Chapter 1 of 4

十二月十二日に貧しい百姓の菊次さんは、雲華寺の和尚さんが米初穂をあつめて廻るのにお供していきました。

米初穂といふのは、ことしの秋とれた新しいお米のことで、村の百姓達はそれを少しづつお寺にささげて、仏様にのちの世のことを頼んだのであります。

和尚さんが村の家々の戸口に立つて、短い経を読むと、百姓達はもうちやんと知つてゐて、新しい米を枡に入れて奥から出て来ます。そのお米を受取つて袋に入れ、ふごで、になつていくのがお供の菊次さんの役目でありました。

さて、その年の秋はお米が豊作でしたので、百姓達はをしまずに、たくさんお初穂を出しました。で、ぢき二つの袋はいつぱいになり、そのつど菊次さんは、お寺のお庫裡の米櫃まで、お米をあけにいかねばなりませんでした。日暮までに菊次さんは、五へん通ひました。そして、もうすぐ、また袋がいつぱいになるといふところで、日も暮れ、ちやうど村の家も終つてしまひました。

「もう、日が暮れたが、烏谷の方はどうしようか。」

と和尚さんが、首をかしげながらいひました。烏谷といふのは、十五町くらゐはなれた谷の底の部落で、百姓の家が五軒あるきりでした。けれど烏谷の百姓達はたいそう、うまい酒をつくつて持つてゐたのであります。

「もう米もだいぶ、たまつたやうだが、烏谷の方はどうしようか。」

と和尚さんがまたいひました。

「さアー。」

とお酒の嫌ひでない菊次さんは、ながくひつぱるやうに答へました。

「烏谷にいつて来ると帰りが夜になつてしまふが、行つたものか、どうしたものか。」

と、やはりお酒の嫌ひでない和尚さんは、数珠をつまぐりながら三度いひました。

「さァ――。」

と菊次さんは、まへよりながくひつぱつて答へました。

「ええ、ままよ、行くとしよう。菊次さ、お前、いやなら、一人で戻らつしやい。」

といつて和尚さんは谷の方へ歩き出しました。

「どうしてわしが戻りませう。和尚さんのお供なら、地獄の釜の中でも、いやぢやございません。」

と菊次さんはいひながら、あわてて和尚さんのあとについていきました。

烏谷にいきつくと、はたしてそこの一軒の百姓家では、おいしい酒を樽から一升枡についで来て、御馳走してくれました。

和尚さんは、

「酒好きに酒をのませる、こんなくどくはありませぬぞや。これがすなはち仏の説きたまふ慈悲ぢや。」

などと、お説教みたいなことをいつたり、

「この酒は西の泉の水で仕込んだか、東の泉の水で仕込んだか。なに、西の泉の水で? それそれ、うまいはずぢや。あの西の泉の水はただ飲んでもうまいでのう。」

などと、ほめたりして、たくさんのみました。

菊次さんは菊次さんで、閾に腰をおろし、手拭を両手でしぼりながら、

「いえもう、たくさんで、わしはお供でござんすから。」

といつたり、

「いや、和尚さんは荷物がないから、いくら頂いてもようござんすが、わしは荷物がありますで、あんまり頂くと動けなくなりますから。」

といつたりして、やはりたくさんのんだのであります。

その家を出ると、まだあと一軒残つてゐましたが、和尚さんは、げつぷをしながら、もう帰らう、といつて、細道をのぼりはじめました。

もう夜でありました。ひるまから空にかかつてゐた月が、輝きはじめて、細道のかどに咲いてゐる山茶花のはなが、つめたく白く見えてゐました。

道は畠をうねくねとまがりまがつて、村の方へのぼつていくのでありました。四五町のぼつて来たときに、二人はうしろから呼ぶ声をききました。

「待つてくだせえ――、をつさアん。」

と誰かが谷底の方で呼んでゐました。

「何だらう。何か忘れ物でもして来たかな。」

と和尚さんは、自分の身のまはりを撫でたり、抑へたりして見ました。

「いま、すぐに行きますに、待ちなすつてくだせえ――。」

と年寄らしい声はいつてゐました。

そのうちに、月の光に人の影らしいものが見えて来ました。

「ちんばですね。」

と、またしばらくして菊次さんがいひました。その人影はひよつくりひよつくり近づいて来たからです。

「ああ、苦しい苦しい。いやお待たせ申して、すみません。なんの、わしは、これを持つていつて貰ひたうて追つて来ましただ。」

息を切らせながらのぼつて来た、びつこの年寄が、二人の前にさし出したのは、お米のはいつたお椀でありました。

「うん、さうか。わしはまた何かと思つた。」

と和尚さんは、つまらなささうに、そのお椀を受けとつて、いひました。

「いや、お待たせして申しわけごぜえませんだ。だが、いま和尚さんが烏谷へお初穂においでなすつてもうお帰りになつたときいて、わしだけお初穂をあげないでゐちや仏様に相すまぬと思ひましただ。どうぞよろしくお願ひしますだ。」

年寄のびつこの百姓は、重い役目を果した者のやうに、顔をかがやかせながら、また坂道を下つていきました。

もう二つの袋はいつぱいでしたので、菊次さんはお椀のまま、ふごの隅にのせました。お酒を三、四合のんだくらゐで、そのお米をこぼすやうな下手なになひ手ではないつもりだつたのです。

しかし、すこしいつたところで、菊次さんは石につまづきました。お椀はひつくりかへつて、土の上に白くお米が散りました。

「わツ、こりやツ。」

菊次さんはあわてて、両手でお米をかきあつめました。そしてお椀に入れました。

すると和尚さんはそのお椀を手にとつて見て、また地べたにぱつとお米を捨てました。

「こりや、土がまじつてをつてだめだ。」

菊次さんはぼんやりと地めんに散つたお米を見てゐました。

「こりや、かうしとけばよからう。」

と和尚さんは足でそのお米をちらしました。

菊次さんは眼をまるくしました。何といふことを和尚さんはなさるのだらう。お米を足で蹴散らすとは。

けれど菊次さんもすこしお調子者でありました。それにお酒が頭にまでまはつてゐました。

菊次さんもやにはに片足を出して、和尚さんのまねをしてしまつたのであります。

かうして、びつこの爺さんが、息を切らして持つて来たお椀にいつぱいのお米は、お酒に酔つた二人の足でけちらされ、見えなくなつてしまひました。

「ああ、さつぱりした。」

と和尚さんはいつて、よろよろ歩きだしました。

菊次さんは、空のお椀を力まかせにあちらへ投げました。お椀ははじめ、まつすぐに黒く飛んでいきましたが、きらりと光つたかと思ふと向きをかへて、竹藪の中へななめに落ちこみました。

菊次さんもこれでさつぱりしたやうな気がして、またふごをになひました。

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