一
「親分ちよいと――」
ガラツ八の八五郎は、膝つ小僧で歩くやうに、平次のとぐろを卷いてゐる六疊へ入つて來ました。
「なんだ八、また、お客樣をつれて來たんだらう。今度は何んだえ、若い人のやうだが――」
「どうしてそんなことが判るんで? 親分」
「お前の顏にさう書いてあるぢやないか」
「へエ――」
ガラツ八は平手で長んがい顏をブルブルンと撫で廻すのです。
「平手で面を掻き廻したつて、人相が變るものか。馬鹿だなア」
「へエー、そんなもんですかねエ」
「庭へ長い影法師が射して、折角明神樣の森から來た、藪鶯が啼き止んだぢやないか。若くてイキの良い人間が門口に立つてゐることが解らなくてどうするんだ」
「成程ね、さう聽くと一向他愛もありませんね。おい、番頭さん、遠慮することはねえ、親分は見通しだ、ズツと入つて來なさるがいゝ」
ガラツ八は表の方へ身體をねぢ曲げて、門に立つてゐる人を呼込むのでした。
「それぢや親分さんは逢つて下さるでせうか」
「逢ふも逢はねエもあるものか、俺が承知だ。眞つ直ぐに入つて來るがいゝ。ねえ親分、これが本銀町の淺田屋の番頭で、幸吉さんといふんだが、兎にも角にも、一つ話を聽いてやつて下さいよ」
ガラツ八は平次の引込み思案にものを言はせないやうに、外に待たした客を呼込むと、萬事心得て平次の前へ押しやるのです。
近頃江戸中に響いた平次の名を慕つて、流行易者ほど相談事が殺到するのを、お上の御用以外は、梃子でも動くまいとする平次は、その大部分は追つ拂ひましたが、中にはそれを心得て、女房のお靜や子分の八五郎の手を經て、こんな調子に持込むのも少くなかつたのです。
紛失物を嗅ぎ廻したり、女出入りの仲裁までさせられるのは、平次にしても、有難くはありません。が、どうかするとその愚にもつかぬ相談事の中に、飛んでもない事件が孕んでゐたりするので、活動家のガラツ八は、一々チヨツカイを出して、一つでも多くの事件を取込まうとするのです。
「八、何んだか知らねエが、ひどく心得てゐるぢやないか。それほど力瘤を入れるならお前が埒をあけてやつたらよからう」
平次は少し苦りきります。
「それが、あつしぢやどうしても解らないんで、――一と月も前から首を捻つたり、腕を組んだり、ありつたけの智慧を絞り出して見ましたがね」
八五郎の話は相變らず空つとぼけたやうな、そのくせ精一杯の眞劍味がありました。
「親分さん、お願ひでございます。私はもう心配で/\、一日もヂツとしてはゐられません。お願ひでございます」
八五郎のつれて來た、本銀町淺田屋の番頭幸吉といふ二十三四の若い男は、疊の上に兩手を突くのでした。
小柄で、色が淺黒くて、あまり良い男振りではありませんが、突き詰めた樣子や、一生懸命な眼の色に、何にか妥協の出來ない正直さを見ると、素氣なく追ひ返しもなりません。
「お前さんは、餘つ程思ひ詰めてゐるやうだが、一體どんなことがあつたんだ。ことと次第ぢや、隨分相談相手位になつてあげよう」
平次もツイ膝を進めました。
「外ぢやございません。去年の春あたりから、不思議な手紙が主人のところへ參るのでございます」
「不思議な手紙といふと?」
「何んにも書いてない、白紙の手紙でございます」
「?」
「最初の手紙が來たときは、主人も大笑ひに笑つて、――こいつは日本一のあわて者だらう――と申して私共店のものにも見せましたが、二本目は默つて私に渡し、三本目は誰にも見せないやうに御自分の部屋へ持つて入り、四本目は――」
「一體その白紙の手紙といふのは、何本來たんだ」
「丁度一年前から、毎月一本づつ、十一本も參りました」
「――」
平次は默つてしまひました。
「十二本目は多分今日――遲くも晩までには來ることでせう。――白紙の手紙なんか何が怖いと仰しやるかも知れませんが、文句を書いた手紙なら、こんなに心配はいたしません。強請や脅かしにしたところで、金を出せとか、命をくれとか、どんな恐しいことを書いてあつても、書いた人間とそののぞみの見當が付きます。それが白紙の手紙となると――」
幸吉はゴクリと固唾を呑むのです。
「その手紙の來る日は決つてゐるんだね」
平次はさすがに大事なところに氣が付きました。
「月の十七日、二年前、先代徳兵衞樣の亡くなつた日で御座います」
「誰が持つて來るんだ」
「最初は使ひ屋でございました。吉原から華魁衆の手紙を束にして持つて來る使ひ屋の男が、小僧を呼出して、旦那へそつと渡すやうにと言つて置いて行つたさうで――」
「なかの使ひ屋は、筋の良い手紙は滅多に持つて歩かないから、それくらゐのことはどこへ行つても言ふよ。――その使ひ屋をつかまへて訊くと、頼んだ人が判るわけだが――」
と平次。
「ところが、此方でさう氣の付いた時は、もう使ひ屋は來ません。何時、誰の仕業とも判らず、店先へ抛り込んで行きます」
「フム」
「白紙の手紙が一本づつ多くなると、店中は次第に暗くなります。何時どんなことがあるか、私達奉公人でも氣になるくらゐですから、主人の身になると、痩せるほど苦勞なさるのも無理はございません」
「主人がどうかしたのか」
「二た月ばかり前から病人同樣で、この四五日はお氣の毒なくらゐ萎れ返つてをります。これで十二本目の手紙を受取つたら、どんなことになるか、あんまり心配なので、ツイ八五郎さんにお願ひして、親分におすがり申し上げたやうなわけで御座います。――主人は? 飛んでもない、私がこゝへ參つたことも存じません。へエ」
若い番頭の幸吉は、言ひ了つてそつと額の汗を拭くのです。それほど一生懸命になる番頭の樣子はツイ平次を乘出させるほどしをらしいものでした。