Chapter 1 of 6

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太陽の子

福士幸次郎

明治四十二年――大正二年

製作の時期

兄と母に

此の作集を獻ずる

自序

今この詩集を出版するに就いて自分は何にも言はないで出すに忍びない氣がする。何ぜなら此の詩にある心持の凡ては悉く嘗て自分の全生命を盡くして踏んで來た片身だからだ。一歩進めて言へば自分の詩集に自分の序を附けると言ふことは、その制作品の足りない所を補足するやうなものでをこがましい氣がするが、自分の生活は此等の詩と一々ついて離れず進んで來たものであるから、今として見ればその時々の自分の心理に立入つて考へることが出來、又その心理全體を突き貫く自分の心の祕奧、即ち自分の生れると共に持つて來た生の欲求も明示することが出來る。自分は今此の詩全體を生ませるに至つた自分の此の潜流を此の序文であらはにしようと思ふ。

一體自分は二十一の年初めて詩を書いた。それが此の詩集の初めにある『白の微動』である。尤もその前に四五回子供の時から書いたことはあるが格別書きたいと思ふやうな事はなく、寧ろ書きたいとすれば自分の頭は小説に傾いてゐた。それが卒然として或る刺※から詩を書き初めた。或る刺※とは當時日本の詩壇に起つた自由詩の運動とそれに連れて現はれた多くの諸君の作品である。特にその中でも自由詩社のパンフレツトに出てゐる福田君の『ツワイライト』三富君の詩幾篇かは僕の今迄眠り潜んで居た魂を前者は猛然と喚び醒まし、後者は底の知れない憂鬱へ驅り込んだ。自分は數ヶ月來その讀んだ印象が離れなかつた。寢ても起きても人に逢つても往來端を歩いてもその詩の暗い興奮、冷却した情熱は自分を虜にした。斯くしてその夏三つ詩を書き、それから自分の生涯の最初の破綻の起つたその年の末(明治四十二年)この『錘』に出て居る詩五篇を一度に書いた。自分は今それを自分の處女作とする。自分の一生の動搖と伴つて起つた最初の靈魂の叫び、最初の靈魂の呻きだからである。即ち自分はその年『全世界を失つて自己の靈魂を得た』。けれども自分の靈魂なるものは自分にとつて解くことの出來ない謎であつた。自分はその謎の吾が心を搾木に掛ける苦痛に堪へなかつた。『錘』と言ひ『ポオに獻ず』と言ひ『窓から』と言ひ『白の微動』『落葉』と言ひ、乃至は翌年(明治四十三年)の『冬』と言ひ『安息日の晩れがた』と言ひ『記憶』と言ひ又翌々年(明治四十五年――大正元年)の『心』と一緒に纒められた過半の作『智慧の實を食べてより』『洪水前の夜のレヴエレイ』等の凡てと言ひ悉くその心の謎の解け難い苦痛から出てゐる。

自分はそれから此の人生を凝視した。あらゆる此の人生の中に生きてゐる人間の奧底のみじめさに涙流した。そして鳴けない日陰の鳥となつて樹の中に羽打いた。斯くして『記憶と沈默』の年は過ぎた。それから何にものも書かないその翌年(明治四十四年)も過ぎた。自分は藝術を棄て友達を棄て家を棄て吾を愛するすべての人を棄てた。或る時は自分の一生をも埋沒しようとした。或る時は見知らぬ人の中に這入つて算盤を彈き、スコツプを握り、生きるか死ぬかの瀬戸際を渡りもした。しかしそれ等の中には自分の眞に求めるものは無くて自分の瀕死の病氣を得たばかりである。自分は絶望した。人生は死以外に何の目的も希望も無いのを信じた。しかも死にたくなかつた。自分は涙流して今一度生きてこの人生を見直したかつた。

ああ自分は後悔しても後悔しても後悔し盡くされぬ過去がある。吾が愛する姉と伯母は其間に死に、死ぬべき筈であつた吾は今猶ほ生きて居る。自分の究極の嘆きは此處にある。愛さるるものは愛するものを殘して死んでゆく。彼等の生に戀々とした樣は其後のものにとつてどれ位堪へ難いか、自分は彼等が殘した生の苦痛を引受けて吾が生の負擔はそれで自乘される。自分は喘いだ。じれた。そして或る時は吾が生はすつかり沮喪して一夜の内に死んだ父、姉、其他今一人の死者を一度に夢見たことがある。そして夜中に目が醒めて自分は覺えず戰慄した。吾が生は依然として矢張進むべき針路が見つからない。自分は暗黒のどん底に墜ち、夢の中に死と遭遇した。斯くして自殺の考へが又起つたけれども死ねなかつた。自分は人生は如何に苦しくてもみじめでもその將來のよくなることをその前年からその前年、その前時代からさらにその前の時代と推して考へずには居られなかつた。その太極はどうでもあれ確にその事實はさうだ。自分は如何に苦しくてもその人生を見殘して死にたくない。今死ねば暗から暗である。自分はその暗さには堪へられない。

一體自分は子供の時から考へて見ても性來明るいぼつとした子供である。過去四年間の『錘』以來の詩にも屡その厭世的な陰鬱な心持の中から吾れ知らず迸つて來るのは何等燻んだ色のない都會を歌つた詩、海を歌つた詩にある快活な樂天的なリズムである。けれども自分の心は一切喜びを封ぜられた。人生に生きるべき意義を失ひ、一切に絶望し一切を虚無と見流し、既に詩作さへ無意味だと感じて居たのだけれどもその心を裏切る生の未練が死を戀うて蟲けらのやうに生きる『墓標』を書き、食慾より以外何ものもない人生を嘆いた『フアンタジア』『鍛冶屋のぽかんさん』を書き、暗のおびえの『扇を持てる孤兒の娘』青春の衰へを星雲の中に齒がみして死ぬ生き埋めの如き自分の『一生』を書いて殆んど再び行き詰りの絶頂に達いた自分は突如として生の勢のよい『發生』を感じた。自分は生きる。發育する。今までのあらゆるものを突き放して新しい世界へ思ひ切つて飛び込む。自分の今までは死の世界であつて生きる爲めに目を開いた世界でない。生きる爲めに力を出した世界でない。自分は第一自分の肉體といふものを少しも愛したことはない。これを殺さうと思つても生かさうとして努めた世界でない。實に此の人生に自分が生れたといふことも容易ならない事件でないか。此の死の世界の中に自分がそもそも産聲を擧げたといふのも實に強い聲ではなかつたか。この世界の中に新しい一つの存在、無くてかなはぬ一つの存在を與へたのでなかつたか。ああその自分を吾れから殺さうとしたものよ。新しく發生せよ。

斯くして自分の世界を觀る目は一變した。見る見る自分の心は霜枯の草が春の日に逢つて一度に伸び出したやうに今迄に知らない世界を憧れ出し、それに向つて伸び出した。そしてたまらなくなつて聲を擧げた。これこそ誕生の聲である。産聲である。唖の子がものを言ひ出すお伽話にあるやうな奇蹟的出來事は斯して自分の一生の半途に起つた。

實に奇蹟である。生の不思議である。計り知れない吾が力は俄に目を醒まして、見慣れぬ地、見慣れぬ空、見慣れぬ人間に心が驚異した。そして今迄縮み跼んでゐた力が一齊に地下上天、周圍に對して目ざましい程ずんずん伸び出した。自分は新しく生きる。新しく育つ。今迄のあらゆる過去を肥料にして新しい生の芽生えにいみじい愛を感ずる。自分は感謝した。自分の微妙な力を感謝した。その感謝の心は『日の子』を書いて自分を彼れの愛し子、隱し子であると言つた時吾が心は言ひ知れぬ歡びに溢れてしまつた。ああ自分は何にものよりも光を愛す。光明の世界こそ吾が行く世界である。自分は涙流しながらもそれを追うて止まないだらう。永遠に追うて止まないだらう。

それからの自分は大洋の浪のやうに底を潜り、水面に浮び、底を潜り水面に浮びして遙かな岸を目掛けて進んだ。『發生』は自分にとつて稀有な吾が心の發火であつたけれども、これが吾が心の全面に動いたものでない事は、その時それとはまるで違つた『冬の日暮』や『遠い故郷』などといふ作が吾れ知らず混じて出たのでも解る。その『發生』の迸發的な歡びは『すべての友達に送る手紙』を最初のものとして一切の因襲關係、一切の古い自己を燒亡ぼす情熱となつて、今迄の自分や今迄の周圍關係を攻撃、破壞、顛覆する役目に當つた。

斯して鬪ひの上に更に鬪ひ、鬪ひの上に更に鬪ひをして、吾が心は倦ね果てるまで健鬪した。『太陽崇拜』の諸篇『自分のものとする女に送る歌』『あらし』『日本の文學者に與ふる歌』『男性の歌』『航海の歌』等はその中から出た自分の愛生の叫びである。特に自分は『航海の歌』の或る部分を最も好く。そして自分は幾度か自分で叫んだ聲で自分を勵まされてその新生の年(大正二年)を送つた。自分は太陽の子である。如何なる奈落の底へ落ちてもあの燃え上る空中の偉大崇嚴な火の圓球を憧れてやまない。自分は彼れから遠ざかれば遠ざかる程其愛着の深さを感ずる。此詩集の最後の篇『太陽崇拜』を書いた頃から見ると作のない今の自分は一段と悲境にある事は感ぜずに居られないけれども、自分は此處から燃え上る火焔の未來に於て異常である事は信じて疑はない。如何なる劍の穗先きが此處から出るか、如何なる叫びが出るか見ろ。

自分が此處まで來るに就いては感謝しても感謝しきれない人がどれ位あるか知れない。今その内でも之を出すに就いて非常に骨折つてくれた兄、自分を勵まし自分に力を與へてくれた木村莊太君、木村莊八君に感謝してこの自序を終る。吾が愛は今に解る。吾が愛は今に解る。見よ、吾が狂烈なこの愛を。

二月二十八日

福士幸次郎

これは全世界を失つて彼自身の靈魂を獲た人の問題である

アアサア・シモンズ「文藝上に於ける象徴派の運動」

明治四十二年作

白の微動 ――十一月

中空の輝き

並木の梢は尖り

目覺めた光は建物の角かどに

鮮かな煌きの夢を抱く

廢れた洋館の空氣の

空しい音は遠ければ遠いほど……

擦り合ふ樹林に

かすかにかかる

晝の思ひに慄ふ壁のにほひ

ああ、崩れ掛けた壁に

日光の漂ひの

輝かしく、又痛々しい

單色の顫動

冷笑の鋭さ――

亡びた空想を嘲ける色

胸もあらはに投出した

其の崩壞!

跡!

煌き、波立つ光の上を

冬の日は殘りなく

微動し渡る

錘 ――十一月

雨は降る――

暗黒の夜を絶間もなく

みだれ……碎ける――夢の音

重い瞼を開く間

闇が這ひ

幾重にも押し包む

床の上――室内

机の上にはランプがある

音もなく……

錘の底から焔が燃える

しらしらとかすれながら

せき上げる

眞夜中の聲だらうか

熟睡した病女の

さてはたるんだ瞼だらうか

音もなく……錘の底から

焔が燃える

幻惑に勞れた焔は

衰へながらも燃え上り

………………………

力なくすれすれと

燃え上り……

又夢を見る

その中に

果もなく魂は

沙漠の雨に踏み迷ふ

落葉 ――十一月

溢れ動く感銘の惱ましい

雨の氣とうす暗と――

廂を振り落つる滴の――

途切れては孕まれて

止むことのない點……點

暗い一日の生の終りに

とりとまりない嘆きの一節を

泣き濡れた唇の慄ふままに

歌聲は絶え沈む――

水の上

斷ち切れぬ命の一筋に

亂れ降る霙の闇の扉

今日もまた

塞がれた爐を前に

風に追はれて散された

牢獄と老年は暮れた!

窓から ――十一月

死ぬるを忘れた青い鳥の羽

軟い光はガラス窓を廻り

閃く林の黄色い日

落した直覺の跡を微笑み

机の香ひを嗅いで、輕く打つ時

羽擦り合せる樹の上の鳥!

歡喜のさとさで漁るに速い

其の嘴を逸し給へ

貪婪な睡眠者の樹身の蟲!

温く軟い冬眠の歌

空から落ちた神話の巨人も

此の軟い歡喜を見たらうか

廻れ、廻れ、羽蟲の群

透明な羽の香ふままに……

古い花にも似て空氣の光るのを

小歌をあげて烟の立行くままに

POE に獻ず ――十一月

Leave my loneliness unbroken!“Raven”――E. A. Poe

密生林の眞白い閃めき

歩めば、歩むほど林の落葉を――

佇みめぐる晝中の思ひ……

一歩に一字の意味を探し

おち散る落葉の陰にも瞳を見出す時

晴れた十一月の空――

それにも優る感情の平明をおもふ

あはれこの詩は此處にも抱かれ

眞面目に色褪めた墓原を過る時

嵐のやうに渦卷いた生涯を

冷い眼で射返す――吾等!

『鴉』が翼を慄した Never more は

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