Chapter 1 of 7

「へツへツ、へツへツ、隨分間拔けな話ぢやありませんか」

ガラツ八の八五郎が、たがが外れたやうに笑ひながら、明神下の平次の家に笑ひ込むのです。

世間はまだ松が取れたばかり、屠蘇の香りがプンプンとして居やうといふ時ですから、笑ひながら來る分には、腹も立ちませんが、それにしても、かう不遠慮にやられては、御近所の衆が膽をつぶします。

「八の野郎がまた、ゲラゲラ笑ひながら舞ひ込んで來たやうだ。火鉢の中へ唐辛子でも燻して置け」

平次は苦々しく舌打をしますが、實は久しく顏を見せなかつた八五郎を、心の中では待ち焦れてゐたのです。

「それには及びませんよ。――可笑しいの可笑しくねえの――つて、へツへツ」

「呆れた野郎だ。挨拶もせずに、笑つてやがる」

「相濟みません。尤も、元日早々御年始には來た筈で」

「挨拶は年に一度で濟む氣で居やがる。――何がそんなに可笑しいんだ。俺はもう、腹が立つて、腹が立つてたまらねえが」

「まだ正月だといふのに、何をそんなに腹を立てるんです。あつしはもう、面白くて可笑しくて」

「俺はまた癪にさはることばかりだよ。暮に拂へなかつた店賃を、三つまとめて大家のところへ持つて行くと、苦しいのはわかつてゐるから、そんな無理をするには及ばない、改めて盆にでも貰ふからと、そつくり返して來たぢやないか」

「へエ、それで腹が立つんですか、親分は」

「人を見くびるにも程があるよ。一人で腹を立てて居るところへ、八丁堀の笹野樣から、今年の正月は役向きの方が忙しくて、呼んで呑ませる折もなかつたから――と、屆けて下すつたのは、三升」

「へエ」

「縮尻つてばかり居る俺が、この酒が呑めるか呑めねえか考へて見ろ」

「そんなに癪にさはる酒なら、あつしが身代りに頂きますよ。三升もあると、ちよいと良いおしめりになりますね」

「舌嘗めずりをして居やがる。――その上あれを聽かないか、九月十五日の神田祭を待ち兼ねて、金があつて、暇で/\仕樣のない旦那衆が、界隈の若いのをおだてて、妻戀稻荷の後ろの大野屋を借り受け、初午の日に世直しの稻荷祭りの大騷ぎをやらかさうといふ企みだ」

「惡くねえ話ぢやありませんか。その話なら、あつしも掛り合ひがあるが」

「半月も前からの稽古で、夜も寢つかれやしない。飛んだ世直しだよ」

平次が腹を立てるのも無理のないことでした。江戸の有閑人達は、景氣が良いにつけ惡いにつけ、お祭り騷ぎをして、呑む機會を作らなければ、この世の中は張合ひがないやうな氣がするのでせう。

「あつしが笑つたのは、そのお祭りに出る所作事の話ですよ」

「そんな話なら、可笑しくも何んともないぢやないか」

「親分は――その日の所作に、坂屋のお妙が、新作の『江口』を踊るといふ話を聽いたでせう」

「坂屋のお妙といふのは、あの女か」

「へエ、あの女で」

この邊では、たゞあの女で通る坂屋のお妙は、妻戀稻荷の横に住む、何んとか流の踊りの師匠ですが、それは滿身にたぎる魅力を踊りにかこつけて撒き散らし、山の手一帶を桃色に興奮させるやうな大變な女でした。

「お妙が何を踊らうと、お前が可笑しがるわけはないだらう」

「それが大ありで、『江口の君』といふのは、昔々大昔の華魁だ。一休樣と掛け合ひの歌を詠んで、普賢菩薩に化けた――」

「お前の話は少し頓珍漢だよ。普賢菩薩が、衆生濟度のために、江口の遊君に現じたといふ話だらう」

「そんなことはどうだつて構ひませんよ。兎も角も、坂屋のお妙はその江口の君とやらになつて、象に乘つて所作事をする」

「普賢菩薩なら、象に乘るのは當り前だが、今時江戸に象は居ないよ、――それを豚の子で間に合せるとでも言ふのか」

「ところが、象が居るんですよ。――親分も知つて居るでせう、金澤町の岡崎屋三十郎、昔は大した家柄だが、近頃は商賣の方がいけなくなつた上、五年越しお妙に入れあげて、近頃はその日にも困るといふ、大變な落ちぶれやうだ」

「その岡崎屋三十郎が象になるといふのか」

「貧乏はしてゐるが、二十三貫といふ、水ぶくれの三十郎だ。裸になればそつくりその儘白象ぢやありませんか。お妙がその上へ横乘りになつて、江口の遊女姿で、精一杯の色氣を撒き散らす趣向と聽いて、あつしはもう、可笑しくて、可笑しくて、ウ、フ、フ、フ」

八五郎は三十郎が素つ裸になつて、象の振り宜しく、お妙に御せらるゝ馬鹿々々しさを考へて、たまらず腹を抱へるのです。

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