Chapter 1 of 5

「お早よう」

ガラツ八の八五郎は、尋常な挨拶をして、愼み深く入つて來ると、お靜のくんで出した温い茶を、お藥湯のやうに押し戴いて、二た口三口啜り乍ら、上眼づかひに四邊を見廻すのでした。

「どうした八、大層御行儀が良いやうだが、何んか變つたことでもあつたのかい」

錢形平次は縁側に寢そべつたまゝ、冬の日向を樂んで居りましたが、ガラツ八の尤もらしい顏を見ると、惡戯つ氣がコミ上げて來る樣子で、頬杖を突いた顏を此方へねぢ向けました。

「何んでもありませんよ。ほんのちよいとしたことで」

「さうぢやあるまい、何んかお前思ひ込んで居るだらう。借金取に追つ駈けられるとか、義理が惡い昔馴染に取つちめられたとか」

「そんな事じやありません」

「だつて、急に起居振舞が少笠原流になつたり、膝つ小僧がハミ出してる癖に、日本一の鹿爪らしい顏をしたり、お前餘程あわてて居るんだらう」

「なアに、ほんのちよいとした事があつただけですよ」

「何んだそのちよいとした事てえのは? 氣になるぜ、八」

「實はね、親分」

「恐しく突き詰めた顏をするぢやないか。何んだい」

「笹屋のお松が三輪の親分に縛られたんですよ」

それは當時、兩國の水茶屋の茶汲女の中でも、番附に載る人氣者で、ガラツ八の八五郎も、一時は夢中になつて、毎日通つた相手だつたのです。

「何んか惡い客の卷添にでもなつたのか」

「そんな事なら心配しませんがね、人殺しの疑ひが掛つたんだ相で」

「人殺し?」

「親分はまだ聞きませんか、昨夜平右衞門町の河岸つ端で、浪人者の殺された話を」

「聽いたよ、福井町の城彈三郎といふ評判のよくない浪人者が、脇差で胸を突かれて死んでゐたんだつてね。――恐しく腕の出來る浪人者だといふぢやないか、茶汲女や守りつ娘には殺せねえよ」

「ところが、三輪の萬七親分は、お松を縛つたんで、――尤もお松は惡い物を持つて居ました」

「何を持つて居たんだ」

「ギヤマンの懷鏡、――こいつは男の癖にお洒落だつた城彈三郎の自慢の品だつたんで」

「フーム」

「今朝友達に見せてゐるところを、運惡く城彈三郎殺しの下手人搜しに來て居る、お神樂の清吉に見られてしまつたんです」

「怪しい品なら、岡つ引の見る前で出す筈は無いぢやないか」

平次はさすがに氣が付きます。

「だからお神樂の清吉が、そのギヤマンの懷鏡を何處から出した。貰つたら貰つたで宜いが相手を言へと責めたが、お松はどうしても言はねエ」

「その懷鏡をくれた相手に心中立をしてゐるんだらう。お松を張るのは無駄だよ、八。宜い加減にして止すが宜い」

「そんなつもりぢやありませんよ。――あつしは、お松を助けようとも何んとも思つちや居りません。唯、親分が訊くから、ちよいと話しただけで」

ガラツ八は急に堅くなりました。

「さうか。そんな遠慮があるから、小笠原流で番茶なんか飮んで、恐しく突き詰めた顏をして居るんだな。何時もの八五郎なら、大變ツ/\と大變のつき物がしたやうに飛込むところだ」

「親分」

「宜いよ、行つて見るよ。今日俺の方から出かけて行つて、お松の繩を解いてやらう。尤も、繩を解いても、お松はお前のところへは轉げ込まないよ」

「親分――あつしはお松のことなんか何んとも思つちやゐませんよ。唯この一年ばかり、毎日のやうに顏を見て、お茶をくんでくれた相手だから――」

「毎日行つたのかえ、本當に」

「へエ、面目次第もありません」

「馬鹿だなア」

平次はさう言ひ乍らも、立ち上がつて仕度しました。

Chapter 1 of 5