一
今月、雑誌を手にとるがいなや、自分が評家の立場であるなしにかゝはらず、待ちかまへて読んだものが、三つもあつたことは大変に愉快でした。それは、「早稲田文学」の、室生犀星作、弄獅子と、「中央公論」の、広津和郎作、一時代と、そして、「改造」の、眼中の人、小島政二郎作の三篇です。今月の、「早稲田文学」の論説壇で、二人の新進作家を語るといふ、中谷博の、冒頭を今不図見たのでありますが、斯様に述べられて居ります――小説は、およそ、面白いものでなければ困る。読者は、決して、作家の親戚でも親友でもない、どれほど面白くなくとも、義理から読んで呉れる筈のものなのではない、況んや文学青年あつかひして、甘く見くびつたりさるべきものではない。さればとて読者をば、選ばれたる人々とか常に時代の尖端を切つてゐる人々とかに解しても嘘にならう。要するに読者とは、平凡な社会人を以つて構成された読書生の一群と見るが穏当であらう――と。
さうです、いつも例へばわたし自身にしろ、面白さうなものばかりしか読みません。自分が作家生活をするようになつてからは、これではいけないと感じながらも、どんなに評判の好いものでも、つい無精になつて、十年、十五年と読み慣れてゐる作家のものより他には読みません。で、さういふ癖は改めるに如くはないと思ひましたので、むしろ読みたいものは後まはしにして、見学式な望遠鏡を執らなければ、この筆を執る意味もなくなると眼を据えて十日も前から凡てのものをぼつばつ読みはじめて、そのいちいちに就いては決して自分らしくかた寄らぬ感想を述べるつもりで居りますが、さういふ間にもやはりその三篇のことが眼の先におどつて、落つきません故、先に述べさせて貰ひます。どうぞ、わがまゝ勝手な評者と思はないで下さい。
さて、わたしは、一月号の「早稲田文学」で、犀星作の、弄獅子をはじめは何気なく読みはじめたのです。標題を眺め、小標題を見て、詩のやうな、そして随筆のやうに凝つた作品かとおもひました。白状すると、わたしは、さつきも申したやうな次第で、室生犀星の小説が近年になつてますます薄気味悪いやうな底力がみなぎりあふれ、かれとしての芸術のうんあうにむかつて猛々しく、恰もそれはブルドツグのやうな骨組で、且つはまた、夜の大空におどる怪竜の、爪の光りか、鱗の輝きか――といふやうな、その他さまざまな好評を聞いても、つい/\無精を決めこんで居りました。詩や随筆は折にふれては愛読し、小説だつて、ずつと前には本も幾冊か買つて、おもしろく読んだことはあつたのですが、どうしたといふわけもなく何時の間にか遠ざかつて了ひました。薄気味の悪い偉い作家だなどときくと、何だかわたしは、ますますおつかなくなつて、稍ともすると蛇屋の前でも通る時のやうに逃げ出しました。やがては、それが多くの人々に尊敬されてゐる作家だと聞けば聞くほど、怕気をふるつて近寄れませんでした。薬になつても、適はぬといふ気が致したのでせう。ところが、この新年にさういふきつかけで、この弄獅子を読むに及んでは、わたしは深く前非を悔ひて、これまでそんな愚かな遠まはりをしてゐた自分を馬鹿にせずには居られなくなりました。こんなところに、こんな人生の深い悦び、否、文学のおもしろさがあつたか? と、しばしは寂しい暮しの憂鬱も忘れて、得難い酒の酔に陶然としてしんみりと宙を眺めて莨を喫しました。この文章を書く機会がなかつたら、おそらくわたしは、この美しくなつかしい文章の作者にめんめんたるおもひをこめて手紙を書かずには居られなかつたでせう。そして、その手紙のなかに、これまでのことは何卒おゆるし下さいといふやうな意味のあやまりの文句を入れずには居られなかつたでせう。
どうも、「早稲田文学」の小説欄がふるはぬといふ評判をきゝますが、新作家のものは別段に他の雑誌よりも選択が応揚すぎるとも見へないが、それは、つまり、いろいろな事情で既成作家の力篇が載らぬといふことに違ひありません。さりながら、この弄獅子一篇は、ちかごろ文壇随一の名品とも云ふべく、理屈はさておき、わたしの知合ひの文筆に関りのない人達、つまりは平凡な読書生だつて、また高きを索める芸術家肌の人達にしろ、挙つて感心し、つゞきを待つてゐない者はひとりもありません。一概に、佳作とか、傑作とかと驚くものではありませんが、小説の一つの理想といふもののあらはれとして、読者にとつてはおそらく満足に堪へられぬ泉の水に胸を沾ほされる悦びに違ひありません。
何かと賞めちぎることのかはりに、二三個所を抜萃して、未読の方へおすゝめ申すよすがとも為したい、且つは作者への敬意として。
――かういふ事実を人びとは信じることに依つて屡々人生の惨虐さを会得する筈のものであるが、僕の場合はへとへとになつて母の手を逃げるより外に、そのおしまひの場面をくらやます方法はなかつた。茶の間の時計の真白な顔がさかさまに見へ、時計は人間でないから仕合せだと思ふほど切ないものであつた。(――)僕のよくないのはさういふ折檻のあとで泣くことをしないで、只、怒つてゐるだけであつた。大地震が来るか火事になるか大水になるかしなければ僕の復讐は僕の考へ通りに行はれなかつた。僕の頭に去来するものは殺人的な考へしか浮ばなかつた。
(――)僕への打擲はまだしもそれがきぬに加へられるときは、阿鼻叫喚の凄じさがこの少女と四十女との間に、あらゆる秘術を以つて行はれたのである。きぬは、ごめんなさいといふ声と欷き声との隙間をもたない。一種の連続的な身の毛のよだつ恐怖のどんづまりの叫び声とも何ともつかぬ声をあげて、家ぢうを逃げ回るのであつた。
(――)よく見るとその顔にどことなく平常からの暢気さが早表はれて、あれほど酷い折檻を受けた少女であるとは思へない、どこか、忘れつぽい、けろりとした円い眼を鳥のやうに動かしてゐた。
――、痛かつたかい。
きぬは些んの少々、涙で乾張つた顔に融けた笑ひを見せた。それが返事のかはりだつた。(――)必ずあゝされなければならない事がらが漸と済んで了つたといふ顔つきだつた。却つてそんな顔つきが僕に腹立しい忌々しい気持を起させた。(――)
我々兄妹が折檻をされた翌朝は決つてお天気が好かつた。羅宇屋の笛が家の前で止つて母は折れた煙管の柄を修繕させるのであつた。我々の折檻を受けたあとで煙管はいつも雁首の付根から割目がはいつてゐたのである。僕はそれを何か可笑しい気持で眺めてゐた。
特に以上の個所を抜萃したといふのではありません。全篇悉くが、斯程に類ひもなく傑れて居ります。わたしは決して、書かれて居る事件や内容に好奇の眼を特に視張るといふのではない、作者の稟質に払ふ驚異と敬意に他ならぬといふのは、おそらく吹聴するまでもなく大方の御想像を得ることと安堵いたして居ります。
次に広津和郎作、一時代は、作者近来の佳作たることは有無ないでありませう。日頃、この作者の筆致が、素つ気ないとか、投げ遣りだとかと云はれますが、それが却つて、一種の不思議さをもつて、この作品を渾然とさせて、息をもつかせません。青年時代の一人の主人公が、一人の奇嬌な友達に悩ませられるところが、そして不思議な友情関係が主題でありますが、そして、これは実にも明朗爽やかな写実的筆致をもつて人物場面ことごとくが、まさしく浮彫に描かれて居り、写実的なものであると同時に、わたしは、こゝに至つて益々怠惰の色もなく溢れる抱擁性に接するにつけ、何か、こゝに現れてゐる主人公の友達なる人物が、われわれにとつての、人生の化身の一部であるといふやうな眼に見へぬものからの一つの象徴として出現した、一時代とは限らずに、われわれが常々人生から夢うつゝに見るものの、何かを、それは、これとこれだと見せられる感に、より多く誘はれました。この作家の筆は、一見すると他奇なきものと見られますが、どうして容易ならぬ飛躍性が充ち充ちてゐて、うつかりと、われわれが技巧的なことなどを口にしたら、こつちこそ飛んだ自業自得に陥入るであらう、長成を見逃すことになるでせう。盆栽の植木の出来栄えを芸術と見るべき他方に、天然の嵐や吹雪の中に、こゝにこそ何者にも負けぬ発展性のあることを、こんなに悠々と体得してゐる作家を、わたしは現代に見ることが出来ぬ、単なる才能や余猶ある生活などといふものが、むしろ当人を不幸にするつまらなさをおもふとき、わたしはこの作家から不断に、そこはかとなきものを教へられて、やはり自分が目下の状態で文学とたゝかつてゐることに、あきらめではないものを淙々と感じて来るのであります。
(――)さう云つてゐる中に、次のやうな考へが浮んで来たので、私は屹ツとなつて彼の顔を睨んだ。「さうすると、門野、君はかうして俺のところに転がり込んで来て、俺の生活気分を滅茶苦茶にしたが、それでは何か、それも君が俺よりえらいから、俺を踏みつけても構はんとでも思つてゐるのか?」
「待てよ」
門野は今までより一層烈しく、掌と掌とをこすり合せながら、首を傾げて考へてゐるやうな恰好をしてゐたが、
「うん、さうさな。さう云はれて見ると、つまりさういふ事になるかな」と云つた。
私は腹立ちながらも、噴出さずには居られなかつた。
この一個所を抜萃しただけでも、この作がどんなに傑れた諧謔味と、また慎ましくいろいろなことを考へさせられる、何と当今の歪んだ文芸界に異彩を放つた明るく、ほのぼのと霧の漂ふた景色が、浮んで来るでありませう。わたしは、何も感傷的な読者ではないつもりです。わたしは、かれの、見得易からざる才分の、恰もゑんゑんたる春の波にもてあそばれて、恢々と、即ち、人生のための芸術の扉を開かれるのであります。“At last a hand was laid upon the door, and the bolt shot back with a slight report.(――)Then the door opened, letting in a little more of the light of the morning;”
閂の引かれる音がかすかにきこえて
やがて、扉は、朝のひかりを誘つて
――
と、わたしは、これを読みながら、ゆくりなくも Robert Stevenson 作“New Arabian Night”を思ひ浮べて、人生と芸術の妙に、ふところを開かれるのでありました。嗚呼、芸術と人生の澎湃極みなき魔宴よ、甲斐多き哉!
小島政二郎作、眼中の人――。
わたしの筆は、いつかうつかりときのふから政二郎論に移つてしまひました、そして、それは今こゝに収録しきれなくなりましたから別の機会にまとめませう。恰度わたしどもが小説を書きはじめようとしたころ、一歩先んじてわたしの前に歩き出した人として、わたしはかれの後姿をぢつと眺めて来たものです。眼中の人は、かれの十年前の自伝小説、山冷か時代を、終ひにたゆみなく踏み越えて、本流に棹さしました。わたしは、今こそかれの操る舟に便乗して不安もなく、次々に展開される風景を賞美することの幸ひを悦びました。恰も、ライン峡谷をさかのぼる思ひを持つて、おもしろく、この長篇小説の完成を祈らずには居られません。理屈つぽいもの、深刻なもの、六ヶしいもの、それも結構でせうが、さういふ灰色の文壇に、斯の如き一条の流れを見出すことは、これが若き批評家達から何んなあつかひを受けるかは知りませんが、おそらく多くの読書生にとつては甘露を味ふ喉の沾ひを与へしめるであらうとは、疑ふ余地がありません。わたしは、今日は何か云ふことの代りに、次の一文を翻訳して此処に掲げ、ひたすら連載を望んで止まぬと、眼中の人の作者へデヂケートする次第であります。憂鬱とか苦い顔とか、さういふものを内に畳むことの六ヶしさ、明るくなければならない、愚痴があつてはならない――わたしなどが、ついやり損つてしまふ教養と常識の楯の蔭で、かれこそは永い間辛棒に辛棒を重ねて、いや、まだこれからも戦争をつゞける、その、独りの都会人の寂しさといふものに就いては、何故かわたしは片田舎の育ちでありながら自分として想像の出来るものを、悲しや、生れながらにして持ち合せて居るのです。それが、屡々逆にほとばしつて、放埒、野蛮な槍をとつては、人に反敵つたりしたことも屡々でした。それは、ともかくとして――作者へ贈る――ライン河、舟遊案内記の一節であります。
――Rhein 河は、源をアルプス山中サンゴタール峠に発して、北東に向ひ Chur に北折し、スヰスの東境を限つてボーデン湖に注ぐ。更に、かくれて潮の西方より翼を伸べて台地に赴くや、忽ち支流 Aar――Neckar を合せて、どうとばかりに独仏の国境に飛沫を挙げ、Bingen 山脈を乗り越え、Bonn に達して、北ドイツ平原に至るや、漸く満身に光りを浴びて趣きぞ一変す、流れて一千三百二十六粁――こゝに、はじめて「ライン峡谷」を形成す、両岸の森林は緑に映え、葡萄園のこゝかしこ、至るところに古城砦跡の隠見して風光絶佳の妙は星霜の移り変りに事もなく、さかのぼる漫遊者の夢を沾ほしむ所以なり。
さて、もう一辺、「早稲田文学」からはじめて――桑原至作、墓、戸川静子作、死生ですが、前者は都で苦学してゐる青年が農村に帰つてゆくところ、そして郷里に於ける悲惨事を描いたもので、一通りはソツなく書かれて居りました。後者は、現実の一家庭のいきさつについて、可成り強靭な粘着性のあることは窺はれるのですが、人物の出入などがあまりにごたごたとし過ぎてしまつて、非常に読み難く、そのために味ひを失つてゐます。この材料は、もう二三度書き直したら? と遺憾な気が致しました。
「行動」の阿部知二作、荒地は、仲々の力作で、わたしはこの作者のものは、これがはじめてゞすが、もつとはやくから読めば好かつたと思はせられました。植物性――といふ言葉をこの作の中に見うけましたが、全体から享ける感じも、まつたく植物性とでも云ふべき緻密な、そして、たしかに新しいと思はれる感覚が、水々しく至るところに行きわたつてゐて、云ふところの読み応へのある一篇でした。軽卒なところや、出たら目なところがなく、それでゐて、決して、ぎこちない、つまらなさなどはなく、読むに伴れて引きこまれました。知識的な美しさが、整然とした等速の下に好く統制されて、一篇の花式図をつくりあげて居ります。着々と進んで、将来のある作家だと思ひました。そしてわたしは、作家にとつては、誰れにしろ一通りの Kunstwiss enschaft の素養が如何に大切なものかといふことを、しみじみと感ぜさせられました。
浅原六朗作、おせきのこと、は地味なもので、一見すると味気ない気もしますが、短篇小説としては、老練な冴えを示して居ります。この作者は、このやうな小篇にも、天稟的な純情を忘れずに持つてゐるところが強味で、其国無師長、自然而已、其民無嗜欲、自然而已――の風格は、たしかなのですが、どうかした拍子に、感情がもつれるとでもいふのか、わたしには好くわからぬのですが、社会的といふやうな悪鬼にとり憑かれたりすると、得体の知れぬ虎河豚になつて純情を忘れ、ハメを脱します。
永松定作、秀才、は、文章と云ひ、ものの見方と云ひ、一概に素朴といふだけでは足りぬ程平凡で、曲がなさすぎますが、わたしは、以前から、かういふ行き方のものに、結局は人の心を誘ふものがあり、聴きはじめれば、しまひまで聞いてしまふ落つきを覚え、技巧的な文章への努力などはつまらなくもなるのです。小説は、それでも好いと思ふのであります。わたしは、この作者と知つてゐるわけではないのですが、斯ういふはなしといふものは普段でも読むと見えて、やはりこの前、この雑誌に載つてゐた、題は忘れましたが、田舎の医者のことを、とつとつと書いたものを思ひ出しました。疲れたり、書き損つたり、かと云つて、変にガツチリとしたものでもなく、斯ういふ作家は、おそらく追々とすゝんで、案外文学でない読者に、多くの友を見出すだらうといふ気が致します。
わたし、少々疲れましたので、来月にわたつて、今月読んで、述べ損つてゐる分から、出直したいとも存じますが、そんことは図々しいでせうかしら。