Chapter 1 of 4

早苗はまるでデパートで買物でもするひとのやうに産院をまはつては、赤ん坊を貰ひに歩いてゐた。色が白くて、血統がよくて、器量のいゝ、そして健康な女の子をほしいと思つてゐた。

今日も、ごう/\と寒い風の吹くなかをバスにゆられながら、早苗は三條までやつて來て、疏水の近くにある梅園産院と云ふのへ寄つてみた。底冷えのする寒い路地の中を小走りに歩きながら、早苗はいろ/\な胸算用をしてゐるのである。

産院は格子のはまつた暗い家で、陰氣臭いかまへであつたが、格子を開けると、右手の廊下の向うには、思ひがけない小ざつぱりした茶庭があつた。背の高い小笹に白い手拭がさげてあつて、くつきりと清潔さうで、いままでに見たどの産院よりも豐かな感じである。早苗は、何となくよい子供がさづかりさうな、そんなふくふくした、氣持ちになるのであつた。

案内を乞ふと、前だれがけの日本髮の娘が出て來て、今まで水仕事をしてゐたのか、赤く濡れた手を敷居ぎはへついて「おこしやす」と云つた。

「あのう、昨日、新聞でみまして上りましたのどすけど……」

早苗はシールの肩掛をはづして笑顏でたづねた。娘は片笑窪をみせて一寸おじぎをするとそのまゝ奧へ引つこんで行つてしまつたけれども、暫くして出て來ると前よりも丁寧に膝をついた。

「どうぞお上りやして……」

早苗はさう云はれると吻つとした氣持ちで、土間の片隅にきちんと下駄をそろへてぬぎ、廣い敷臺の上へ上つた。

通された部屋は庭向きの六疊間で、狹い床の間には如意と書いた古い軸がさがつてゐた。

天井が低くて、廂が深く突き出てゐるせゐか部屋の中が暗かつた。小さい庭の景色は、まるで繪をみてゐるやうに明るくて、何となく落ちついた感じである。庭の向うには、新しい矢來垣がめぐらしてあり、その向うは隣家の勝手にでもなつてゐるのか、水をつかふ音がしきりにしてゐた。

暫く呆んやりして庭の景色を眺めてゐると、さつきの娘が茶を運んで來て、すぐその後から、背のひくい丸々と肥えた中年の女が賑やかに兩袖をぱた/\させて這入つて來た。

「まア、お待たせいたしまして、昨日から今日にかけて、澤山おひとが見えましてなア、あれこれとたてこんでゐまして、ほんとに、えらいことお待たせいたしました」

顎が二重にくびれてゐて、胸も腹もずんどうにつきでてゐる、まるでくゝり枕のやうな胴體を、卓子へ凭れるやうにして女は坐つた。この、人のよささうな女主人を眺め、早苗はまるで昔からの親しい人にでも逢ふやうな氣持ちで氣輕にあいさつをのべた。

「もう、お話はおきまりになりましたのどすか?」

「いゝえ、あなた、帶に短し襷に長しで、まだはつきりしたことはきまつてはをりませんけども、まア、お一人二人、心當りだけの處でして……」

「本當に澤山の人なんでございませうね。――私も、もう駄目ぢやないかと思ひましたのどすけど、物は當つて碎けろと云ふこともありますので……」

さう云つて、女主人の顏を眺めながら、早苗は此分では、あるひは子供は貰へないかも知れないとおもひ、ふつと如意と書いてある軸の方を眺めた。

「いゝお住居ですこと……こんな賑やかな處で、とても靜かでよろしゆおすなア、お庭もきれいどすなア……」

おせじでなく、早苗は本當に綺麗な庭だと思つた。少しばかり茶もやつてゐたので、石のたゝずまひも判り、庭木の一本々々にも、深い趣味が感じられて、ぬるい茶を飮みながら、早苗はこんな家の世話で子供を貰へたら、長い間知人になつて貰へていゝだらうと思つた。

「お一人、山科の四ノ宮にお住ひのお金持の方で、是非子供がほしいおつしやつて、それは熱心にお出でになるのどすけど、赤ちやんの親御さんの方が、あまり氣が進まん云ははりましてねえ、あんまり金持でなうても、のんびりと子供を可愛がつてくれはる家にやりたい云ふことです。――子供さんを産むとすぐお母さんがお亡くなりになつて、旦那さん一人でどうしてもそだてること出來んおつしやつて、よくよくのことですなア。――氣樂な家へ貰うてもらひたい云やはりまして、まア、焦らんとよくお人を選んでからにせんととおもてます……」

早苗は聞いてゐて段々その赤ん坊に魅力を持ちはじめてゐた。

「私も、そんなお宅の赤ちやんなら、心から頂きたいと思ひますわ。私も主人を亡くして子供もありませんし、少しばかりの財産ですけれども、子供でもそだててのんびり暮らしたいおもひまして、この頃急に赤ちやんを尋ねて歩いてゐます――ふしだらをして産んだのでない、正しい家の赤ちやんを何とかして貰ひたいおもひまして……」

早苗はさう云つて、自分でも何となく涙ぐましい氣持ちになつてゐる。早苗は今年二十九だつたけれども、本當は一度も結婚をした事はないのだ。こんな年齡になつて、一度も結婚をしないと云ふ事は何となく信じて貰へさうにも思はれなかつたので、早苗はわざと嘘をついた。

天涯孤獨で、去年の春、たつた一人の老父もうしなひ、叔父が一人ゐるはずだつたけれども、早苗が小さい時にアメリカに行つてしまひ、長い間音信がないのである。

亡くなつた父は官吏で、少しばかりの恩給もあつたし、今住んでゐる家も地所も現在は自分のもので、ずつと長い間、早苗は家の經濟すべてを任されてゐるのであつた。女學校へ行つてゐる時から、家での一ヶ月の電氣代も知つてゐたし、父の着物を買ふについて、男物の呉服類も、およその値段は知つてゐるのであつた。娘のころから財政を任されてゐたせゐか、何彼につけて早苗は勘定高くてつましい性質であつた。生れながらの本性も吝嗇ではあつたのだらうけれども、茶を一つ習ふにしても、生涯のうちで何時落ちぶれないともかぎらないと云ふ不安で、そんな、そなへの爲の茶道であるせゐか、早くゆるしを得たがる早苗は、よく師匠から皮肉を云はれた。

早苗は十人並で、別に人に不快を與へるやうな動作があるわけでもなかつたのだけれども、金錢のことになると、若い女に似合はずがつちりしてゐて、何となく冷たいものを人に感じさせるのである。

早苗は、世間の娘達とは反對に、非常に人ぎらひでもあつた。

父が亡くなつてからはなほさら、自分のまはりに城壁をめぐらし、たつた一人の生活を少しも淋しいとは思はなかつたのだけれども、一ヶ月ばかり風邪をこじらせて寢ついてからと云ふもの、どのやうな心境の變化を來たしたものなのか、早苗は急に子供を貰つて育てたいと思ひ始めたのである。

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