Chapter 1 of 6

「親分、大變な者が來ましたよ」

子分の八五郎、ガラツ八といふ綽名の方がよく通るあわて者ですが、これでも十手捕繩を預かる、下つ端の御用聞には違ひありません。

「何んだ? 今更借金取なんかに驚く柄ぢやあるめえ。ズイと通しな」

江戸開府以來と言はれた捕物の名人錢形の平次は、それでもとぐろをほどいて居住ひだけは直しました。まだ三十代に入つたばかり、燻したやうな澁い人柄で、ざらの『好い男』扱ひにするには勿體ない肌合ひの男です。

「女ですよ、親分」

「女に驚いた日にや、叔母さんに小言を言はれる度に眼を廻さなきやなるまい」

「それも唯の女ぢやねエ、兩國で江戸中の人氣を湧き立たせてゐる娘手品師のお關――良い女ですぜ」

「馬鹿野郎、涎を拭いて丁寧に通すんだ。何時までも大玄關に立たせて置くと、お客樣が夕立に流されるぞ」

「へツ、大玄關は嬉しいね」

ガラツ八は泳ぐやうな足取で入口に引返しました。この掛合ひが、平次の所謂大玄關まで筒拔け、丁度その時追つ立てるやうにザーツと一と夕立來ると一と打二た打眼を射る猛烈な稻光り、彈くやうな雷鳴が、押つ冠せてガラガラツと耳をつん裂さきます。

「あつ」

その雷鳴に尻を引つ叩かれたやうに、ズブ濡れの女が一人、會釋もなく飛び込んで來ました。尤も格子を開けて障子を押し倒して、取次の八五郎を突き飛ばせば、もう厭も應もなく平次と顏を合せなきやなりません。

「御免下さい、親分。私はあんまりびつくりして」

女は敷居際にヘタヘタと坐ると、單衣の袂でいきなり自分の襟やら首やらを拭いてをります。年の頃は二十歳か二十一、白粉ツ氣はありませんが、表情的で仇つぽくて、身のこなしが滅法艶めかしい上、少し大きい顏の造作も、舞臺馴れた人によくある不思議な吸引力を持つてをります。

「大層物驚きをするぢやないか。俺はまた綺麗な雷獸が飛び込んだのかと思つて膽をつぶしたよ」

「あれ、親分」

お關はさすがに極り惡さうでした。

「ところで何んの用事で飛び込んで來たんだ。まさか雨宿りぢやあるまい」

「え、大變なことが起りました。是非親分のお力を拜借して――」

「斷つて置くが、俺は喧嘩出入りと金のこと、それから色事に首を突つこむことは御免だよ」

平次は一服吸ひ付けて、大きく手を振りました。安煙草の烟を拂ひ退けでもするやうに。

「そんな氣障なんぢやありません。御存じでせうが、私の妹分のお玉、――あの娘が見えなくなつたのです」

「何? お玉が行方知れずになつたといふのか」

それは兩國中の見世物小屋を壓倒した、明星のやうな人氣者でした。藝はさしたることはないにしても、その磨き上げられたやうな冷たい美しさが呼物になつて、姉のお關以上に江戸中の人氣をさらつてゐたのです。

「ですから親分」

お關は持前の彈力的な身體をくねらせて美しい指先をかう拜む形に合せたりするのでした。

「お玉は幾歳だえ」

「十八ですよ」

「親許は?」

「可哀想にそんなものはありません。あんな稼業をしてゐる者は大抵さうですが」

「お前とは眞實の姉妹ぢやなかつたのだな」

「え」

平次は忙しく煙草を詰めて二三服立て續けに喫ふと、夕立の後で庭へ出て來る蟇蛙のやうに、後ろ手を突いて大きく息をしました。

「どうでせう親分」

「あの容貌で十八で、頼りになる親がないと來ると、卦の面は戀と出るな」

「飛んでもない親分」

「先刻も言ふ通り、色事に十手は禁物だ。こいつは御免蒙つた方が無事らしいぜ」

「そんな氣障なんぢやございませんよ。歳こそ十八ですが、玉ちやんはからつきしねんねで、男と聽くと、木戸番の爺さんに聲を掛けられてもイヤな顏をするんですもの」

「當てになるものか、小娘と何んとやらだ」

「ね、親分、本當にお願ひでございます。私にできるだけのお禮はいたしますが」

「お禮附の仕事なんかは眞つ平だよ」

「本當の姉妹ではないけれども、私はあの娘が可愛くて可愛くてならないんですもの。親分、この通り」

お關は濡れた肩を落して、疊の上へ華奢な手を突くのでした。美しい眼が少しうるんで意氣な鬘下が心持顫へます。

「何處、何處からゐなくなつたんだ」

「昨夜、本所石原の宿から、フラフラと出た樣子でございます。朝顏を染めた中形の浴衣を着たまゝで」

「何にか心當りはないのか」

「物心のつく前から、旅藝人の中で育つて、親も兄弟も判らないのを苦にしてゐましたが、近頃何んでも、――私も素姓がわかるかも知れない――と躁いだり、沈んだりしてゐました。私にしても覺えのあることですが、私達のやうなものが、なまじ素姓の知れるのは本當に怖いことですねえ。どうせ大名のお姫樣である筈はありませんが、萬一惡い人の子だつたりしちや――」

お關はさう言つて濡れた襟をかき合せるのでした。丁度その時、

「錢形の親分さんのお宅はこちらで?」

五十年輩の親爺が息せき切つて、危ない木戸を押し倒しさうに外から伸び上がりました。

「平次は俺だが――」

「あの、兩國から參りましたが、お關さんがこちらへ見えませんか」

「お關さんはこゝにゐるよ、何にか用事か」

「あ、爺さん、何んか急の用?」

掻き立てられるやうなあわたゞしい空氣に驚いて、お關も縁側へ顏を出しました。

「大變ですよ、お玉さんが」

「えツ」

不吉な豫感にお關は顫へ上がりました。

「死骸が百本杭で揚がつたんです。早く歸つて下さい」

「本當かい、それは?」

お關は暫らく氣拔けのしたやうに立ち盡しました。

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