるかということであります。

私たちは、深くひるがえって、グロヴァー・クラーク氏のいう長い伝統の中に、共同生活するという、絶望の中にもがき抵抗し、鍛練されたる独特な文明を顧み、それが生みだしたその芸術をもう一度、確かめてみなければなりません。

東洋の美を、もう一度、ふりかえってみなければなりません。ソローキン、ノースロップなどという、最も新しい欧米の有名な批評家なども、機械文化のゆきづまりから東洋に目を向けているのであります。それどころか百年前に、すでに十九世紀の印象派の人々すらもが日本の浮世絵の光の扱いかたに非常な驚きの目を見はっています。そして印象派の人々の光は、浮世絵の影響といわれているのであります。またかの近代絵画を切り開いためざましい一人の画家、ヴァン・ゴッホも手紙の中でアルルの光を「日本にいったようだ」といって、浮世絵の光を通して愛する日本をあこがれ、その光の取り扱いかたから彼の画法の一部をひきだしています。また音楽の世界でも古い作曲法を破って、近代音楽を導きだしたドビュッシイは、日本画の金色の鯉より思いついて、「金の魚」というテーマの音楽をつくっています。そしてさらに、ジャバのガメラン音楽をパリーの万国博覧会で聞いて、すっかり驚き、次のようにいっています。「こんな音楽を聞いていると、私たちの音楽は曲馬団の野蛮な騒音にすぎないということを、いやおうなしにみとめざるをえない。ジャバの音楽は、一種の対位法であり、これにくらべると、パレストリーナの対位法は子どもらしくて聞くことができない」。

というようなことばを、ドビュッシイはもらしていますが、これを聞くと、私たちは、東洋がむしろドビュッシイのような二十世紀の音楽を引きだす役目をしたといえることを教えられるのであります。

文学の世界でも、詩人イエーツが、東洋、ことにインドの思想から多くのものを受け取っていることは有名であり、またかのロレンスもインドのヴェダ、またはリグヴェダから多くのものを導きだしているのであります。それは、彼が西洋の中にみずから脱すべきものを感じ、東洋にその救いをもとめて、彼のいろいろの普通でない行動となり、文学ともなっていったといわれているのであります。

かように考えていきますと、あまり思いあがってはいけないことでありますが、しかし、東洋には、まだ研究されつくしていない、大切な何物かがかくされていることを、深く顧みなくてはならないことに、気がつかれるのであります。

東洋の芸術の中には、もがきにもがいた痕があります。絶望の中に立ちあがらんとして、深い息をはいたあとがあります。決してそれは、単に野蛮なものでなく、むしろ、人類にとって大切なものであり、それがこの東洋の芸術の中に残っている。全世界が、まさに失わんとしているものが残されている。――現に危うくもいまだ残されていることに、深い注意をはらわなくてはなりません。

欧州の批評家が、「ルネッサンスは、キリスト教精神と、ギリシャ精神との結婚であった。第三のルネッサンスは、キリスト教精神と東洋精神との結婚でなければならない」といっております。

このたびの戦いは不幸な戦いでありましたが、講和によって、西洋と東洋が、その手をかわすことによって、世界を支える新しいルネッサンスの機会が、ここに生まれるとすれば、まことに不幸がもたらした幸いであります。

そして、この結合の中で占めるべき、日本の芸術の位置が、どこにあるかを、私たちは見きわめるべきであります。それは謙遜に、しかもまた、卑屈でなく、正しくそれを顧みるべきであると思うのであります。

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