Chapter 1 of 7

「八、丁度宜いところだ。今お前を呼びにやらうと思つて居たが――」

平次はお勝手口から八五郎の迎へに飛び出さうとして居る女房のお靜を呼び留めて、改めてドブ板を高々と踏み鳴らして來る、八五郎の長い影法師を迎へ入れたのでした。

「親分、お早やうございます」

「お早やうぢやないぜ、世間樣はもう晝飯の支度だ」

やがて江戸の街も花に埋もれやうといふ三月の中旬、廣重の鞠子の繪を見るやうに、空までが桃色に燻じたある日のことでした。

「何んか御馳走の口でもあるんですか、――尤も先刻朝飯が濟んだばかりだ――」

「あんな野郎だ。呆れてものが言へねえ、――お前路地の入口の邊で五十年配の下男風の男に逢つた筈だが」

「逢ひましたよ。ももんがあ見たいな――あの親爺が施主なんで?」

「馬鹿だなア、まだ喰ひ氣に取つ憑かれてやがる、――あれはお前駒込の大分限で、大地主の漆原重三郎の召使だ」

「へエ?」

「その漆原家に不思議なことがあつたので、娘のお新といふのが、下男の茂吉をそつと俺のところへよこしたのだ。直ぐ來て下さるやうにと、折入つての頼みだが、雲を掴むやうな話で、氣が乘らねえから、お前に瀬踏をして貰はうと思つたのだよ」

「へエ? あつしも氣が乘らなかつたらどうしませう」

斯う言つた遠慮のない八五郎です。

「馬鹿野郎、俺はあの邊に顏を知られ過ぎて居るし、冒頭つから人騷がせをしたくないからお前を頼んでゐるんぢやないか」

平次は到頭癇癪玉を破裂さしてしまひました。少しでも新しい事件を手掛けさせて、腕も顏もよくさせようといふ親心も知らずに、仕事の選り好みなどする八五郎が齒痒かつたのでせう。

「だから行きますよ。行かないなんて言やしません。雲だつて霧だつて掴みますとも」

「それに使をよこした漆原の主人の妹のお新といふのは駒込一番の良いきりやうで、吉祥寺が近いから、語り傳への八百屋お七の生れ變りだらうといふ評判を取つてゐるさうだ」

「行きますとも、そいつは是非あつしをやつて下さい」

「良い娘と聽くと、いきなり乘り出して來るから現金過ぎて腹も立たねえ」

「仕事の張合ひといふものですよ。親分、一體駒込の漆原にどんなことがあつたんで?」

八五郎は膝を前めます。平次のひやかしくらゐでは驚く色もありません。

「漆原の主人重三郎が一と月前に死んだのさ。年は三十五で病氣は三年も前から床に就いて居る長い間の癆咳。これは壽命で何んの不思議もないが、その後に殘された筈の七八千兩の大金が、何處に隱してあるか小判の片らも見えない」

「有るやうで無いのは金――と言つた落ちで?」

「いや、金は確かに七八千兩、どうかしたら一萬兩近くもあつた筈なんだ。これは支配人をしてゐる叔父の總兵衞も、手代の春之助も知つて居ることで、死んだ後で調べて見るまで、無くなつたことさへ氣が付かずに居たんだ」

「へエ」

「變な顏をするなよ、八。寶搜しは俺も嫌ひだ、そんなものを搜しに行けと言つてるわけぢやねえ。實はその寶搜しで人が一人死んだとしたら、どんなものだ」

「――」

「一應は怪我で死んだことにして葬ひを出すには仔細はないが、その死に樣が不氣味だから、一度見て置いてくれと、亡くなつた主人重三郎の妹で、今では跡取りのお新が、下男の茂吉爺やを使ひによこしたのだよ」

「それぢや兎も角行つて見ませう」

「急に彈みが付きやがつて――嫌な野郎だなお前は」

平次にからかはれ乍らも、八五郎は絲目の切れた凧のやうに飛び出してしまひました。

Chapter 1 of 7