Chapter 1 of 4

ニュートン・ムーアが緊張して指でまさぐった一片の艶紙は自分のパスポート、拝謁するのはほかでもない首相本人である。

仏頂面の名誉次官がムーアに用件を尋ねるさまは、これ以上の慇懃無礼ができるかというほどだ。

諜報部員のムーアが名刺を渡して待った。名刺はウェスタハウス卿のもの、鉛筆で「持参人面会許可」と書かれている。

仏頂面が高慢ちきに笑った。すぐにムーアは首相の個室に通された。

「閣下、お呼びでございますか」

とムーアがおずおず尋ねた。

ああ、と首相のウェスタハウス卿が額に手を当て、何か重要なことを思い出したかのように、

「ムーア君、呼んだよ。チャールズ・モーリィ卿が君の素晴らしい業績を教えてくれた。一つ引き受けてほしいのだが、大きな負担がかかるかもしれない。任務に全く危険がないとはいえない。必要なのは機転と工夫だ」

ムーアはお辞儀して、信頼に感謝した。

「アストリア大使のワルマ卿を少しは知ってるか」

と首相が尋ねた。

「聞いたことがあります。ワルマ卿の人となりは知能が高く、物知りの大家、バイオリンの名手と聞いています。何編か詩も読んだことがあります」

「高く評価しているのだな」

「部外者としてはそうですね、閣下。ワルマ卿は今まで素晴らしい方ですし、またちょっと気まぐれです。噂では家系に精神異常の気質があるとか」

首相の顔に重苦しい表情が浮かんだ。

「それを恐れている。ワルマ卿は任務をよく果たしてくれる。依然として高く評価している。しかし最近のことだが、ワルマ卿が裏切ったと結論せざるを得ない。つまり自国の為にならないという意味だ」

ムーアがちっと舌打ちした。首相である第一大蔵卿の前だろうが、ムーアは不敬をためらうことがなかった。

「閣下、時間の浪費のように思われます」

とムーアが言った。

幾分冷静にウェスタハウス卿が求めたのは、もっといい返事だった。

ムーアがことを重大に受けとめ始めた。明らかにワルマ卿には自国の秘密を漏らした疑いがかかっている。

このような驚くべき事案はこと大使に関し、前代未聞だろう。ウェスタハウス卿が事実を打ち明けなければ、話をしても意味が無い。

「君は向う見ずだよな」

と首相のウェスタハウス卿が嫌みに言った。

「閣下、そうかもしれませんが、バカじゃないですよ」

ウェスタハウス卿は下敷きに骸骨を三個、乱暴に描いてから返事した。

「その通りだ、悪かった。要するにこういうことだ。ここしばらく我が国は欧州外交で大失態を演じ続けておる。だからこそおかしい。というのも今まで信頼していたワルマ卿が鮮やかに成功を収めてきたからだ。いつも如才なさと技量を発揮した。外交文書は独創性、方向性において申し分なかった。しかるに、新方針の裁可を求めるにあたり、その動きが敵方に確実に予測されておる。当該計画は我々の協議を知らぬ輩が予測できるものではない。だから、敵が外交文書を見たという事実は確信せざるを得ない」

「ワルマ卿に指摘されましたか」

「もちろんだ。我々同様、困惑し苦しんでおる。話によれば外交文書の改ざんは不可能だという。最近の外交文書もワルマ卿が書いたマル秘だ。卿自ら仕上げて、自ら投函した。アストリアの首都マリナからちょっと離れた場所からだ。そこから遠方の間違った住所に送られ、しかも封筒の筆跡が巧妙に似せてあった。だが絶対確実なことは敵方が外交文書を見ている。さて、君はこれをどう説明できるか」

「いまはできません。しかしとても興味深いですね。ワルマ卿が私信ですべてを打ち明けられたと思いますが」

「その手紙は私が持っている」

「よろしければ拝見したいのですが」

すぐにウェスタハウス卿が文書を渡した。内容にはたいして興味がない。すでに大体のことは知っているからだ。

筆跡を熱心に見た。細かい几帳面な字だがちょっと震えており、年配の識者の筆跡であり、乱れている。

最後に追伸があり、明らかに書面をしたためたあと時間をおいて書かれており、再考を書き足している。文字をじっと見て、ムーアの瞳孔が広がった。

「何か分かったか」

と首相が訊いた。

「わかりました。本文と追伸を比べてください。筆跡は同じですが、本文は現在のワルマ卿のもの、追伸はあたかも二十年前を思わせます。見てください、追伸はしっかり安定しています。署名すら弱々しいのに。さっそく取り掛かります」

「手がかりをつかんだのか」

ムーアが笑みを浮かべた。両眼が輝いている。

「手がかり、しかも大変重要なことです。ワルマ卿が今まで世間の目を隠し続けていた秘密を突きとめました。何も分からないかもしれませんが、字面を見れば明白です。さしあたり、秘密にしておきましょう」

ムーアの口調には自信があふれていた。ウェスタハウス卿が時計を見た。

「私は君を全面的に信頼している。ワルマ卿も聞き及んでいるし、同卿の裁量で君を送ってくれと頼んできた。個人秘書の肩書でマリナへ行ってくれ。自己紹介の必要はないだろう。私から君を招聘するよう忠告するのはうまくないからね。で、いつ行ける?」

「夜の船便で渡ります。あさってにはマリナに到着します」

ウェスタハウス卿がまた時計を、今度はじっと見つめた。ムーアが立ちあがった。前述の手掛かりは決して忘れない。首相も同時に立ちあがり、手を差し伸べて、

「幸運を祈る。盤上の手合いを直ちにやっつけるように」

三時間後、ムーアはドーバー海峡にいた。

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