Chapter 1 of 7

「親分、お早やうございます。今日も暑くなりさうですね」

御馴染の八五郎、神妙に格子を開けて、見透しの六疊に所在なさの煙草にしてゐる錢形平次に聲を掛けました。

「大層丁寧な口をきくぢやないか。さう改まつて物を申されると、借金取りが來たやうで氣味がよくねえ。矢つ張り八五郎は格子を蹴飛ばして大變をけし込むか、庭木戸の上へ長んがい顎を載つけなくちや、恰好が付かないね」

平次も充分相手が欲しさうでした。お盆が過ぎると、御用の方もすつかり暇で、八五郎が毎日持つて來てくれる情報も、巾着切や掻ツ拂ひがお職では、平次が出動する張合もなかつたのです。

「今日はお使者ですよ。大玄關から入らなくちや恰好がつかないでせう」

「成程御上使樣のお入りと來たか、そいつは氣が付かなかつた、――待ちなよ、胡坐をほぐして、肌くらゐは入れなくちや、そこで――御上使樣には先アづと來るか、鳴物が欲しいなア、八」

錢形平次と八五郎は、何時でもかう言つた調子で話を進めるのでした。それはひどくビジネス・ライクではありませんが、洒落の潤滑油が入ると、掛合のテムポが早くなつて、案外要領よく運ぶのです。

「それ程でもねえが、頼んだ相手が惡いから、親分は素直に聽いちや下さるまいと思つてね、ツイ格子を開けるんだつて、小笠原流になるぢやありませんか」

八五郎は首筋をポリポリと掻いてをります、餘程切り出し兼ねたのでせう。

「大層氣が弱いんだね、遠慮はいらないから、眞つ直ぐにブチまけなよ。どうせ御大身が召し抱へて下さる氣遣えはねえ」

「藥研堀の石崎丹後樣なんですがね――それ、ね。親分はあんまり良い顏はしないでせう」

「八五郎ぢやねえが、俺も生れつき二本差と田螺和は嫌ひさ、ことに石崎樣と來ちや苦手だね」

かつての堺奉行、俸祿千五百、役高を加へて三千石の殿樣でしたが、面白くないことがあつて御役御免になり、そのまゝ江戸に引揚げで、無役の閑散な日を送つて居ります。

「ケチで高慢で、口やかましくて、西兩國の唐辛子と言はれた殿樣だが、困つたことに叔母が世話になつてゐる大家の親爺が、石崎家の用人と眤懇だとやらで、錢形の親分を連れてきてくれと、たつての頼みだ」

「何があつたんだ」

「紛失物ですよ。身にも家にも代へられない寶だが、世間へ知れると殿樣のお名前にも拘はる、そつと取戻してくれたら、褒美の金は百兩」

「馬鹿野郎ツ」

平次はツイ怒鳴りたくなりました。夕立雲のやうな憤怒が、ムカムカと込み上げたのです。

「小判で百兩ですよ、親分」

「小判だつて青錢だつて、百兩に變りはねえが、俺はそんな仕事は嫌ひだよ」

「でも」

八五郎は押し返しました。百兩といふ金があれば、半歳溜めた家賃を拂つて、女房のお靜に氣のきいた袷を着せて、好きな國府の飛切りを、尻から煙が出るほどふかしても請け合ひ九十七八兩は殘る勘定だつたのです。惡いことを大眼に見て袖の下かなんかを取るのと違つて、チヨイと物を搜してやつて、百兩の褒美を貰ふのは、良心に恥ぢるほどの仕事ではないやうに、八五郎の太い神經では感じたのです。

「搜し物をしてやつて金を儲ける氣なら、兩國の橋の袂に出て、八卦屋を始めるよ。馬鹿々々しい」

「でも百兩ですよ、親分。相手は有り餘る金だ。御家の重寶讓葉の御鏡か何んかを、鼠の巣から見付けてやつて百兩」

八五郎は躍起と喰ひ下がるのです。日頃眼に餘る平次とお靜夫婦の苦勞が、この搜し物一つ解決しただけで、何んの造作もなく解消しさうで、このまゝに諦め兼ねるのも無理のないことでした。

「角の酒屋の女隱居が、三毛猫が行方不明になつたから、搜してくれと涙ながら頼んで來たよ。こつちはお禮が二分だが、それさへ斷わつたくらゐだ。百兩の搜し物を引受けて濟むと思ふか、八」

平次も少し穩やかになりました。八五郎がさう言つてくれる心持がよくわかるからです。

「成程ね、二分の仕事を蹴飛ばして、百兩の仕事は引受けられねえといふんで、――腹は立つが、あつしは嬉しいね、親分」

「何を高慢な事を言やがるんだ」

「それぢや、唯の仕事ならやつてくれますかえ親分。こいつは鐚一文出す氣づけえはねえが、その代り滅法綺麗な新造が、かう手を合せて拜むんだ、――どうぞ助けると思つて――」

「止せやい、變な品を作つたつて、手前ぢや綺麗な新造に見えるわけはねえ」

平次はからかひながらも、この無報酬の方に興味を持つてゐる樣子です。

「親分も御存じでせう。兩國稻荷の側に、この間から小屋を掛けてゐる玉川權之助一座といふのを」

「話には聽いたよ。大層上手な輕業を見せるさうぢやないか」

「玉川權之助は大したものぢやありませんがね、一座の花形で、娘太夫の燕女といふのが大變で――」

「フム」

「年の頃は十八九でせうか、恐ろしく小柄で身體が輕くて、お人形のやうに可愛らしいから、十三四の小娘のやうですが、話をさせると子供ぢやありません」

「それがどうした」

「あんな身輕な藝は見たことも聽いたこともありませんよ。親方の玉川權之助が、頭の上に兩手を突き上げると、そのてのひらの上で、蝶々のやうに踊るんです。――唐土の何んとか言ふ殿樣か大名の后に、飛燕といふ美しい女があつたんですつてね。それが矢つ張り掌の上で踊つたといふが――これはあつしの智慧ぢやありませんよ、權八といふ名前ばかり意氣な道化の口上言ひがしやべるんだが」

漢の成帝の后趙飛燕の傳説を、道化の口上から一つ覺えに、八五郎は傳へるのでした。

「それがお前を口説いたといふのか」

「あつしを口説いたのなら、默つてニヤニヤしてゐますよ。ところがその燕女の目的が親分なんだから――ちよいと姐さんは、耳を塞いでゐて下さいよ」

お勝手で晝の支度をしてゐるらしいお靜に、かう障子越しに聲を掛ける八五郎です。

「耳を塞いでゐますから、豆腐屋さんが來たら、呼んで下さいよ」

お靜も近頃は、これくらゐの應酬は心得てをります。

「その燕女が、突き詰めた顏をして、あつしを道具の蔭へ誘ひ込んで――錢形の親分さんにお願ひして下さい。私は怖い、どうかしたら殺されるかも知れません――てなことを言ふんです」

「何が怖いんだ」

「それを聽かうとすると、道化の權八が、舞臺に穴があくからと、大變な見幕で搜しに來ましたよ」

「――」

「ちよいと行つて見ませんか。柄は小さいが、身體が引緊つて、子供々々した愛嬌があつて、何んとも言へない良い娘ですよ」

「馬鹿、そんな女の言ふことをきいて、ノコノコ行かれるものか、殺される殺されると言つた人間に、あんまり殺された例はないぜ」

「でもこいつは褒美も何んにもありませんよ。ちよいと覗いて見たつて、親分の顏にも名前にも拘はるわけはありません」

「その愛嬌が褒美ぢやないか。お前には丁度手頃な仕事だ、精々見張つてゐるがいゝ。今に怖い兄さんが、匕首か何んかを振り廻して、文句を付けに來ても俺は知らないから」

「そんな嫌なんぢやありませんよ」

八五郎はもう一度誘つて見ましたが、平次はこれも聽いてくれさうもありません。百兩も二分も、美女の愛嬌も平次に腰をきらせる魅力ではなかつたのです。

Chapter 1 of 7