Chapter 1 of 9

樹下

その藁屋根の古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径のかたわらに、一体の小さな苔蒸した石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木洩れ日に光って見えている。いずれ観音像かなにかだろうし、しおらしいなどとはもってのほかだが、――いかにもお粗末なもので、石仏といっても、ここいらにはざらにある脆い焼石、――顔も鼻のあたりが欠け、天衣などもすっかり磨滅し、そのうえ苔がほとんど半身を被ってしまっているのだ。右手を頬にあてて、頭を傾げているその姿がちょっとおもしろい。一種の思惟象とでもいうべき様式なのだろうが、そんなむずかしい言葉でその姿を言いあらわすのはすこしおかしい。もうすこし、何んといったらいいか、無心な姿勢だ。それを拝しながら過ぎる村人たちだって、彼等の日常生活のなかでどうかした工合でそういった姿勢をしていることもあるかも知れないような、親しい、なにげなさなのだ。……そんな笹むらのなかの何んでもない石仏だが、その村でひと夏を過ごしているうちに、いつかその石仏のあるあたりが、それまで一度もそういったものに心を寄せたことのない私にも、その村での散歩の愉しみのひとつになった。ときどきそこいらの路傍から採ってきたような可憐な草花が二つ三つその前に供えられてあることがある。村の子供らのいたずららしい。が、そんなのではない、もうすこしちゃんとした花が供えられ、お線香なども上がっていたことも、その夏のあいだに二三度あった。

「お寺の裏の笹むらのなかに、こう、ちょっとおもしろい恰好をした石仏があるでしょう? あれはなんでしょうか?」夏の末になって、私はその寺のまだ四十がらみの、しかしもう鋭く痩せた住職からいろいろ村の話を聴いたあとで、そう質問をした。

「さあ、わたしもあの石仏のことは何もきいておりませんが、どういう由緒のものですかな。かたちから見ますと、まあ如意輪観音にちかいものかと思いますが。……何しろ、ここいらではちょっと類のないもので、おそらく石工がどこかで見覚えてきて、それを無邪気に真似でもしたのではないでしょうか?……」

「そういうこともあるんですか? それはいい。……」私にはその説がすっかり気に入った。たしかに、その像をつくったものは、その形相の意味をよく知っていてそう造ったのではない。ただその形相そのものに対する素朴な愛好からそういうものを生んだのだ。そうしてその故に、――そこにまだわずかにせよ残っているかも知れない原初の崇高な形相にまで、私のようなものの心をあくがれしめるのであろうか? こんないかにもなにげない像ですら。……

「ときどきお花やお線香などが上がっているようですが、村の人たちはあの像にも何か特別な信仰をもっているのですか?」

最後に私はそんなこともきいてみた。

「さあ、それもいつごろからの事だか知りませんけれど、わりに近頃になってからだそうですが、歯を病む子をつれて、村の年よりどもがよく拝みに来ます。」そういってその住職は笑った。

「あの指先で頬を支えている思惟の相が、村びとにはなんのことやら分からなくって、いつかそんな俗信を生むようになったと見えますな。」

「それはいくら何んでも……」そう言いかけたが、しかしそのまま私は口をつぐんで、これから秋になって、夜ごとに虫がすだいて啼きはじめるあの笹むらのなかで、相変らず、じいっと小さな頭を傾げているだろうその無心そうな像を、ふいと目のうちに蘇らせた。いつのまにこの像がこんなに自分にとって親しみのあるものになってしまったのだろうと訝りながら。……

それから数年立って、私もときどき大和のほうへ出かけては、古い寺や名だかい仏像などを見て歩いたりするようになったが、そんな旅すがら、路傍などによく見かける名もない小さな石仏のようなものにも目を止めるようにしていた。そういうものの中には私の心を惹くようなものもかなりあるにはあったが、数年前信濃の山のべの村で見つけたあんなような味わいのあるものは一つも見出せなかった。そして、私はときどきあの笹むらのなかで小さな頭を傾げていた観音像を好んで思いだしていた。もとより旅にあってはほどよく感傷的になるのも好いとおもっている私のことだから、それが単なる自己の感傷に過ぎなくても、それもそれで好いとおもっていた。

云ってみれば、それはそれまで何年かその山ちかい村で孤独に暮らしていた自分をもその一部とした信濃そのものに対する一種のなつかしさでもあろうし、又、こうやって大和の古びた村々をひとりでさまよい歩いているいまの自分の旅すがたは旅すがたで、そんな数年前の何か思いつめていたような自分がそういったはかないものにまで心を寄せながら、いつかそれを通してひそかにあくがれていたものでもあったのであろう。ともかくも、その笹むらのなかの小さな思惟像は、何かにつけて、旅びとの私にはおもい出されがちだった。

或る秋の日にひとりで心ゆくまで拝してきた中宮寺の観音像。――その観音像の優しく力づよい美しさについては、いまさら私なんぞの何もいうことはない。ただ、この観音像がわれわれをかくも惹きつけ、かくも感嘆せしめずにはおかない所以の一つは、その半跏思惟の形相そのものであろうと説かれた浜田博士の闊達な一文は私の心をいまだに充たしている。その後も、二三の学者のこの像の半跏思惟の形の発生を考察した論文などを読んだりして、それがはるかにガンダラの樹下思惟像あたりから発生して来ているという説などもあることを知り、私はいよいよ心に充ちるものを感じた。

あのいかにも古拙なガンダラの樹下思惟像――仏伝のなかの、太子が樹下で思惟三昧の境にはいられると、その樹がおのずから枝を曲げて、その太子のうえに蔭をつくったという奇蹟を示す像――そういう異様に葉の大きな一本の樹を装飾的にあしらった、浅浮彫りの、数箇の太子思惟像の写真などをこの頃手にとって眺めたりしているときなど、私はまた心の一隅であの信濃の山ちかい村の寺の小さな石仏をおもい浮かべがちだった。

一つの思惟像として、瞑想の頬杖をしている手つきが、いかにも無様なので、村人たちには怪しい迷信をさえ生じさせていたが、――そのうえ、鼻は欠け落ち、それに胸のあたりまで一めんに苔が生えていて、……そういえば、そんなにそれが苔づくほど、その石仏のあるあたりは、どんな夏の日ざかりにもいつも何かひえびえとしていて、そこいらまで来ると、ふいと好い気もちになってひとりでに足も止まり、ついそのままそこの笹むらのなかの石仏の上へしばらく目を憩わせる。と、苔の肌はしっとりとしている。ちょっとそれを撫でてみたくなるような見事さで。――そう、いまのいままでそれに気がつかなかったのは、いや、気がついていてもそれを何とも思わずにいたのは随分迂闊だが、あそこは何かの大きな樹の下だったにちがいない。――すこし離れてみなければ、それが何んの樹だかも分からないほどの大きな樹だったのだ。あの頬杖をしている小さな石仏のうえにちらちらしていた木洩れ日も、よほど高いところから好い工合に落ちてきていたので、あんなに私を夢み心地にさせたのだったろう。

あれは一体、何んの樹だったのだろうか?……そんなことをおもいながら、私はふと樹下思惟という言葉を、その言葉のもつ云いしれずなつかしい心像を、身にひしひしと感じた。あれは一体、何んの樹? ……だが、あの大きな樹の下で、ひとり静かに思惟にふけっていたもの――それはあの笹むらのなかに小さな頭を傾げていた石仏だったろうか? それとも、それに見入りながらその怪しげな思惟像をとおしてはるか彼方のものに心を惹かれていた私のほうではなかったろうか?

それにしても、あそこには、――あの何やらメエルヘンめいた石仏の前には、いまだにあの愚かな村びとどもの香花が絶えないだろうか? 子供たちがそこいらの路傍から摘んでくるかわいらしい草花だけならいいが……

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