ならずもの
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
オンドリがメンドリにいいました。 「もうクルミがうれる時期になったよ。どうだい、いっしょに山へいって、思いきり食べてこようじゃないか。まごまごしていると、リスのやつにみんなもっていかれちまうからね。」 「けっこうね。」 と、メンドリがこたえました。 「いきましょうよ。ふたりでたのしんできましょうね。」 そこで、ふたりはいっしょに山へでかけました。とてもいいお
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グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
オンドリがメンドリにいいました。 「もうクルミがうれる時期になったよ。どうだい、いっしょに山へいって、思いきり食べてこようじゃないか。まごまごしていると、リスのやつにみんなもっていかれちまうからね。」 「けっこうね。」 と、メンドリがこたえました。 「いきましょうよ。ふたりでたのしんできましょうね。」 そこで、ふたりはいっしょに山へでかけました。とてもいいお
牧野信一
(十月十六日) * きのふ、おとゝひ、さきおとゝひ――と、あゝ、何といふ浅ましさであらう、嫌はれ、軽蔑され、憎がられて、ウマクもない酒をのんでの気違騒ぎ、あゝ、もう厭だ、断然、酒は御免だ。ペンを執らうにも、体全体がガタ/\とふるへてゐて、一向に埒はあかぬ。 メフイストフエレス「先づ第一に飲助達に御紹介申しませう。さうするとあなたは必ず此世は大変簡単に渡られる
新美南吉
あめが はれました。ジョウフクインの うらの やぶの なかに、やぶっかが わんわん なきました。月が でると ぬれた たけの はが ひかりました。 ジョウフクインの うらの やぶの なかに たぬきが すんで いました。このあいだ うまれて まだ おちちに ばっかり くっついて いる こどもの たぬきと いっしょに、えにしだの 木の ねもとの あなの なかに
辻潤
ふもれすく 辻潤 題だけは例によってはなはだ気が利き過ぎているが、内容が果たしてそれに伴うかどうかはみなまで書いてしまわない限り見当はつきかねる。 だが、この題を見てスグさまドヴォルシャックを連想してくれるような読者ならまず頼もしい。でなければクワイトえんでふわらん。 僕は至ってみすぼらしくもおかし気な一匹の驢馬を伴侶に、出鱈目な人生の行路を独りとぼとぼと極
堀辰雄
「昔、殿のお通いになっていらしった源の宰相某とか申された殿の御女の腹に、お美しい女君が一人いらっしゃるそうでございます。その女君なんぞをお引き取りになられては、如何なものでございましょう? なんでも今は、お二人共、兄に当られる禅師の君の御世話になられ、志賀の麓に大層心細いお暮らしをなすって入らっしゃるそうでございますが……」 やっと春の立ち返った或日、そんな
上田敏
かなしき契となりてけり さめてうれたき夢のあと きはみて落つるいてふ葉の あしたの霜にうづむごと あゝわが戀はきゆべしや 月はしづみてほしかげの きらめくよひの浴歸りに 霜夜の下駄のおとかぞへ 別れしひとのおもかげを おもひきたればときの鐘 鐘にうらみはむかしより こひするひとの情なれど かねをうらむも世の中に ひとめの關のあればなり げにつれなきは義理の道
薄田泣菫
まんりやう 薄田泣菫 夕方ふと見ると、植込の湿つぼい木かげで、真赤なまんりやうの実が、かすかに揺れてゐる。寒い冬を越し、年を越しても、まだ落ちないでゐるのだ。 小鳥の眼のやうな、つぶらな赤い実が揺れ、厚ぼつたい葉が揺れ、茎が揺れ、そしてまた私の心が微かに揺れてゐる…… 謙遜な小さきまんりやうの実よ。お前が夢にもこの夕ぐれ時の天鵞絨のやうに静かな、その手触りの
今野大力
生かさせたいがもうおそい 両肺が全部やられている 猛烈な腸結核で 一日の膿の排出は多量で ちっとも消化力ない胃腸 痔が悪くって腎臓も悪くて 耳が悪くてもう全身 あますところなく悪化している これは医者が言うのだ、そしてあと 一月かどうかとすら公言する 熱が四十度をこえる 味覚は破壊されて 食慾が全くない 食慾がなく 熱を出して 毎日肉をけずっていれば やがて
萩原朔太郎
ものごころ覺えそめたるわが性のうすらあかりは 春の夜の雪のごとくにしめやかにして ふきあげのほとりに咲けるなでしこの花にも似たり ああこのうるほひをもておん身の髮を濡らすべきか しからずはその手をこそ ふくらかなる白きお指にくちをあて やみがたき情愁の海にひたりつくさむ おん身よ なになればかくもわが肩によりすがり いつもいつもくさばなの吐息もてささやき給ふ
斎藤緑雨
もゝはがき 斎藤緑雨 ≪明治三十六年≫ ○ 鷸にありては百羽掻也、僕にありては百端書也月や残んの寝覚めの空老れば人の洒落もさびしきものと存候、僕昨今の境遇にては、御加勢と申す程の事もなりかね候へども、この命題の下に見るにまかせ聞くにまかせ、且は思ふにまかせて過現来を問はず、われぞ数かくの歌の如く其時々の筆次第に郵便はがきを以て申上候間願はくは其儘を紙面の一隅
今野大力
単の着物を羽織りたいま夏の時季が訪れたけれども私の白い単は恰も乞食の着物の様によごれている *やるせない心は、私の生立ちの大切な、又、辛い負いめである私は荷われた運命の様に灯の下へも、川へも、丘へもともなわねばならないこれこそ私の友であるのだ *私はこれまで、商人達、友達、ああ私よりはたしかに裕福な人達にどんなにかいやな思いをさせたろうけれども私
宮本百合子
アンネット 宮本百合子 好きな物語の好きな女主人公は一人ならずあるが、今興味をもっているのは、ロマン・ローランの長篇小説 The Soul Enchanted(魅せられた魂)の女主人公アンネットです。この小説はジャン・クリストフのように、アンネットという女性の一生を取扱ったもので、まだ第三巻目が発行されたばかりで、而もその「母と子」という題の三冊目はまだ読ん
佐藤春夫
その男はまるで仙人のように「神聖なうす汚なさ」を持っていました。指の爪がみんな七八分も延びているのです。それがしきりとわたしに白孔雀の雛を買えとすすめるのですから、わたしはお伽噺みたようなその夜の空気がへんに気に入ってしまったのです。そうしてわたしはつい一言、そんな高価なものを買ってもいいようなことを言ってしまったのです。が、いいあんばいに先方の値とわたしの
チェーホフアントン
まるできつねみたいな顔つきをした一匹の若い赤犬が――この犬は、足の短い猟犬と番犬とのあいのこだが――歩道の上を小走りに行ったりきたりしながら、不安そうにあたりをきょろきょろ見まわしていた。赤犬は、ときどき立ちどまっては、泣きながら、こごえた足をかわるがわる持ちあげて、どうしてこう道にまようようなへまなことをしでかしたんだろうと一生けんめい考えた。 赤犬は、自
サマンアルベール
飾棚だの飾箱だのといふものがある。貴重な材木や硝子を使つて細工がしてある。その小さい中へ色々な物が逃げ込んで、そこを隠れ家にしてゐる。その中から枯れ萎びた物の香が立ち昇る。過ぎ去つた時代の、人を動かす埃がその上に浮かんでゐる。昔の人のした奢侈の、上品な、うら哀しい心がそこから啓示せられるのである。 己はさういふ棚や箱を見る度に、こんな事を思ふ。なんでも幅広な
萩原朔太郎
クリスマスとは何ぞや 我が隣の子の羨ましきに そが高き窓をのぞきたり。 飾れる部屋部屋 我が知らぬ西洋の怪しき玩具と 銀紙のかがやく星星。 我れにも欲しく 我が家にもクリスマスのあればよからん。 耶蘇教の家の羨ましく 風琴の唱歌する聲をききつつ 冬の夜幼なき眼に涙ながしぬ。 ●図書カード
水谷まさる
シンデレラ 水谷まさる シンデレラを讃う 神につながる心持つ 世にも可憐なシンデレラ 雨風つよくあたるとも 心の花は散りもせず。 魔法の杖の一振に たちまち清き麗姿 四輪の馬車に運ばれて 夢のお城へいそいそと。 時計の音におどろいて 踊る王子のそば離れ あわてて帰るその時に 脱げたガラスの靴ひとつ。 靴は謎とく鍵の役 捜し出されたシンデレラ お城に迎え入れら
新渡戸稲造
私は十五、六歳の学生時代から、世の中のことに就て思い悩んでいた。たとえば、自分では正しいと思ってすることも、相手の気に障って、予想外の怒りや恨みを受けることもあるために、これからは、一体如何なる心掛けで人生を送ったら好いものかということに考え及ぶと、疑惑が百出して、何時も何時もその解決に苦んだ。然るに、その後、ふとソクラテスの伝記を読むに至って、私の満腔の崇
ビアスアンブローズ
ある晴れた秋の午後、一人の子供が小さな農場の粗末な家屋から迷い出て、誰にも見られず森に入った。束縛されない自由という新たな感覚が嬉しく、探検と冒険の機会を持てたことが嬉しかった。なぜなら、この子供の精神は、記憶に残る発見と征服の――戦勝の決定的瞬間は何世紀も語られ、勝利者の陣地は記念碑の立ち並ぶ町となるのだ――功績に向けて、父祖の身体の中で何千年もの間培われ
宮沢賢治
ツェねずみ 宮沢賢治 ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのねずみがすんでいました。 ある日ツェねずみは、きょろきょろ四方を見まわしながら、床下街道を歩いていますと、向こうからいたちが、何かいいものをたくさんもって、風のように走って参りました。そしてツェねずみを見て、ちょっとたちどまって早口に言いました。 「おい、ツェねずみ。お前んとこの戸
水野葉舟
テレパシー 水野葉舟 怪談の中でも、人間が死ぬ断末魔の刹那に遠く離れて居る、親しい者へ、知らせるというのは、決して怪談というべき類では無かろうと思う、これは立派な精神的作用で、矢張一種のテレパシーなのだ。 私の知ってる女で、好んで心理学の書を読んでいた人があったが、その女の談に、或時、その女が自分の親友と二人遠く離れて居て、二人の相互の感情が通うものか、如何
片山広子
トイレット 片山廣子 何年も何十年も前のことが記憶の中のどこかによどんで残つてゐて、明方の夢にそれをはつきり見ることがある。これは夢にみたのではなく、何の用もなくつながりもないことなのに、ふいと思ひ出したのである。明治もまだわかい二十四五年ごろか、もつと前の事だつたかもしれない、麻布一聯隊の兵舎に近い三河台の丘の家にゐた頃のこと。 三河台の家は、私がそこで生
マンパウル・トーマス
ここは療養院「アインフリイト」である。横に長いその本館と、それから側翼とは、白く直線的に、広い庭園の真中に横たわっている。庭園には、岩窟や外廊や樹皮でつくった小亭などが、面白くしつらえてある。そして療院のスレエト屋根の向うには、樅の色も蒼々と、おおらかに、柔かな裂目を見せながら、山々が空高くそびえ立っている。 ここの院長は、前からずっとレアンデル博士である。
新美南吉
ナガレボシ 新美南吉 フユノ サムイ サムイ ヨフケ、ヒユーン ヒユーント コガラシノ フク オソラノ 上ノ ハウデ 三ツ ナランダ コドモノ ホシガ、ケンクワヲ シマシタ。イツモハ ナカヨシダツタノデスケレド、アンマリ マンナカノ ホシガ サムイ サムイト イフノデ ホカノ 二ツノ ホシニ イジメラレタノデシタ。 ゴヰサギガ、下ノ ハウノ コホツタ タンボ