三十五氏
長谷川時雨
三十五氏 長谷川時雨 直木さん、いつまでも、三十一、三十二、三十三、三十四とするのときいたら、うんといつた。でも、三十五氏はまだいいが、三十六、三十七、三十八、それから三十九はをかしい。みそくふなんて味噌ばかりつけるやうで、まだ三十五氏の方が好いと言つたら、例の、毛の薄い頭の地まで赤くして顎を撫でながら、ふふ、ふふ、ふふと笑つた。あの人物が赤面するなぞとは、
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長谷川時雨
三十五氏 長谷川時雨 直木さん、いつまでも、三十一、三十二、三十三、三十四とするのときいたら、うんといつた。でも、三十五氏はまだいいが、三十六、三十七、三十八、それから三十九はをかしい。みそくふなんて味噌ばかりつけるやうで、まだ三十五氏の方が好いと言つたら、例の、毛の薄い頭の地まで赤くして顎を撫でながら、ふふ、ふふ、ふふと笑つた。あの人物が赤面するなぞとは、
内田魯庵
島田沼南は大政治家として葬られた。清廉潔白百年稀に見る君子人として世を挙げて哀悼された。棺を蓋うて定まる批評は燦爛たる勲章よりもヨリ以上に沼南の一生の政治的功績を顕揚するに足るものがあった。 沼南には最近十四、五年間会った事がない。それ以前とて会えば寒暄を叙する位の面識で、私邸を訪問したのも二、三度しかなかった。シカモその二、三度も、待たされるのがイツモ三十
海野十三
三十年後の東京 海野十三 万年雪とける 昭和五十二年の夏は、たいへん暑かった。 ことに七月二十四日から一週間の暑さときたら、まったく話にならないほどの暑さだった。 涼しいはずの信州や上越の山国地方においてさえ、夜は雨戸をあけていないと、ねむられないほどの暑くるしさだった。東京なんかでは、とても暑くて地上に出ていられなくて、都民はほとんどみんな地下街に下りて、
坂口安吾
三十歳 坂口安吾 冬であった。あるいは、冬になろうとするころであった。私の三十歳の十一月末か十二月の始めごろ。 あのころのことは、殆ど記憶に残っていない。二十七歳の追憶のところで書いておいたが、私はこのことに就ては、忘れようと努力した長い年月があったのである。そして、その努力がもはや不要になったのは、あの人の訃報が訪れた時であった。私は始めてあの人のこと、あ
上村松園
三味線の胴 上村松園 うちの松篁は、私の顔を三味線だと言う。 これは私の額口が、さよう独立的と言いますか後家星と言いますか、生え際が角ばっている。普通の女の人は生え際がせまくて山形になっている。ところが私はその反対に角がたっている。これは私ばかりではなく、うちのおばあさんも平たくなっている。つまり四角い。で「顔の輪廓が四角いあの三味線の胴みたいな」と、そんな
豊島与志雄
或るところに、元という長者がありました。賤しい生れでしたが、一代に長者となったのであります。若い頃、沿海航路の小さな貨物船の水夫をしていて、ひそかに、いかがわしい商売をして、相当の資産を得た、という噂がありますが、それも確かなことは分りません、とにかく、何かで或る程度の金を儲けて、それから、相場をしたり、金貸をしたりして、それがみな運よくゆき、ひとかどの長者
夏目漱石
うと/\として眼が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めてゐる。此爺さんは慥かに前の前の駅から乗つた田舎者である。発車間際に頓狂な声を出して、馳け込んで来て、いきなり肌を抜いだと思つたら脊中に御灸の痕が一杯あつたので、三四郎の記憶に残つてゐる。爺さんが汗を拭いて、肌を入れて、女の隣りに腰を懸けた迄よく注意して見てゐた位である。 女とは京都からの相乗
夏目漱石
『三四郎』予告 夏目漱石 田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を放す丈である、あとは人間が勝手に泳いで、自ら波瀾が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者も此空気にかぶれて是等の人間を知る様になる事と信ずる、もしかぶれ甲
木暮理太郎
大正二、三年の頃、東京から見える山のスケッチを作る為に、強い北西の風が吹く晴れた冬の日には、よく愛宕山の塔や浅草の凌雲閣に上って、遠い雪の山の姿に見入りながら、新しい印象や古い記憶を辿って、山の持つ個性から其何山であるかを探し出すのが楽しみであった。大井川奥の聖岳などは愛宕の塔から眺めると、三峠山と朝日山とが石老山の上で裾を交えている其たるみの間に置かれた一
佐藤春夫
他界へのハガキ 芥川君 君の立派な書物が出來上る。君はこの本の出るのを樂しみにしてゐたといふではないか。君はなぜ、せめては、この本の出るまで待つてはゐなかつたのだ。さうして又なぜ、ここへ君自身のペンで序文を書かなかつたのだ。君が自分で書かないばかりに、僕にこんな氣の利かないことを書かれて了ふぢやないか。だが、僕だつて困るのだよ。君の遺族や小穴君などがそれを求
夏目漱石
二月二十八日には生暖たかい風が朝から吹いた。その風が土の上を渡る時、地面は一度に濡れ尽くした。外を歩くと自分の踏む足の下から、熱に冒された病人の呼息のようなものが、下駄の歯に蹴返されるごとに、行く人の眼鼻口を悩ますべく、風のために吹き上げられる気色に見えた。家へ帰って護謨合羽を脱ぐと、肩当の裏側がいつの間にか濡れて、電灯の光に露のような光を投げ返した。不思議
神西清
「女が髭を持つてゐないやうに、彼は年齡を持つてゐなかつた。」――例によつて三島由紀夫得意のアフォリズムである。『禁色』に出てくる男色家ジャッキーを指して言つてゐるのだが、いつそそつくりそのまま、當の作者に當てはまりさうである。まつたく女に髭がないやうに、三島由紀夫には年齡がない。 もちろん年齡といつても、先天的な――いやつまり、戸籍上のそれぢやない。見た目が
岡本綺堂
三崎町の原 岡本綺堂 十一月の下旬の晴れた日に、所用あって神田の三崎町まで出かけた。電車道に面した町はしばしば往来しているが、奥の方へは震災以後一度も踏み込んだことがなかったので、久振りでぶらぶらあるいてみると、震災以前もここらは随分混雑しているところであったが、その以後は更に混雑して来た。区劃整理が成就した暁には、町の形がまたもや変ることであろう。 市内も
北大路魯山人
味噌汁は簡単にできるものでありながら、その実が、日常どこの家庭でも美味くつくられてはいないようなので、一言申し上げようと思う。味噌汁は、中身の如何にかかわらず、時間をかけて煮てはいけない。まずだしをとり、次に中身がよく煮えてから、最後に味噌を落とし、沸騰したら直ちに椀に盛るという加減のところがよろしい。 ところが、家庭によっては、朝食が家人の都合でまちまちに
宮本百合子
きょう(二月二十八日)の時事新報をみたら、先頃渡米した十人の婦人団がニューヨークについて、女子キリスト青年会(Y・W・C・A)を訪問した写真がのっている。高層建築が左右からそびえたって空も見えないレキシントン街を背景に、もんぺをぬいだ赤松常子参議員が、白足袋に草履の足もとも元気そうに、コート姿をはこんでいる。洋装の九人の婦人たちもそれぞれ元気そうにかたまって
斎藤茂吉
三年 斎藤茂吉 三年と云つても、この三年といふものは、三十年ぐらゐの気持であつた。荷作したまま荷が動かず、紹介してもらつた丸通の課長でさへ、『斎藤さん、もう手おくれですよ』などと云つたほどであつた。 渋谷駅に行つて見ると、いはゆる『疎開荷物』といふものが小山ほどに積まれて居る。然もこの小山ほどといふのは、誇張でない、ぎつしりと隙間のないまでに積まれてゐるので
宮本百合子
絶対主義と戦争熱で正気をうしなっていた日本の政府が無条件降伏して、ポツダム宣言を受諾したのはつい一昨昨年の夏のことであった。今日までに、まる三年たつかたたずである。その短い間に日本の民主化の道は、はっきりと三つの段階を経た。 第一期は一九四五年八月十五日から次の年の春ごろまで。これは国の内外において、日本の民主化ということが最も正直に考えられ、実行されようと
宮本百合子
三年前 宮本百合子 人と話をする度に「内のばっぱはない」と云って女房自慢をするので村の名うてのごん平じいの所に勇ましいようでおくびょうな可愛いいようでにくらしい一匹の雄が居た。其ののかんしゃく持ちなのは村中のひょうばんものである。きのうは隣の家のひなをつついた、おとといはよその菜の葉を食いあらしておつけのみをなくなしたとあっちからもこっちからも苦情をもちこめ
豊島与志雄
ある田舎に、阮という豪族の一家がありました。 阮家の一人息子の阮東は、志を立てて、都に出ました。そして学問をしながら、長官の周家に、書生として暮すことになりました。 その翌年の春さき、阮東は周家の令嬢素英と親しくなり、いつしか愛を語らう仲になりました。けれども、それも一ヶ月ばかりの間で、素英から急に疎んぜられるようになりました。 阮東は、頭髪を乱し、悲しみに
中野鈴子
夜中の十二時頃、おくさんが寝室からのぞくもう寝ていいですよ 足も頭も出てしまう夜具見たこともない短いふとんの中へたおれるように 夜中に、二、三度はね起きはなれた部屋まで時計を見にゆき広いエンガワ 広いタタミ掃除 めしたき 赤ん坊を背中にくくり破れたふとんを片っ端から解いて洗って綿を入れ縫いはじめては手をはなし買い物に走り洗い物は朝と晩 五本のサオにいっぱい
堀辰雄
三つの挿話 堀辰雄 墓畔の家 これは私が小学三四年のころの話である。 私の家からその小学校へ通う道筋にあたって、常泉寺(註一)という、かなり大きな、古い寺があった。非常に奥ゆきの深い寺で、その正門から奥の門まで約三四町ほどの間、石甃が長々と続いていた。そしてその石甃の両側には、それに沿うて、かなり広い空地が、往来から茨垣に仕切られながら、細長く横わっていた。
神西清
三つの挿話 神西清 A氏は南露出身の機械技師である。北鉄譲渡の決済事務で東京へやつて来てから二ヶ月ほどたち、そろそろ日本人の人情にも慣れ気持のゆとりも出来てきたので、平気で一人旅をするやうになつた。これも、A氏がある工場へ買付品の検収のため旅行したときの挿話である。 その二等車は大して混み合つてゐたわけでもなかつたが、A氏の向ひは空席ではなく一人の若い日本の
寺田寅彦
三斜晶系 寺田寅彦 一 夢 七月二十七日は朝から実に忙しい日であった。朝起きるとから夜おそくまで入れ代わり立ち代わり人に攻められた。くたびれ果てて寝たその明け方にいろいろの夢を見た。 土佐の高知の播磨屋橋のそばを高架電車で通りながら下のほうをのぞくと街路が上下二層にできていて堀川の泥水が遠い底のほうに黒く光って見えた。 四つ辻から二軒目に緑屋と看板のかかった
北村透谷
三日幻境 北村透谷 (上) 人生何すれぞ常に忙促たる、半生の過夢算ふるに遑なし。悲しいかな、我も亦た浮萍を追ひ迷雲を尋ねて、この夕徒らに往事を追懐するの身となれり。 常に惟ふ、志を行はんとするものは必らずしも終生を労役するに及ばず。詩壇の正直男(ゴールドスミス)この情を賦して言へることあり。 I still had hopes, my long vexati