Chapter 1 of 1

Chapter 1

公園の中の子供プールには、朝八時ごろから、もう泳ぎがはじまつてゐました。

そんなに早く来る子は、みんな男の子ばかりで、たいてい威勢のいゝ、黒いふんどしをしめてゐました。どんなに深いところでも、やつと一メートルぐらゐしかないので、あんまり奇抜な泳ぎは出来ません。それに、面白い遊びをしようにも、まだ見物してくれる者が来てゐないのです。

黒いふんどしの子供たちは、犬かきや、蛙泳ぎや、平泳ぎを、唇が青くなつてガタ/\ふるへるまで、練習します。

九時・十時になると、ギラギラする日が照りだして、公園の木かげにも、子供プールのまはりにも、だんだん人が集まつて来て、色さまざまの日傘や帽子の、きれいな花が咲くのです。

子供プールの中にも、だんだん泳ぎ仲間がふえて、いろんな面白い水遊びがはじまります。黒いふんどしの子供たちは、もう犬かきや、蛙泳ぎばかりしてはゐません。ふんどしの尻に手拭をブラ下げたり、お尻ばかりプツクリ浮べたり、仲間を背中に乗せたりして、さかんに騒ぎまはつてゐます。

「おい、見ろよ、浦島太郎だぞ。」

「ふんどしの浦島太郎が、乙姫様に会ひに行つちよる光景……と、ござアい!」

「プーカ・プーカ・ドンドン……」

「あはははア!」

浦島太郎が、亀の背中から振り落されて、ザブツと水にもぐりました。そして、ふんどしをしたお尻だけが、プクツと水の上に、チヨンまげ頭のやうに浮びました。

それを見て、ふんどしをしめた子供たちは、また騒ぎました。

「やあ/\あれなるは、平家の大将・清盛入道とおぼえたり。いざ、めし捕れエ!」

「こころえたア!」

ザブン!

ザブン!

飛びこんで尻を立てると、みんなチヨンまげ頭になります。その頭がプクリ・プクリと、だんだん向ふへ向ふへと泳いで行きます。

清盛入道の首は沈んで、もうそこへは可愛い女の子が、花環のやうな赤い浮袋に乗つて流れてきます。黒いふんどしの子供たちは、水から顔を出して見てびつくりします。

「おまい、清盛入道か?」

「やアな人。」

「そんなら、乙姫さんぢやらう?」

「しらないわ。」

女の子は笑ひながら、バシヤバシヤ水をはね飛ばして行きます。黒いふんどしの子供たちはブルツと顔を手でなでて、まぶしさうにプールを見廻しました。

学校の講堂よりも広いプールは、もう子供で一ぱいです。いつの間に、こんな沢山の子供が集つたのでせう。

男の子は女の子よりも少く、たいてい黒か白かのパンツをはき、手拭で頭に鉢巻をしてゐます。女の子はパツとした、赤や、青や、黄や、紫の、ただ胸だけかくす薄い水着を着、頭には色さまざまの袋のやうな、きれいなゴムの帽子を冠つてゐます。そして、小さい子や女の子は、やはらかい股のやうにふくらんだ、色さまざまの浮袋をもつてゐます。自動車のタイヤのやうな円い浮袋もあれば、8の字のや、また、猿や亀や鵞鳥などの首のついた、乗つて泳げる浮袋などもあります。

「もう上らうか?」

黒いふんどしの子供たちは、プール一面に花をバラまいたやうに子供と浮袋とが入りまじつて波うつてゐるのを見ながら、さういつて顔を見合せました。

「うん、上らう。」

「もう、ごはんだねえ?……」

黒いふんどしの子供たちは、スゴ/\上りはじめました。だいぶ疲れてもゐましたし、自分たちのやうな恰好では、なんだか仲間はづれのやうに思はれもするのでした。

「腹がへつたね?」

「うん、寒いや。」

プールの外囲の欄干をくぐり出て、藤棚の下で着物を着かゝると、突然、ワツといふ叫び声と、パチパチと手を叩く音とが、プールの内と外とから、一度にあがりました。

「あツ、なんだ/\?」

着物を引つかけただけで、まだ帯もしめない男の子たちは、黒いふんどしや帯を引きずりながら、プールの外囲のところまで走つて行きました。

「なんだ/\、溺れたのか?」

「いや、犬だ、犬がステツキを拾ひに、プールの中にとびこんだのだ。ほら、ステツキを口にくはえて、岸の方へ出て来るぢやないか! ね、ほら! 見えるだらう?」

「ゐた/\ツ。あ!」

男の子たちは、また向ふへ走つて行きました。

けれど、プールのまはりは人出ざかりで、いろんな日傘や帽子が、まるで花壇の花のやうにくツついてゐます。そのうへ、子供と大人と二重になつてゐて、ちよつと割りこむことが出来ません。

と、またワツといふ声があがり、パチパチと手を叩くのです。男の子たちは、大あわてに、また元のところに戻つて来ました。

見ると、狼のやうな大きな犬が、とがつた口に桜のステツキをくはえて、今、プールから岸に飛上らうとしてゐるのです。

ステツキは、皮のついた太いもので、犬はその中ほどをくはえ、前肢を岸にうちかけようとしてゐるのですが、プールの中には百人以上も子供が泳いでゐるので、その波のために、やつと上りかかつたかと思ふと、すぐまた引きずり落されるのでした。

「ばかだね、あつちへ廻ればいいのに。」

浦島太郎になつた子が、ふと云ひました。

すると見知らぬ子が、かう云ひました。

「だつてさ、あそこに、あの犬の主人がゐるんだぞ。ほら、あの中学生みたいのと、その後の、ふとつちよの口ひげの小父さん。あの中学生が、ステツキをおつことしたんだ。」

「わざと?」

浦島太郎だつた子は、見知らぬ子にききました。亀になつた子や、ほかの子は、だまつて犬ばかり見てゐました。

「おれ、どうだか知らん。」

「すごい犬だね。」

「いい犬だよ。あれがシエパードだよ。軍用犬ツてのは、あれだよ。あの犬だつて、二百円ぐらゐはするだらう。」

「さうかい。君はくはしいね。犬がすきなんだね。」

「すきとも、大すきさ。」

いひ終ると、見知らぬ男の子は頓狂な声をあげて、ヤンヤと自分の手を叩きました。

犬がステツキをくはえて、岸に飛び上つたからです。みんなもまた叫び、また手をうち鳴らしました。

ズブぬれになつた犬は、主人の中学生の前までステツキをくはえて行き、ぬれたしつぽをふりながら、主人の顔を見上げました。中学生は屈んで、犬の口からステツキを取ると、何か犬にいひながら、ステツキを高くさし上げました。

犬はステツキを見つめてゐます。中学生は二三度ステツキを上げ下げすると、身振りをしながら、そのステツキを、プールの中に投げこみました。

蛇のやうにとんで、ステツキはプールの中ほどに落ちました。ジヤボツと、白いしぶきが上りました。そのまはりの子供たちは、びつくりして四方へ逃げはじめました。

その時、岸から、犬が体を細長くして、ザンブと水に飛びこみました。

「あツ!」

「あれツ!」

ハツとして、みんな息づまるやうに感じました。犬の飛びこんだすぐ向ふには、大きな鵞鳥の浮袋につかまつて、小さな女の子が三人、ひどくあわてて、泣き声をあげてゐたからです。

「乱暴だ!」

誰か一人叫びました。大人です。

すると、手を叩く者が四・五人ありました。学生や小僧のやうな人で、きつと、からかふつもりなんです。

そこで、今度は七・八人の大人たちが、腹を立てゝ、方々からどなりつけました。

「馬鹿野郎、よせ!」

「なにが面白いんだ!」

「犬を出せ!」

「さうだ、犬を出せ!」

「犬のプールぢやないぞ!」

みんな黙つて、ひつそりしてしまひました。

「さうだ、犬のプールぢやない!」

浦島太郎になつた男の子は、じつと犬の泳ぐのを見つめながら、さう心で思ひました。

犬は頭と背すぢとを水の上に出して、まつ直ぐに泳いで行きます。近くの子供たちは青くなつて逃げ、遠くの子供たちはヤンヤと囃したてます。小さい子は波にゆられて、出ることも立ち上ることも出来ないで、浮袋につかまつたまま、アツプ・アツプしてゐます。

それを見て、着物をまくり上げ、ジヤボ・ジヤボ入つて行くお父さんやお母さんもありました。

犬がステツキをくはえて、プールの中ほどから、また元の岸へ引きかへさうとしてゐる時でした。誰かが犬をめがけて、石を投げつけました。それと一しよに、シヤツとズボンだけの男の人が、プールの欄干に乗り出して、早口にどなりました。

「犬を叩き出せ! ここは子供のプールだ。犬のプールぢやないぞ。犬を追ひ出せ!」

プールのまはりの人々は、一度にざわめきました。さういはれて見ると、自分たちの可愛い子供を、畜生と一しよに泳がせてゐたのです。いくら何だつて、子供のプールへ犬を入れる奴があるか!

みんな腹立たしくなつて来ました。

「犬を追ひ出せ!」

「犬をつれて帰れ!」

腹立たしくなつた人々は、だんだん大きな声でどなりました。犬は岸のそばまで帰つてゐます。けれど、なか/\岸へ飛び上れません。見てゐると、歯痒くて、ばからしくなつて来ます。

「おうい、中学生さん。見てばかりゐないで、犬を引つぱり上げて、セツセとつれて行きなよ。」

よく肥たお爺さんが、おどけた調子でかういふと、みんなドツと笑ひました。

ほどなく犬は、ステツキをくはえて岸に上りました。誰も手を叩かず、囃したてる者もありませんでした。

中学生は、犬の口からステツキを取ると、その頸にくさりをつけて、手にもつたまゝ走り出しました。ズブぬれの犬は、チヨン/\走りながら、ブルブルツ・ブルブルツと、体の水をふり落しました。

「あの中学生のお父さんは、どうしたらうな? いつの間にかゐなくなつたぞ。」

浦島太郎になつた男の子は、それまでじつと見物してゐましたが、ふと、そんなことを思ひました。それから、また気がついて見ると、犬ずきの見知らぬ子も、どこへ行つたか見あたりませんでした。

「おい、帰らうよ。」

「うん。」

プールは今、ま昼のギラギラする光を浴びて、色さまざまの花籠のやうでしたが、黒いふんどしの子供たちは、だまつて人の垣をくぐり抜けると、お家の方へ帰りはじめました。みんな、とてもお腹がすいてゐたからです。

―昭和一〇年七月二八日作―

●図書カード

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