序章
他の慢性病もやはりさうであらうが、癩といへども、罹つたが最後全治不可能とはいへ、忽ちのうちに病み重るといふことはなく、波のやうに一進一退の長い月日を過しつつ、しかし満ちて来る潮のやうに、波の穂先は進んでは退き進んでは退きしつつやがて白い砂地を波の下にしてしまふ。さういふ風に病勢が進行を始めると患者達は「病気が騒ぎ出した」と云ひ、停止すると「落着いた」と云ふ。そして一騒ぎある毎に一段一段と病み重つて行くのである。唯一の治療法たる大楓子油の注射も効能は勿論あるとは云ひながら、しかしそれも進行の速度をゆるめるといふ程度に過ぎず、本質に於ては病気の進行は時間の進行と平行してゐるのである。ただ毀れかかつた時計のやうに、一時進行を中止してはまた急いで動き出すといふ調子である。もつともなかにはその中止すらもなくただ病み重つて行く一方の者もある。かういふのは湿性(菌陽性)には少く、乾性(菌陰性)に多い。
成瀬信吉もここへ来た始めの頃は懸命に注射すれば治癒することもあらうと思つてゐたのではあつたが、やがてさうした考へが如何に病気に対して無知な甘い考へであつたかに気付かねばならなかつた。今になつて思ひ当るのであるが、ここへ来て間もない頃、まだ十一二歳のあどけない女の児が、年長の男に「早く良くなつて帰るんだよ」と冗談半分に云はれた時「あたいの病気は解剖室に行かなきや癒らないんだい」と答へたのを彼は聞いたのであつた。現在なほその女の児を見る度にその時のことを彼は思ひ出すが、この純真そのもののやうな少女が、自分は解剖室へ行く以外に何処へも行き場のないことを意識してゐるのかと、暗憺たる気持になるのであるが、しかしこれは真実の言葉であつた。――そして入院後八ヶ月ほど過ぎた頃、成瀬の病気も突如「騒ぎ」始めたのであつた。
もう梅雨は終つてゐたが、毎日晴れ亙つた日とてはなく、それかと云つて降りもせず、じめじめとむし暑いかと思ふと急に袷を着たいやうな底冷がしたりしてずつと奇妙な天候が続いてゐたのである。かうした暑さ寒さの不安定は癩者の肉体を木片のやうに飜弄する。その日は成瀬自身も朝からなんとなく頭が重く、妙に体が熱つぽいやうには思つてゐたのであるが、例のやうに印刷部(患者達の手で、この病院の機関紙や文芸雑誌やその他薬袋などを印刷してゐる。成瀬は校正係を頼まれてゐた)へも仕事に行きちよつと風邪でもひいたのであらうと思つてゐたのだつたが、夕方になつて全身ぞくぞくと寒気がし始め、頭まで痛み出した。仕方なく床を敷き、ズボン下を脱いだとたんに、さすがにあつと彼も叫ばねばならなかつた。彼の左足は膝小僧から下ずつとすでに麻痺してをり、大腿部も表側の方は感覚を失つてゐた。その麻痺した部分一帯に点々と熱瘤が出てゐるのであつた。熱瘤といふのは医学的には急性結節と云はれてゐるさうであるが、しかしその実体がどういふものか、どうして出来るかは明らかではないとのことである。これが出ると定つて発熱し、四十一・二度といふ高熱も決して珍らしくはない。驚いてシャツを脱いで見ると、両腕はやはり麻痺した個所個所にぽつんぽつんとその赤い斑点が盛り上つてゐるのであつた。ちやうど居合はせた同室の者にガーゼを温めて貰ひ、それで手足を覆つて更に繃帯でぐるぐる巻に罨法をほどこしたが、翌朝になつて見るとも早や顔面一ぱいにその紅斑は広がつてゐた。指で触つて見ると飴玉でも含んでゐるやうに皮膚の内部にぐりぐりと塊つたものがあつて、押すとじいんと底痛みがするのだつた。医者に診て貰ふと、大したことはない、まあ一ヶ月くらゐ入室でもしてゆつくり休みなさいと親切に云つて、笑ひながら
「熱瘤では死にませんよ。」
と云つた。勿論冗談に云つたのであらうが、またこのやうな言葉を取り立てて云ふがほどのものもないのであるが、入院後まだ八ヶ月といふ、所謂新患者の成瀬の胸へはずんと応へ、不意に真つ黒い暗面を見せられた思ひになつた。入室と云ふのは重病室へ這入ることで、院内では療舎のことを健康舎と呼び作業に従ひ得るやうな者は健康者のうちに加へられるのである。重病室へ這入つて人々は始めて病人といふ言葉を使用する。重病室はいはばこの癩病村の病院であり、入室はつまり入院であつた。入室と聞いて成瀬は、それが始めてのことであるだけに余計強く心に響き、病み衰へて死と生の間をさまよつてゐる病人や、半ば腐ち果てた重病者達のうようよとした病室内の光景が思ひ描かれて、はやその方へ一歩を踏み出した自分を意識しなければならなかつた。そして同時にここ半月ばかり前からの物狂ほしい日々も思ひ出され、肉体的にも社会的にも生活らしい生活の全部を奪ひ去られた挙句、更に自分の精神生活までも一歩一歩窮地に追ひ込まれ行く入院以来の日々が浮び上つて来るのであつた。
この病院へ這入つた者は誰でも最初一週間は重病室に入れられ、そこで病歴が調べられたり、病気の程度や余病の有無に就いて調べられたりした後、始めて適当な療舎へ移り住むのである。もつとも最近になつて癩問題も喧しく叫ばれるやうになつたため病院に対する同情も社会人の間に広まつて、その故であらう今は収容病室といふ特別な病室が、ある有力な財団から寄附されて、既に完成してゐるが、成瀬が入院した時はまだ普通病室の三号がそれに当てられてゐた。全然、それまで自分以外に癩患者を見たこともなかつた成瀬にとつては三号病室に於ける一週間の生活は、思ひ出すさへにぞつとする悪夢のやうなものであつた。ひとあし、病室内に足を入れた刹那、むんと鼻を衝いて来た膿汁の臭ひは、八ヶ月を過ぎる現在まで執拗にこびりついてゐて、たとへば飯を食はうと箸を持つた時などふとその悪臭が蘇つて来ると、もうぐぐぐと嘔気が込み上げて来るのである。なんといふ奇怪な世界へ来たものであらうと、暫くは成瀬も自分の眼を信ずることが出来なかつた。これが人間の世界であらうか、それは最早人間界と云ひ切ることは困難であつた。右を見てひよいと赤鬼のやうな貌にぶつかり、ぞつとして左に眼を外らすと真蒼なひよつとこにそつくりの貌がにやりと笑ひながら成瀬の方を見てゐるのだつた。右にも左にも前にも後にも、彼の眼を向けるに適した空間はないのである。それは社会の底を、人類の底を土龍のやうに生きてゐる一つの種族だつたのである。東洋人でもなければ西洋人でもなく、また南洋土人でもない、その何れの範疇にも属さぬ「癩種族」なのである。全人類から滅亡を迫られ亡ぶることによつてのみ人類に役立つナリン棒の種族なのである。
ここへ来て五日目、成瀬は一つの事件にぶつかつた。これはほんのちよつとした事だつたが、成瀬の脅え切つた神経には異状な出来事として深く記憶に残された。彼は最初の日からずつと不眠が続いてゐたが、その夜になつて始めてうとうと浅い眠りを得たのだつた。真夜中頃だつたであらう、ふと眼を醒ますとばたばたと慌しく廊下を駈ける足音や、切迫した声などが入乱れて聞えた。どうしたのであらうと急いでベッドの上に起き上ると、彼からはずつと離れた向う端の隅のベッドへ七八人もが塊つて何か口々に騒音を立ててゐるのであつた。あわを食つたやうに附添夫が荒つぽくドアを開けて駈け出して行くと、
「早くせんと息が断れるぞ!」
と塊の中の一人がど鳴つたりするのだつた。成瀬には何事が起つたのかさつぱり判らなかつたが、何か異常な雰囲気に打たれて急いでそこへ行つて見た。人々の背後から伸び上つて覗くと、まだ若い男であらう、長髪で枕を埋めてゐるが顔全体腐つた果物のやうになつた男が、仰向けに寝て、頸を縊られた鶏か何かのやうに、ひくひくと全身を痙攣させながら手足をばたばたさせてゐるのだつた。後になつて成瀬は知つたが、喉頭癩で咽喉が塞がつて了つたのである。どす黒くなつた額に血管がみみずのやうにふくれ上り、ククックククと咽喉を鳴らせては喘いでゐるのだ。眼は宙に引つつり掌を固く握りしめて、文字通り今にも呼吸が断れようとしてゐるのである。間もなく附添夫が、がたがたと手押車を室内へ押し込んで来ると、叩き込むやうに病人を車に載せて手術室へ駈け出して行った。
「医者は出て来たか!」
と叫びながら三四人が追つて行つた。残つた連中は、
「可哀想に咽喉切るくらゐなら死ねば良かつたに。」
「咽喉切り三年か、ああああ。」
などとめいめい勝手なことを云ひながらベッドへごそごそともぐり込むのであつた。翌日になつて成瀬は「咽喉切り三年」の意味を知つたが、この手術をした者は三年以内に死ぬといふのである。勿論例外はあり、五年十年と生き延びる者もゐるにはゐるが、大部分が手術後いくばくも過さずして命をとられるのである。
このことがあつてから間もなく療舎生活を成瀬は始めたのであるが、夜になつて床に入る度にその手足をばたばたさせた様が眼先にちらつき、ククックククと鳴つた咽喉の音などが耳殻の底に聴え出してならなかつた。あのやうに半ば腐ちかかつた体を、咽喉に穴を穿つてまで生き度いのであらうかと、生の欲望の強さが呪はしくもまた浅ましくも思はれるのだつた。
それでも病気に対して悉しい知識もなかつた彼は、さうしたことが直接自分につながりをもつたことだとはどうしても思へず、兎に角一日も早く退院しなければならぬと覚悟をし、毎週三回の大楓子注射を一度もかかさず打ち続けたのである。そして注射をする度に幾分の安堵を感じ、時にこつそりと麻痺した部分へ触つて見、少しは感覚があるやうになつたのではあるまいかと眼をつぶつてまた触つて見たりしたのであつた。しかし日がたつにつれて、徐々に「考へれば考へるほど恐しい病気」の現実に屈伏して行かねばならなかつた。入院した当座の驚愕や恐怖は要するに感官的なものに過ぎなかつた。かつて見たことのないものを見た驚きであり、かつて聞いたことのない音を聞いた恐しさであつたに過ぎなかつたのである。しかしやがてはさうした知覚上の驚愕や恐怖が少しづつ内部へ内部へと浸み透つて行きでもしたかのやうに彼の苦しみは募つて行き、深まつて行つたのである。何時になつても麻痺した部分は依然として枯れたやうに無感覚で、それでも月に一度くらゐは思ひ出して注意をその部分に集中させながら試して見るが、ただ徒労を重ねるばかりであつた。その度に絶望的な焦立ちを覚えて居ても立つてもゐられない思ひになつた。
療舎の生活は暗いとも明るいとも云へぬそれは灰白色に塗り潰された日々だつた。いきいきとした一つの希望も与へられぬ患者達は、また深い絶望もなく、ただ時どきの反射運動を続けるだけだつた。成瀬のやうに感受性が発達した青年にとつては、慣れ切るといふことは殆ど不可能にちかく、とり分け死ぬまで癒らぬと思はねばならなくなつた現在のやうな立場にあつては、苦悶は一日一日とまさつて行く一方であつたが、彼等は驚くべき速さで病院に慣れ、病気に慣れこの小さな世界に各々の生活を形造つて行くのだつた。夜が明けると彼等は鼻唄混りで作業に出かけて行き、十一時には昼食に帰つて来、一時までの二時間を縁側に寝転んでのうのうしく背中を乾して女の話を続けてまた出かけて行くと、三時半には仕事を終つて夕食を食ふ。それから十時の消燈時刻まで婦人舎へ遊びに出かけて行つて、患者監督と口醜く罵り合つて帰つて来る。どういふ訳か癩には婦人患者が少く、何処の療養所でも女は三十パーセントの割合である。従つて激しい競争が演ぜられ、若い女が一人収容されると我先にと押しかけて行き、良き第一印象を与えるべく才能のありたけを傾けるのである。そして結局三十パーセントの幸運者と四十パーセントの不幸な落伍者が出来る。それゆゑ「女が出来た」「おつかあ持つた」と云へば大した成功であり、さうして始めて院内の信用を獲得し一人前の人間であると自他共に認めるのである。何しろ女がふつていしてゐるのであれば、この院内では女は王様で男は下僕にも等しいのは当然である。彼等の日常生活を豊富にするものはすなはち彼女等であつた。眉毛はすつかり抜け落ち、ちよつと突けば膿が飛び出すかと思はれるほどどす黒く膨張した貌に安クリームを塗りつけ、鏡を覗いては禿げかかつた部分を隠すのに苦労してゐる彼等を眺めながら成瀬は、しかしかうした生活以外に彼等に何が残されてゐるであらうと思ひ、ここへ来たばかりの彼であれば浅ましいと一言で片づけることも出来たであらうが、病気の現実を知つた今の彼には、ただどん底のせつぱつまつた生活ばかりが見えて批判の無意味さを知らねばならないのであつた。浅ましいとも醜悪とも、その他なんとでも云へば云へよう、この病院の近所の百姓達は「山の豚共」といふ言葉をもつて患者達を呼ぶ習はしださうである、身を病院に置かない「壮健」共にとつてはかう嘲笑して済ましてもゐられるであらうが、成瀬はしかし自分自身その豚共の一員であることを意識しなければならないのである。なんといふ恐しい世界へ自分は来たのであらう、命の有る限りの永い年月をこの中で暮して行かねばならないのであらうか、生きる、生き抜く、これは美しいことであるかも知れぬ、貴いことであるかも知れぬ、しかしどうして貴くなければいけないのか、どうして美しくなければいけないのか、――成瀬は折に触れてふと自殺が頭をかすめるやうになつた。
そして熱瘤の出る一ヶ月くらゐ前から、夕方になるとあてもなく雑木林の中を歩きまはる習慣がついたのである。勿論今すぐどうしようといふ気持はなかったが、ふと気付いて見ると何時のまにか死のことばかりを考へ続けてゐるのに驚くことも再三でなかつた。熱瘤を出したといふのも、かうした夜歩きが体に毒したのであらう。彼の病型は湿性であるが――さうでなければ熱瘤は出ない――この病型のみでなく、凡て夜露は悪いのである。それに時とすると小雨が降つてゐるやうな日でも、彼は十時の消燈時刻が過ぎるまで歩き続けたりしたのだつた。病気に毒だといふことは彼も知つてゐたが、しかし体を大切にして何になるか、と思へば最早彼を引止める何者もないのである。彼の死を聞けば故郷の肉身は嘆くであらう、しかし彼等にしてもその嘆きの中にかへつてほつと安堵を覚えるであらう。いや真実のことを云ふならば、或は一時も早く死んで欲しいのであるかも知れない。勿論成瀬も折々は故郷へ思ひをはせることはあつたが、死と貌つき合はせるやうになつては、社会への、いや生活へのあこがれはあつても故郷へのあこがれは消えて了つた。――その頃成瀬は夕暮近い時刻になると定つて異状な不安と絶望に陥り、一時も早く何処かへ行かねばならぬ思ひに心が焦立ち始めるのであつた。強ひて床に就いて見ることもあつたが、睡れぬばかりか狂ほしいのである。そして神経は病的に冱え返り、こつりと鼠の音が天井裏でするとはつと全身に恐怖が流れ、じつと体を竦めてゐると底知れぬ深い谷底へでも墜落して行くやうな思ひに襲はれるのである。そして結局は長い時間を林の中で過すのであつた。死ぬか生きるか、この二つに一つの疑問が、成瀬に向つて解答を迫つてゐるのだつた。
けれど熱瘤が出るまでは、まだ一つの小さな安心があつた。他でもない、彼はまだ軽症であつたのである。手足に麻痺した部分はあつても、顔面の片側に浸潤が来てゐても、まだ軽症であつたのである。神経痛一つ彼は知らず、全身何処にも疵はなく、まだ五年や七年は、いざとなれば逃走も出来たのである。軽症、このことだけが僅かに彼を慰め、よし最後には重症たるべく運命づけられてゐるとは云へ、重病室とはまだまだ距離がある。それまでには何とか――と彼は考へてゐたのだつたが、今やその最後の安心も断ち切れて了つたのだつた。
入室となると部屋中の者総がかりで、或者は布団をかつぎ、或者は食器を入れた笊を抱へて、病人を載せたリヤカーを囲んでぞろぞろと病室までを異様な行列を続けて行く。成瀬の這入る病室は五号だつた。五号は、幾棟も並んだ病棟の中、最も北側で、玄関をつき合せて十号と並んでゐた。十号は特種病室で狂人や白痴が這入つてゐる。診察のあつたあくる日、成瀬もまたリヤカーに載せられて五号へ牽いて行かれた。リヤカーの人となつた刹那、彼はふと手押車で手術室へ運んで行かれた喉頭癩の男を思ひ出し、その男は今はもう元気に毎日咽喉に取りつけた管のついた金具の掃除をしてゐるさうであるが、手足をばたばたと藻掻いた様子が成瀬の心から離れ難いのであつた。彼はリヤカーの中で跼み身をちぢめてぼうつと熱に浮かされた頭に車の響きが激しく伝はつて来るのを覚えながら、遂々自分も重病室の一員となつたかと無量の感慨が溢れた。余程の高熱が出てゐるのであらう、痛みといふものは覚えず、眼をあげると並び合つた舎と舎の間に覗かれる彼方の雑木林がぼうとかすんで、雲の中をでも行くやうに全身が浮き上つて感ぜられるのであつた。人々に助けられてベッドに横たはると、御世話様でしたと礼の言葉を出すのがやつとであつた。
「お大事に。」「成瀬さんお大事に。」と口々に枕許で云ふ人々の声を成瀬は瞑朧の中に聴いたまま、うつらうつらとした世界に全身が引き入れられて行つた。