一
「八、大變なことがあるさうぢやないか」
江戸開府以來と言はれた、捕物の名人錢形平次は、粉煙草の煙りを輪に吹きながら、いとも寛々たる態度で、飛び込んで來た子分の八五郎に、かう浴びせるのでした。
あわて者の八五郎、一名ガラツ八は、平次のためには『見る眼嗅ぐ鼻』で、その天稟の勘を働かせて、江戸中のニユースを嗅ぎ出して持つて來るのですが、生憎なことに今日は恐ろしい不漁で、猫の子がお産をしたほどの事件もなく、でつかい彌造を二つ陰氣に拵へて、日本一の張り合ひのない顏を、兎にも角にも親分のところへ持つて來たのでした。
その鼻面を叩くやうに、『大變なこと』といふのを浴びせられて、八五郎さすがに面喰ひました。まさにお株を取られたかたちです。
「へエ、何んですそれは? あつしの知らない大變なことてえのは?」
彌造をほぐすと、左に曲つた髷の刷毛先を直して、八五郎は上がり框に腰をおろしました。
「八さん騙されちやいけませんよ。朝つから八さんが來たら、うんと脅かしてやるんだつて、手ぐすね引いて待つてゐたんですよ。どうせつまらないことに決つてゐるんですから」
お勝手から出て來た平次の戀女房のお靜は、濡れた手を拭き/\八五郎に注意をしてやります。
「默つてゐろ。女房が亭主に裏切りをするのは見つともいゝものぢやねえ」
「まア」
お靜はちよいと怨じましたが、自分も少し出過ぎたことに氣がついたか、そのまゝもとのお勝手に、一陣の薫風を殘して姿を隱しました。
「何んです、親分、――あんまり脅かさないで下さいな」
「八五郎の前だが、たまには俺だつて、面白いネタを拾つて來るよ、――近頃諸方の寺々から、大町人大名屋敷まで荒して大變な名畫名幅を盜んで歩く、不思議な泥棒があるといふ話ぢやないか。お前の耳にそれが入らないワケはないと思ふんだが――」
「そんなことなら、五日も前から聞込んでゐますよ」
「エライ、さすがは順風耳の八五郎だが、何んだつてそれを俺の耳には入れてくれなかつたんだ」
「名畫だか名幅だか知らないが、たかがへへののもへじに毛の生えたやうな代物なんでせう。そいつを有難がる奴の方が餘つ程の箆棒で、あつしには賽錢泥棒くらゐに踏んで相手にもしませんでしたよ」
「驚いた野郎だな、お前といふ人間は」
「さうですかね、――そんなエテ物を盜む奴も物好きだが、盜まれて騷ぐ方もあまり賢こくはないと思つたんで」
「呆れて物が言へないよ、お前といふ人間は」
「へエ」
「その盜られた品といふのは、一つ/\が何百何千兩といふ名畫ばかりだ。中には公儀にお屆けになつてゐる品もあり、寺寳として寺社奉行所の臺帳に載つてゐる品もあるんだよ」
「へエ、そんな間拔けなものを盜つて、どうするつもりでせう。質草か何んかの足しになるでせうか」
八五郎の氣樂さ、これを教育して名畫の有難味を解らせるためには、もう一度生れ變つて來させるより外はありません。
「質に入れるとか、古道具屋に賣るとかすれば、直ぐわかるやうに手配してあるんだが、不思議なことに、盜まれた品は盜まれつきりで、二度と姿を見せないから厄介だよ」
「それをどうせうといふので?」
「金を盜つたとか人を害めたのではないから、世間の噂には上がらないが、この世に二つとない寳だから、盜られた身になると金に代へられないほど惜しからう。書畫骨董の氣違ひばかりは、こちとらの考へたやうなものぢやないよ」
平次は噛んで含めるやうに説明しますが、八五郎には結局解りさうもありません。が、八五郎の理解はどうあらうと、今日で言へば國寳級の名畫が、片つ端から盜まれるのは、その道の人に取つてはこの上もない重大事で、被害者が手蔓を求めて錢形平次のところへ、その探索を頼みに來るのもまことに當然のことだつたのです。
「親分はどこでそんな話を聽き込んだんです」
「下谷竹町の永寳寺――こゝでは王若水の唐子嬉遊の大幅がなくなつてゐるが、その寺の執事が、眼の色を變へて飛んで來たよ」
「いつです、それは?」
「ツイ先刻、お前と入れ違ひに歸つた筈だが」
「それつきりですか」
「まだあるよ。淺草馬道の壽滿寺では、狩野法眼元信の高士觀瀑の幅が盜られ。日本橋本銀町の阿波屋藤兵衞は雪舟の秋景山水の六曲一双の屏風がやられてゐる」
「屏風? そんなものをどうして持出したんです」
「お前が泥棒ならどうする、六曲一双の屏風だよ」
平次は妙なことを言ひ出しました。
「大八車を持つて行つて、積んで來るわけには行きませんか」
「間拔けだなア。引越しぢやない、盜むんだぜ」
「親分の前だが、惡い奴を縛る修業はしましたが、泥棒の修業はまだやつた覺えはありませんよ」
「泥棒の上を越すほど智慧が廻らなきや、氣のきいた泥棒を縛れるものか。聽くがいゝ、その泥棒は六曲一双十二枚に描いた雪秋の秋景山水の繪を、ソツと剥がして繪だけ持つて行つたのだよ」
「へエ、それぢや賣物になりませんね」
「馬鹿だなア」
こんな話の眞つ最中でした。お靜は障子を五六寸だけ開けて、
「あのお客樣ですが――」
つゝましく取次ぐのでした
「どこだ」
入口の格子の開いた樣子のないのを平次は氣がついたのです。
「お勝手なんです、――若い綺麗な女の方、――親分さんに内々でお目に掛りたいんですつて」
若くて美しい女の訪問客は、さすがに氣になつたものか、お靜の調子も妙に切口上になります。
「こゝへ通すがいゝ。毆り込みに來たわけぢやあるめえ、取次にも及ぶものか」
平次は事務的になりきつて、相手の若さも美しさも問題にしない樣子です。
お靜はもう一度お勝手へ引返しましたが、やがてひどくあわてた樣子で戻つて來ました。
「まアどうしたことでせう。ツイ今しがたお勝手へ來た若い女の人は、どこへ行つてしまつたか、その邊に姿が見えないんですもの」
ツイ絡んだ調子で物を言つた後だけに、ひどくあわててゐる樣子です。
「そんな馬鹿なことが――」
平次も續いてお勝手から、水下駄を突つかけて外へ出ましたが、その邊には若くて美しい女は愚か、野良犬一匹姿を見せません。
「どうしたんです親分」
八五郎はその後から、頤を突き出しました。
「人間一人消えてなくなつたよ、――尤も、思ひ立つて何にか頼みに來ても、急に怖氣づいて歸るのは、若い女にはよくあることだよ。――どんな風をしてゐたんだ、その女は」
平次はお靜を顧みて、思ひの外蟠りのない調子で言ひました。
「お武家風の――お小間使か何んかでせう。堅い家風のお邸の召使といつた樣子でした」
「ウム」
「十七八でせうか、矢絣に竪やの字の帶で、素顏に近い島田髷の、良い娘でした――あ、それから左の頬に可愛らしい愛嬌ぼくろがあつて――」
「うまいな、お前の鑑定もまんざらぢやないよ」
「あら」
夫の平次に褒められると、お靜はあわてて自分の城廓――お勝手に逃げ込むのです。