Chapter 1 of 8

「あ、あ、あ、あ、あ」

ガラツ八の八五郎は咽喉佛のみえるやうな大欠伸をしました。

「何と言ふ色氣のない顏をするんだ。縁先で遊んで居た白犬が逃出したぢやないか、手前に喰ひ付かれると思つたんだらう」

のんびりした春の陽ざしの中に、錢形平次も年始疲れの、少し奈良漬臭くなつた足腰を伸ばして、寢そべつたまゝ煙草の烟の行方を眺めて居たのです。

「だがね、親分、正月も三ヶ日となると退屈だね。金は無し、遊び相手は無し、御用は無し、――そこで考へたんだが、二度年始廻りをする術はないもんでせうか――明けましてお目出度う、おや八さん、昨日も年始に來たぢやないか、へエー、そんな筈はないんだが、あつしは暮から風邪を引いて今日起き出したばかりですよ、それは多分八五郎の僞者でせう――なんて上り込む工夫はないものかな」

八五郎の想像は、會話入りで際限もなく發展して行きます。

「馬鹿野郎、――よくもそんな間拔けな事が考へられたものだ」

「――それも樽を据ゑた家に限るね、一升買ひの酒ぢや、飮んでも身にならねえ」

「呆れた野郎だ」

「でなきア、御用始めに、眼の玉のでんぐり返るやうな捕物はないものかなア。親分の前だが、今年こそ、うんと働きますぜ。江戸中の惡黨が、八五郎の名を聞いただけで眼を廻す――てな事になると――」

「八、氣を付けるがいゝぜ、雪の無い正月で、いやにポカポカするから」

「ね、親分、今度はあつしに任せて下さいな、どんな事でも、一人で捌いて世間の人をアツと言はせますから」

「いゝ氣なものだ、――おや、さう言へば御用始めらしいぜ、手前逢つて見るか」

平次が隣室に隱れる間もありません。バタバタと入つて來たのは、若い男。

「錢形の親分さん、た、大變、――すぐお出で下さい」

突きのめされさうな聲です。二十五六、大店の手代風ですが、餘程面くらつたものと見えて、履物も片跛、着物の前もろくに合つて居りません。

「お前さんは、何處から來なすつたえ」

八五郎は精一杯の威儀を作ります。

「安針町の、さ、相模屋から參りましたが、――わ、若旦那が昨夜――」

手代はゴクリと固唾を呑みました。

「これを飮んで少し落着いてから話すがいゝ。さうあわてちや却つて筋が通らねえ」

平次がぬるい茶を一杯くんで出すと、それを一と息に呑ほして、暫くホツと胸を撫でおろします。

「若旦那が何うした――」

と平次。

「昨夜殺されましたよ」

手代はぞつと身を顫はせます。

「昨夜殺されたと、何だつて今頃あわてゝ飛んで來るんだ。あの邊は第一、小網町の仙太の繩張ぢやないか」

ガラツ八は少しむくれて見せました。

「さう言ふな、八、――ね番頭さん、お前さんが下手人の疑ひを受けたんだらう」

「えツ、どうしてそれを、親分さん」

「昨夜の殺しを、今頃あわてゝ俺のところへ言つて來るのは、よく/\困つたことがあるからだらう」

平次は落着いた調子で圖星を指します。

「小網町の親分が、――一人も外へ出ちやならねえ、世間の口にのぼる前に、下手人を搜し出すから――つて」

「仙太兄哥のやりさうなことだ、――ところでどんな事になつて居るんだ、詳しく話して見るがいゝ、次第によつちや、――お前さんが本當の無實なら力になつて上げないものでもない」

「有難う存じます、――私は相模屋の手代の與母吉と申しますが、災難は何處に轉がつて居るかわかりません。斯う言ふわけで――」

手代の與母吉は漸く落着いて話し始めました。

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