一
「親分、何かこう胸のすくようなことはありませんかね」
ガラッ八の八五郎は薄寒そうに弥蔵を構えたまま、膝小僧で銭形平次の家の木戸を押し開けて、狭い庭先へノソリと立ったのでした。
「胸のすく禁呪なんか知らないよ。もっとも腹の減ることならうんと知ってるぜ。幸いお天気が良いから畳を干そうと思っているんだ。気取ってなんかいずに、尻でも端折って手伝って行くがいい」
「そいつはあやまりますよ、親分」
「馬鹿野郎、箒へお辞儀なんかしたって、大掃除の義理にはならないよ。畳をあげるのが嫌なら、その手桶へ水でも汲んで来て、雑巾掛けの方を手伝いな」
「畳をあげるより、犯人を挙げる口がありませんか、親分」
「仕様のねえ野郎だ。そんなに御用大事に思うなら、俺の代理に鍛冶町の紅屋へ行ってくれ。――俺は怪我や変死にいちいち立会うのが嫌だから、鎌倉河岸の佐吉親分に任せてあるんだ――」
「鍛冶町の紅屋に何があったんです? 親分」
「紅屋の居候のような支配人のような弥惣という男が、ゆうべ土蔵の中で変死したそうだよ。検屍は今日の巳刻(十時)、今から行ったら間に合わないことはあるまい」
「それじゃ親分、大掃除よりそっちの方を手伝いますよ」
八五郎は言い捨てて飛び出しました。
紅屋――といっても、手広く唐物袋物を商った店で、柳営の御用まで勤め、昔は武鑑の隅っこにも載った家柄ですが、先代の藤兵衛は半歳前に亡くなり、跡取りの藤吉という二十三になるのが、番頭の彦太郎や、自分では支配人と触れ込んでいる居候上がりの弥惣を後見に、どうやらこうやら商売をつづけているのでした。
その支配人の弥惣が、けさ小僧の定吉が土蔵を開けてみると、思いも寄らぬ長持の奥――、かつてそんな物があるとも知らなかった石の唐櫃の蓋に首を挟まれて、虫のように死んでいたのです。
ガラッ八の八五郎が行った時は、一と足違いに検屍が済んで、役人はもう帰った後。鎌倉河岸の佐吉も帰り仕度をしているところでした。
「お、八五郎兄哥か、少し遅れたが、どうせ大したことじゃないから――。無駄足になったな、銭形の親分は?」
「大掃除で真っ黒になっていますよ」
「それでよかったよ。弥惣の死んだのは間違いに決ったし、唐櫃の中の八千両の小判を拝んだだけが役得みたいなものさ。――もっともこちとらのような貧乏人には眼の毒かも知れないが――」
気の良い佐吉は、そう言って笑うのです。
「八千両ですって?」
ガラッ八はさすがに胆を潰しました。十六文の蕎麦を毎晩二つずつ喰える身分になりたいと思い込んでいる八五郎にとっては、八千両というのは全く夢のような大金です。
「そいつを取出そうと、石の唐櫃の中へ首を入れたところを、突っかい棒が外れたから何十貫という蓋が落ちたのさ」
「ヘエ――」
そう聴いただけでも、何かガラッ八には容易ならぬものの臭いがするのでした。
「不断やっとうの心得があるとか、柔術がいけるとか、腕自慢ばかりしていた弥惚だが、石の唐櫃に首を挟まれちゃ一とたまりもないね」
「そいつは後学のために、現場を見たいものですね、佐吉親分」
ガラッ八は押して頼みました。
「なるほど、そう言われると面倒臭がっていちゃ済まねえ。幸い現場はそのままにしてあるから、まず死骸から見て行くがいい」
鎌倉河岸の佐吉はガラッ八を案内して、もういちど紅屋の奥へ引返しました。
店から住居を抜けると、裏は二た戸前の土蔵と物置があって、その間に弥惣父子の住んでいる小さい家があります。
「どうして紅屋の先代が、あんな男を店へ入れたか、――死んだ者の悪口をいうわけじゃねえが、弥惣というのは一と癖も二た癖もある男だったよ」
五十男の佐吉は、平次には幾度も幾度も助けられているので競争意識を離れて、ガラッ八にこう話して聴かせるのでした。
弥惣の家は小体ながら裕福そうで、紅屋の支配人と言っても恥しくないものでしたが、検屍が済んで土蔵から死骸を移したばかりなので、上を下への混雑です。
「気の毒だが、銭形の親分ところの八五郎兄哥がちょっと拝んで行きたいと言うから――」
佐吉が弁解しながら入ると、
「どうぞ、よく御覧下さいまし。私はどうも、親父が怪我や過ちで死んだとは思えませんが――」
そう言って案内してくれたのは、死んだ弥惣の倅で、二十五になるという弥三郎でした。もとはどんな暮しをしたか判りませんが、商人には向きそうもない肌合いの男で、少し取りのぼせてはいながらも、言うことはひどくキビキビしております。
「あ」
膝行り寄って線香をあげて、死骸を覆った巾を取りのけて、物馴れたガラッ八も思わず声を立てました。
「ね、親分さん、あんまり虐たらしいじゃありませんか。万一あれが過ちでなかったら、仏は浮かばれません」
弥三郎は側から血走る眼で見上げます。
死骸は全く二た目と見られない無慙なものでした。石の唐櫃へ双手を入れたところを、上から数十貫の蓋に落ちられたのでしょう。首から肩へかけて泥のように砕けているのです。
「気の毒なことだったな。――ところで、ほんの少し訊きたいことがあるが」
ガラッ八は平次仕込みにきり出しました。
「へ、どんなことでも訊いて下さい。親分さん。――私の口から言うと変ですが、親父は石の唐櫃の蓋に挟まれて死ぬなんて、そんな間抜けな人間じゃありません」
「やっとうの心得があったというじゃないか」
と八五郎。
「自分では目録だと言っていましたが、少しは法螺があったにしても剣術は自慢でしたよ」
弥三郎はそんなことを言うのも少し得意そうでした。
「紅屋とは、どんな引っ掛りがあったんだ。三年ほど前にこの家へ入ったという話だが」
ガラッ八は問い進みます。
「先代の旦那が若いとき、小夜の中山で山賊の手に陥ちて難儀しているところを、私の親父に助けられたとかいう話で、たいそう恩に着ていましたよ。今から三年前、久し振りで江戸へ来て、この店へ訪ねて来ると、恩返しをしたいから、親子二人ともぜひ足を留めるようにと、たってのお言葉で、とうとうお店の支配をする約束で、ここに住むことになりました」
「土蔵の石の唐櫃に、八千両の金のあることを、お前は知らなかったのか」
八五郎の問いは方向を変えました。
「少しも知りません」
「父親は?」
「そりゃ、店の支配を頼まれたくらいですから、知っていたでしょう」
「ゆうべ家を抜け出して、土蔵へ入ったことをお前は知っていたはずだと思うが」
「気がつきませんでしたよ。部屋が離れている上、私は大寝坊で」
そう言われると、それっきりのことです。