Chapter 1 of 6

師走に入ると、寒くてよく晴れた天氣が續きました。ろくでもない江戸名物の火事と、物盜り騷ぎが次第に繁くなつて、一日々々心せはしく押し詰つた暮の二十一日の眞夜中。

「おや?」

神田鍋町の呉服屋、翁屋の支配人孫六は、何にか物に脅かされるやうに眼を覺しました。土藏の方から、異樣な物音が聽えて來たのです。

土藏の中には、商賣物の呉服太物と、暮の間に問屋筋への拂ひに當てるために、ひと工面して諸方から掻き集めた金が、ざつと千兩も入つてをります。萬一それを盜られでもした日には、老舖翁屋の暖簾を掛けたまゝ正月は迎へられないことになるでせう。

「?」

もう一度異樣の物音。それは夜の怪鳥の聲でなければ、土藏の戸前のきしむ音でなければなりません。

孫六は飛び起きて帶を締め直し、一歩踏み出さうとしましたが、思ひ直して引返すと、箪笥の上に置いてあつた用心の脇差を提げて、隣の部屋に寢てゐる伜の孫三郎に聲を掛けました。

「變な音がするから、ちよいと裏の方を覗いて來るよ。あとを氣をつけてくれ」

「――」

よく目の覺めきらない孫三郎のムニヤムニヤ言ふのを背に聞いた、老支配人の孫六は裏口からそつと外へ出た樣子です。

それからものの煙草を二三服吸ふほど經つて、土藏の方から、何やら聞えたやうにも思ひますが、孫三郎もそこまでは判然わかりません。

やがて、ワツと押し潰されたやうな恐ろしい聲を聽くと、孫三郎は事態の容易ならぬを直覺して、彈き上げられたやうに飛び起きました。

開け放したまゝの裏口から跣足で飛び出した孫三郎は、漸く屋根の波を離れた遲い月の光の中に、

「あツ、父さん」

紅に染んで土藏の前に倒れてゐる、父親の孫六を抱き起してゐたのです。それは實に一瞬の間に起つた大動亂でした。

「父さん、どうしたんです。誰がこんなことを――」

伜孫三郎の腕の中に、辛くも擧げた孫六の顏は、月の光の中ながら藍を刷いたやう、自分の脇差に胸を貫かれて、最早頼み少ない姿です。

「父さん、確りして下さい。誰がこんなことしたんです。誰が、どこの誰が、父さん」

さう言ふ孫三郎の顏を、死に行く父親の眼は凝つと見詰めました。

「逃げたよ、――よその人だ、――あの男だ」

「どこへ逃げたんです」

孫三郎は逃げた曲者を追はうとしましたが、自分の腕の中に、死んで行く父親の姿を見ると、それもならずに立ち縮みます。

「無駄だ、――それより、金を」

父親の眼を追つて行くと、土藏の入口には錢箱が一つ、中から落散つた小判が、夜目にも鮮かに輝きます。

「金は大丈夫ですよ、盜られやしません。それより氣を確かに持つて下さい。今誰かを呼んで來ますから」

「待つてくれ。俺はもう」

「あ、父さん」

「――」

「確りして下さい。父さん」

孫三郎は父親の命を取止めようと骨を折りましたが、その時はもう力が盡きたものか、生命の最後の痙攣が走ると、伜の腕の中にがつくりと崩折れてしまつたのです。

「どうした、孫三郎どん」

「何が始まつたんだ」

裏口から手代の徳松と、下女のお福と、それに續いて主人の妹お梅とが一團になつて飛び出しました。少し遲れて大勢の奉公人達、最後に若主人の半次郎、これはひどく取亂して、寢卷の帶を結んだり解いたり、死骸の側へも寄れないほどの脅えやうです。

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