一
「日本一の面白い話があるんですが、親分」
ガラツ八の八五郎、こみ上げる笑ひを噛みしめながら、ニヤリニヤリと入つて來るのです。
六月になつたばかり、明神樣の森がからりと晴れて、久し振りの好い天氣。平次は襷がけにはたきを持つて、梅雨中閉ぢ込めた家の中の濕氣と埃を、威勢よく掃き出して居りました。
「顏の紐のゆるんだのが、路地を入つて來ると思ふと、それが外ならぬ八五郎さ。成程そんな面白い相好で歩く人間は、日本中にも滅多にはねえ筈だ」
「あつしのことぢやありませんよ。親分」
「まだ外に、ニタニタ笑ひながら歩く人間があるのか」
「弱るなア、――笑ひながら歩く話ぢやありませんよ。火傷をした話なんで」
「火傷をね」
「只の火傷ぢやありませんよ。眞夏に股火鉢かなんかやつて、男の急所に大火傷を拵へたと聽いたら、親分だつて、それね、可笑しくなるでせう」
「フ、フ、フ、妙なことを嗅ぎ出して來るんだね、お前といふ人間は。金を燒いた話なら町方は筋違ひさ。そいつは金座役人の係りだ。御勘定奉行へ訴へるのが順當ぢやないか」
「落し話ぢやありませんよ、親分」
平次と八五郎は、何時でもこんな調子で筋を運ぶのです。
「一體何處の誰がそんな間拔けな怪我をしたんだ」
「間拔けどころか、相手は江戸一番と言つても、二番とは下らない鹽つ辛い人間なんだからお話の種になるでせう」
「へエー、その昔噺は面白さうだね」
平次は襷を外して、火のない長火鉢の前へ來ると、煙管の雁首を延ばして、遙か彼方の挽物細工の貧乏臭い煙草入を引寄せるのでした。
「親分でも掃除なんかするんですか。襷なんか綾取つて、まるで敵でも討ちさうな恰好ですぜ」
「忙しい時は、掃除も手傳へば、飯も炊くよ。よく見習つて置くが宜い。お前も何時までも獨身ぢやあるめえ、あんまり女房に骨を折らせるばかりが、男の見得ぢやないよ」
「へツ、相濟みません」
首を縮めた彈みに、八五郎はペロリと舌を出すのです。
「ところで、お前の話は何んだつけ」
「忘れちやいけませんよ、男の急所を燒い話――ウフ」
「さう/\」
「春木町の浪人、金貸しでは江戸中にも何人と言はれた、綱田屋五郎次郎を親分も御存じでせう」
「知つてるとも、武家相手に高利の金を貸して、一代にびつくりするほどの身上を拵へた男だ。札差にまで見放されたお武家が、綱田屋へ頼みに行くと、二つ返事で貸してくれるつてね。その代り返さなきや組頭かお取締りの若年寄に訴へ出る。否も應もない、まご/\すると家名に拘はるか、こぢれると腹切道具になるから、女房や娘を抵當にしても返すといふぢやないか」
その頃江戸中に横行した、惡質な高利貸の一人で、武家崩れの綱田屋五郎次郎は、人間が穩かで上品で、上役人にも通りがよく、一應話のわかる男でしたが、それだけに奸佞邪智で、一と筋繩では行かない人間として平次に記憶されて居ります。
「その綱田屋が變な火傷をしたんだから、好い氣味見たいなもので」
「人の災難を笑つちやいけない」
「でも、あの男は茶の湯なんかやるんですつてね。高利の金で儲けちや、恐ろしく高い道具を集めて、青黄粉のガボガボでせう」
「青黄粉とは違ふよ」
「だから綱田屋の主人の部屋には爐が切つてある、――尤もあの五郎次郎といふのは、若い時の道樂が祟つてひどい疝氣ださうで、夏でも時々は股火鉢で温める。奉公人は多勢居るが、口の惡いのは蔭へ廻ると、主人とも旦那とも言やしません――夏火鉢――で通るんださうで」
「お前の話を聽いて居ると、俺は横つ腹が痛くなるよ。よくもそんな馬鹿な話ばかり仕入れて來たものだ」
「これからが話の本筋ですよ、親分、――昨日はまた妙に薄寒かつたでせう、梅雨明けには、よくあんな天氣があるんですつてね。あつしのやうな達者な人間でさへ冷々したくらゐだから、疝氣持ちの綱田屋五郎次郎、下つ腹がキリキリ痛んで叶はない、茶を入れるから――とか何んとか、體裁の良いことを言つて、爐に火を入れさして、早速の股火鉢だ。少しばかり良い心持になつて、眠氣がさして來ると、いきなりドカンと來た」
「何んだえ、それは?」
「爐の隅に、地雷火が仕掛けてあつたんですよ。程よいところで口火に火が廻ると、五徳も鐵瓶も、灰も爐もハネ飛ばして、グワラグワラドシンと來た。いやその凄かつたことと言つたら」
八五郎の話には身振り手振りが入るのでした。
「爐の中に地雷火なんか潜り込むわけはないぢやないか、癇癪玉か何んかだらう、――尤も兩端へ節の付いた竹筒を埋めて置いても、それくらゐの業はやるぜ」
「そんな生やさしい物ぢやありませんよ。綱田屋の主人が、爐の眞上に居たら、天井へ叩き付けられたかも知れないといふくらゐで」
「で?」
「綱田屋主人、命は無事だつたが、股から上の火傷だ、――惡戲者は家の中に居るに違げえねえ、引つ捉へて八つ裂きにしてやる――といふ腹の立てやうだが、見渡したところ、娘も伜も居候も、多勢の奉公人も皆んな良い子ばかり。そんな大それた惡戯をしさうな顏もないから、耻を忍んであつしに來てくれといふわけで」
「お前は行つて見たのか」
「行つて來ましたよ。出入りの者から叔母さんへ頼みに來たんで」
「で、どういふ鑑定だ」
「一向わかりませんよ。家の者には違げえねえが」
「心細い野郎だな」
「念のために部屋の灰と埃を掃き寄せた中から、形のあるものを少し拾ひ集めて來ましたがね」
八五郎はさう言ひながら、懷中を搜つて何やら取出すのです。
「何んだえ、それは」
「部屋の片付けも濟まないところへ行つて、兎も角これだけは集めて來ましたがネ」
鼻紙をひろげると、中から出て來たのは、灰と埃と炭の屑と、そして少しばかりの糊で固めた反古紙と、竹の片と、串のやうなものと、そして堅く捻つた紐の一片だつたのです。
「これは大したものだよ、八。良いものを持つて來てくれた」
平次はすつかり夢中になつて、その懷ろ紙の中の、得體の知れない雜物を選りわけて居ります。
「でせう、――これが錢形流のやり口なんで、へツ」
平次に褒められると、八五郎の低い鼻は蠢きます。
「これは、お前、花火ぢやないか」
「へエ」
「兩國の川開きなどで使ふ、打ち揚げ花火だよ。爐の中でこいつに爆ねられてたまるものぢやない、――多分三寸玉くちゐ――いやもつと小さい、早打ちの小玉だらう」
「へエ、大變なものを仕込んだものですね」
爐の中の花火玉、それは實に奇想天外の惡戯です。
「斯んなものを拵へるのは、江戸では兩國の鍵屋一軒だ。お前はちよいと行つて調べて見るが宜い。花火玉が紛れて外へ出るやうなことはないか、それだけのことだ」
「親分は?」
「俺は外に仕事があるよ。それくらゐのことならお前一人で澤山だ。手に了へなかつたらさう言つて來るが宜い、惡戲者は直ぐわかるよ」
平次は至つて手輕に考へました。が、それは大變な間違ひで、思ひも寄らぬ大きな事件に發展しやうとは、さすがの平次も全く豫想しなかつたのです。