「積雪水量測定の父」
ネバダ通信は、まずネバダ大学の教授チャーチ博士の話から始めなければならない。チャーチ博士の名を初めて知ったのは、一九三六年だったかと思う。国際雪氷委員会のエヂンバラ総会の報告書が届いた時、その総裁としてのチャーチ博士を初めて知ったのである。
それから今年で十三年になる。その間戦争の期間を除いて、ずっと親しい交際をつづけてきた。ただしそれは手紙と論文とによる交際であって、会ったのは、今度が初めてなのである。
一九三九年だったかと思うが、ワシントンでこの国際雪氷委員会の第三回総会があった時、チャーチ博士から出席を希望された。しかし当時は今度の戦争の前で、世界中の空気も険悪であったし、私も療養中だったので、出席は断念した。その代りに、その前年初めて成功した人工雪の研究過程を、顕微鏡映画に撮り、英文のアナウンスを入れて、総会に送った。
これがチャーチ博士と急に親交を結ぶようになった機縁であった。映画は案外好評であったらしい。総会後チャーチ博士は、アメリカの方々の大学や研究所で、この映画を見せたそうである。そしてその都度反響の様子を、私の方へ手紙でいってきた。私の方からも時々実験の模様などを報告して、文通は戦争の始まるまでずっと続けていた。
戦争中はもちろん交渉が絶えていたが、戦後にその委員会の再組織が企てられ、その機運が熟して、一九四八年の八月に、戦後初めての総会が、ノルウェイのオスロで開かれることになった。その会議には、私も招待されたのであるが、手続上の都合で中止した。チャーチ博士はそれをたいへん残念がって、加奈陀の北極研究所長であり、かつ国際雪氷委員会の事務局長であるベアード博士とともに、今度私をアメリカと加奈陀とへ招聘する世話をしてくれた。非常に親切な人で、この半年の間、恐らく一月に三本平均くらい、手紙を寄こしてくれた。電報も二度打ってきた。家のものが「また恋人からの手紙ですよ」と笑うくらいであった。
ところで十何年来の希望が達せられて、いよいよ今度初会見が実現することになった。七月十三日の午後二時四十五分。飛行機がリノ飛行場の上空で、着陸の姿勢をとった時は、われながら少々興奮したようであった。十三年来の「知己」に初めて会うのだから、少しくらい興奮してもまあ仕方がない。ネバダの真夏の強い日光が、空港の建物の影を、真黒く地上に印している。その影と光との境のところに、チャーチ博士が、帽子も冠らずに、立っておられた。不思議なもので、写真すら一度も見たことがないのに、すぐそれと分った。ただ一つ意外だったことはチャーチ博士の年齢であって、『老齢学』でもちょっと書いたように、今年アメリカ流の八十二歳であった。
リノ滞在一週間のうち、ネバダ山脈中の雪研究所を訪ねた二日を除いては、毎日のように、暇さえあれば、チャーチ博士の研究室でぶらぶらしていた。そしていろいろ話を聞いているうちに、初めは冗談かと思ったくらいの珍しい事実を知った。というのは、チャーチ博士は、現在は世界的に「積雪水量測定の父」と呼ばれているが、ネバダ大学では、美術史の教授であったというのである。
ミシガン大学卒業後、独逸へ行き、ミュンヘンとハイデルベルクとで、ラテン語とギリシァ語とを研究し、それで学位をとったというのが、チャーチ博士の前身である。それから一八九八年、私が生まれるより二年前に、このネバダ大学へ、ラテン語の教授として迎えられた。ついで美術史を担当することになって、それ以来ずっと、建築、絵画、彫刻の歴史を講義していたのである。
ところがこの美術史の教授には、冬の山登りという道楽があった。リノの近くにローズ山という美しい山がある。標高一万五百フィートというかなり高い山である。それがチャーチ博士の愛好した山であった。ローズ山及び附近の冬山を歩いているうちに、博士はこの山岳地帯の雪が、夏のネバダ州の一部を養う水となっていることに着目した。そして今日採雪器と呼ばれている測定器を考案して、遂に「積雪水量測定の父」となったのである。
採雪器などといっても、別にむつかしい器械ではなく、直径五センチくらい長さ一メートルほどのデュラルミンの筒である。それを何本も螺子でつぎ合わせて、深い積雪の層に挿し込み、ボーリングと同じやり方で雪を採るようになっている。このようにして採った雪の目方を測ると、雪を水に直した量、即ち積雪水量が計算される。この積雪水量を一つの流域の各地点で測定すると、その流域全体に積っている雪が何億トンあるかが分るわけである。
この雪は春になるととけて、そのかなりの部分が川に流れ出す。それで春さきから夏にかけて川に流れ出て来る水量は、その流域全体の積雪水量できまるわけである。ところでアメリカの西半分は、年中ほとんど雨が降らない沙漠地帯または半沙漠地帯である。水資源というものはそのほとんど全部が、冬の間に山岳地帯に降る雪である。それで山岳地帯の積雪水量が多い年は、夏になって水に恵まれる。雪の少ない年は水が不足して大いに困る。それでアメリカの西部では、雪というものが、非常に大切な資源なのである。日本では雪といえば、すぐ雪害という言葉を連想するが、アメリカではその反対なのである。
「積雪水量測定の父」チャーチ博士の業蹟は、それでアメリカを初め、水に恵まれない世界各国では、かなり重視されているのである。十五年間にわたる国際雪氷委員会総裁としてのチャーチ博士の仕事は、この積雪水量測定に重点があった。そして昨年の八月、八十一歳の時、老齢の故をもって引退したのである。