一
和やかな初夏の海辺には微風の気合ひも感ぜられなかつた。呑気な学生が四五人、砂浜に寝転んでとりとめもなく騒々しい雑談に花を咲かせてゐた。
「ゆらのとをわたるふなびとかぢをたへ ゆくへも知らぬこひのみちかな――か、今となると既にもうあの頃がなつかしいな、いや、満里のところの歌留多会がさ。」
「柄にもない眼つきをするない、こいつ!」
「ところが俺には、れつきとした懐し味の思ひ出があるんだから大したもんだらう、まあ聞けよ。」
「しかし……」
その時、砂日傘の下でポータブルの鍵を巻いてゐたひよろ長い男が厭に沁々とした口調で、
「これだけ達者な面々が、いつも顔をならべてゐて誰一人として、これといふほどのラヴ・アツフエアを起さないなんて、考へて見ると実に慨嘆のいたりぢやないか。寄るとさはるとたゞ騒々しく女の美しさばかりを讚へてゐて、悶々としたり、感傷的になつたりして堂々廻りをしてゐるなんて、一体、諸君!」
故意とらしい演説口調で重さうに腕組をすると、さつき何か云ひ出さうとした見るからに元気者らしい剽軽な男は、
「田八は直ぐに真面目さうな顔をするんで厭になるな。小説ぢやあるまいし左う左う恋愛事件などがあつて堪るものか。この空しさの中で次々に抒情味を感じてゐれば、それが青春といふものなんだ。」
話の腰を折られて、こゝろもち顔を赧らめながら低い声で呟いた。
「一体諸君、君達は自分を憐れと思はないかしら――俺は今日限り決心したぞ、何うしても恋人を探さずには置かない。」
前の男が関はずそんなことを続けると、
「左う云はれて見ると俺も凝つとしては居られなくなつたな。まつたく何うも一刻さへも惜まれるぞ……」
大きな口をあけて上向に寝て、裸の胸や腹を空に曝してゐる就中呑気者らしい一人が、やけに賛同して、突然、
「鯨だあ!」
などゝ叫んで、そのまゝ煙草の煙りをふうつと吐き出した。煙りが細長くすい/\と延びて傍らの砂日傘の上に達しても消えなかつた。誰が何を饒舌つても、争つても忽ち消えてしまつて一沫のよどみも感ぜられない底の実にも長閑な春の午近い海辺であつた。
「おつそろしい長え呼吸だな、こいつは!」
「ルーテル博士のおなかのやうぢや!」
「こいつの腹を思ひつきり踏み潰したら、さぞかし胸がすくだらうぜ。」
皆ながげら/\と笑つた。が、演説口調は見向きもしないで、
「皆なは、例へばこの頃の満里百合子さんの場合にしろ、てんでんにあんなに逆上して、夢中になつて召使はれてゐるんだが、彼女が間もなくすつと消えてしまつたら何うだ、いや消えるにきまつてゐら……」
彼は思はずグツと喉を詰らせた。――「斯んなに騒いでゐる俺達の誰ひとりもが、彼女の脚にさへも触れることなしに……」
「慨嘆も好いが、きはどい感情に走るな――左う聞いたゞけで俺の胸から腹へかけて、突如、稲妻のやうな冷いものが猛烈な勢ひで駆け抜けたわい!」
「だから互ひに決心しようてえんだ……」
「しかし、あんな明朗な美人がだな、万一にもこの仲間の誰かと結婚して、傍観をする思ひと、一層、孔雀のやうに見知らぬ空へ飛び去られて互ひに顔を見合せるのと、どちら? と問はるゝならば、俺は寧ろ後者を選ぶよ。」
「そんな俺達の気の弱さが俺は腹が立つんだよ。何故鎬を削つて張り合はないんだ。馬鹿野郎!」
それを自分に浴せるやうな胴間声で叫んだ者もあつた。汀のあたりでは鴎の群が低い空で大きな渦を巻いてゐた。
「決して誰にも特別な自惚れを与へぬ程度で、巧みに一団を操る彼女は余程のサイレンだな。」
「操つてゐるわけぢやないさ、魅力に俺達が勝手に操られてゐるだけのことさ。」
「歌留多会の思ひ出に何んな懐しさとやらがあるんだい、さあ聞かう?」
「駄目/\――失恋だ!」
砂に顔を埋めた、その男は――。
「皆ながいよ/\失恋したら、皆なで、こいつの腹を切つてしまはうぜ。」
鯨の真似をつゞけてゐる男を指して誰やらがからかつた。
田上、音田、鯨井、森、青野――だが、誰の言葉が何れといふ区別の要もない、若者達はとりとめもなくまくし立てながら、たゞ、移りゆく時と光りに戯れてゐるかの風情であるだけだつた。
「泳がう。」
と誰かゞ叫んだ。
「もう寒くはないぞ。」
彼等は忽ち水着ひとつになるや、ワツといふ鬨の声を挙げながら、宙を飛んで駆け出した。渚のちかくで先頭のひとりが、鮮やかな宙返りを打つて波の底へ飛び込むと、皆ながそろつてもんどりを打つたまゝ波をくゞつて、容易に頭を現さなかつた。
「音ちやんは何故泳がないの?」
音田がひとりでセレナードを聴いてゐると、うしろから日傘をゆすつて、百合子が、
「二階から見てゐたのよ。そしたら妾も泳ぎたくなつて出かけて来たんだけど、やつぱし寒さうね!」
と云ひながら白い素足を音田にならべて、砂に腰を降した。そして、脱いで見よう――と脱ぎながら、オレンヂ色のフアコートを脱ぎ棄てると水着ひとつだつた。
「妾、とても肥つたのよ。去年は斯んなぢやなかつたのに、斯んなに窮屈になつてしまつて、うつかりするとほころびさうだわ。」
百合子は赤いバンドで胴を括つた海老茶の水着の上から胸をさすつたり、肩をすぼめたりして、
「厭な音ちやん、ひとが話しかけてゐるのに返事もしないで、妾の顔ばかり見てゐるわ。」
「さつき此処でね、百合さんはシルビア・シドニイに似てゐるといふことになつたんだが――誰に関はらず似てゐると云はれるのは不服なものだつてね。」
「不服なものか――藤さんも左う云つてゐたさ、得意だぞ――」
「藤さんて、何処の、誰だ――云へ/\!」
「ハツハツハ……諸君のお仲間ぢやない――とだけ云つて置かうか。……寒かないけれど、入る元気はないな。さかんに呼んでやがら、不良共が――」
百合子は片手を高くひらひらと伸して、
「サンドヰツチをあげるから、あがつておいで……」
と叫んだ。
波の向方で、
「此処から眺めると相当の情景と見うけられるが、仲間ぢや安心だな。」
「それを――仮想して見ようか、彼女が俺達の知らない恋人と共に気分を濃厚に漂はせてゐる場面として……」
「――とても堪らない、俺は想つたゞけで胸が破裂しさうになる。徹底的の嫉妬感を味はひ尽せるぞ。」
「やがて、左うした嫉妬と絶望のどん底へ突き落される前提としてのトレイニングぢや。」
「世の中には幸福な奴もゐるものぢや、彼女に選ばれる男とは一体今頃何処に生きてゐる奴だツ!」
「私が所望ぢや!」
「アツプ/\――救けて呉れ!」
水をたゝきながら、ブク/\と沈んだり浮いたりして狂ひまはつてゐた連中は、
「それツ、女王様のお召しぢやぞ!」
と認めるや否や一斉に猛烈なストロークで水雷のやうに陸を目がけた。
「火を焚かう――震えるぞ!」
「火の代りに俺達の人魚をとりまけ……」
唇を紫にして震えてゐる連中は砂に転げ回つても温みが利かないので、音田に命じてトラバトウレをじやん/\と鳴らさせながら、百合子を囲んで、激しく滅茶苦茶なカロルを踊りはぢめた。
「冷たいぢやないのよ、馬鹿! ……雨のやうなしぶきを飛ばせて……」
百合子が悲鳴をあげて逃げまどふのも関はず、連中は風に煽られた回り灯籠のやうに凄まじく、ぐる/\と回つて、やがて目が回つてばたり/\と打ち倒れるまで、かごめかごめの凄まじい堂々回りを続けた。
「この人達は皆な気違ひかしら!」
百合子は、連中が、天狗にでも投げ飛されたやうな格好で、あちらこちらに悶絶してゐる姿を眺めて稍不気味さうに呟いた。
……左うしたら誰を一番先に百合子が救け起すだらうか? といふことで、先程賭を約束して置いた彼等は、それぞれ凝つと息を殺して死んだまゝ、甘い囁きの夢に耽つてゐたのであるが、待つても待つても一向に音沙汰はなく、やがて弁当籠の開かれる音を耳にすると、てんでんに、やあ/\! と頭を掻きながらむくむくと生き返つた。