北穂天狗の思い出
上村松園
北穂天狗の思い出 上村松園 懐しまれるのは去年の六月信州北穂の天狗の湯へ旅をしたときの思い出である。 立夏過ぎ一日二日、一行は松篁はじめ数人、私は足が弱いので山腹から馬の背をかりることにした。馬の背の片側にお炬燵のやぐらを結えつけ座蒲団を敷いて私がはいり、一方には重さの調節をとるようにいろいろの荷物をつけている、自分ながら一寸ほほえましい古雅な図である。馬子
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上村松園
北穂天狗の思い出 上村松園 懐しまれるのは去年の六月信州北穂の天狗の湯へ旅をしたときの思い出である。 立夏過ぎ一日二日、一行は松篁はじめ数人、私は足が弱いので山腹から馬の背をかりることにした。馬の背の片側にお炬燵のやぐらを結えつけ座蒲団を敷いて私がはいり、一方には重さの調節をとるようにいろいろの荷物をつけている、自分ながら一寸ほほえましい古雅な図である。馬子
宮本百合子
北へ行く 宮本百合子 斜向いの座席に、一人がっしりした骨組みの五十ばかりの農夫が居睡りをしていたが、宇都宮で目を醒した。ステイションの名を呼ぶ声や、乗客のざわめきで、眠りを醒されたという工合だ。窓の方を向いて窮屈に胡座をくんでいた脚を下駄の上におろしながら、精力的な伸びをした。二人づれの国学院の学生がその時入って来て、座席を物色した。車内は九分通り満員だ。二
山東京山
世之農商而嗜ム二文雅ヲ一者、或不レ知所三以ヲ文雅ノ為ル二文雅一、徒ラニ企二羨シ韻士墨客之風標ヲ一、沈二酣シ文酒ニ一、流二連シ花月ニ一、而置テ二生計於不問ニ一、以傾ル二産業ヲ一者、間亦有レ之、是豈嗜ムノ二文雅ヲ一罪ラン哉、其人特自ラ取ルレ之ヲ耳ノミ矣、鈴木牧之翁者北越塩沢之老農也、性嗜ミ二文雅ヲ一、而能尚ヒ二節倹ヲ一抑エ二驕惰ヲ一、不レ絶二誦読ヲ於経営之中ニ一
鈴木牧之
岩波文庫に収めた北越雪譜は不図も読書子の称賛を得て、昨年三月には第二刷を発行し、茲にまた第三刷を発行するに至つたのは校訂子の欣喜に堪へないところである。第二刷のときも、註解に若干の増補を為したが、今回は本書の完璧を期する為めに、書中の挿画全部を天保の初版によつてやり直した、雪譜初版刊行の年月に就ては、判然としない点がある、岩波文庫版の解説には、初篇の一を天保
山東京山
北越雪譜六巻越後塩沢ノ鈴木牧之老人雪窗囲ミレ炉ヲ寒燈隠ルノレ几ニ随筆ナリ、其事出テ二実脚ニ一徒ラニ非二構ヒレ空ヲ架スルレ虚ニ之談ニ一、然ドモ翁固リ不三必シモ期二於梓行ヲ一矣、嚮者ニ郵筒シテ懇二乞ス校正ヲ一、為レ之ガ芟二刈蕪蔓ヲ一二シ菁英ヲ一先ヅ輯メ二三巻ヲ一以為シ二初編ト一、告テレ翁ニ使ム三書肆文渓堂ヲシテ刊二布レ之一、然後越雪之奇千彙万状供シテ二臥遊ノ資ニ
山東京山
此書全部六巻、牧之老人が眠を駆の漫筆、梓を俟ざるの稿本なり。故に走墨乱写し、図も亦艸画なり。老人余に示して校訂を乞ふ。因て其駁雑を刪り、校訂清書し、図は豚児京水に画しめしもの三巻、書賈の請に応じ老人に告て梓を許し以世に布しに、発販一挙して七百余部を鬻り。是に依て書肆後編を乞ふ。然ども余が机上它の編筆に忙く屡稿を脱るの期約を失ひしゆゑ、近日務て老人が稿本の残冊
中谷宇吉郎
『北越雪譜』は、越後鹽澤の人、鈴木牧之翁が雪に埋れて暮した自分の周圍の生活について、折にふれて書きためた文章を、晩年において纒めたものである。議論もなく、所謂卓見もないが、當時における雪國の庶民の生活記録の集成として、まことに珍重すべき文獻である。 本來は民族學の資料として、價値のあるものであろうが、所々に入してある「科學的記述」の中にもいろいろ面白いものが
岸田国士
一年の大部分を山で暮してゐる私は、季節の足音に耳をすます習慣がいつの間にかできました。八月にはいるともう秋の気配が感じられますが、家畜の世話や、魚釣りや、たまに机に向つての仕事やをひつくるめて、私は今、自然のふところといふものに、大きな魅力と、言ひやうのない不安とを感じてゐます。この時代に、秋の訪れを待つことは、たゞの風流ではすまされぬ気持をわかつていたゞけ
中谷宇吉郎
郷里の加賀の片山津を出て、もう四十年になる。したがって、北陸の民家といっても、私の印象に残っているのは、四十年前の田舎家の姿である。 もっともこの頃は、日本中どこへ行っても、新しく建つ家は、どれもこれも、似たり寄ったりのものである。そういう意味では、私の印象に残っている四十年前の北陸の民家の姿の方が、かえって意味があるかもしれない。 今もその傾きがあるが、北
小川未明
隣家の秀夫くんのお父さんは、お役所の休み日に、外へ出て子供たちといっしょにたこを上げて、愉快そうだったのです。 「おじさんのたこ、一番だこになれる?」と、北風に吹かれながら、あくまで青く晴れわたった空を見上げて、賢二がいいました。 「なれるさ。」と、おじさんは、いったが、そばから秀夫くんが、 「お父さん、もっと糸を買ってこなければ、だめですよ。」と、いってい
太宰治
この小説は、終戰後に仙臺の河北新報社から出版せられたものであるが、河北新報社が或る印刷技術の支障に依り、再版に手まどる樣子で、讀者の要望もある樣子だし、河北新報社出版部の宮崎泰二郎氏の好意ある了承のもとに、その再版を、岩月英男君にゆだねた。 岩月君は、私と十年もそれ以上も昔からの知合ひである。井伏鱒二氏の門にかよつてゐたので、私と知合ひになつたのである。この
スティーブンソンロバート・ルイス
サイラス・キュー・スカダモーア氏は、單純な、惡氣のない、若い亞米利加人だつた。この男の生れた新英蘭は、同じ新世界のうちでも、特にさういふ性質が缺けてゐると言はれてゐる地方なので、その點が一層彼の信用を増すもととなつてゐた。この男は非常な金持だつたが、自分の小遣と云へば、いつも克明に小さな紙製の手帳につけてゐた。そして羅甸區の所謂家具附ホテルの七階から、巴里の
中原中也
午前からの来診患者が一先づ絶えたので、先刻から庭木に鋏を入れてゐた医者が、今居間に帰つて来た所だ。 窮屈さうに、紫檀の卓に頬肘を突いて、今まで其処に自分のゐた庭に、障子の中硝子を透して集中しない視線を遣つてゐた。 卓の上には西日が流れて、淡く塵垢さへ見られた。彼の肘の前にある灰皿の中の、喫ひ終つたばかりの喫殻から登る紫色の煙と、他の古い喫殻にそれが燃え移つて
岸田国士
医術の進歩 岸田國士 榊 卯一郎 新案炊事手袋製造業 同 とま子 その妻 今田末子 親戚の女 津幡 直 医師 乙竹外雄 外交員 きぬ 女中 三木 小僧 松原延蔵 医師 榊卯一郎の住宅兼工場。――相当時代のついた二階建日本家。震災で傷んだまゝの貸家を、更に住み荒すだけ住み荒したといふ状態だが、普請は流石に大がかりで、床柱一つでも、なかなか堂々と
滝沢敬一
昔々もその昔、妹が赤十字病院にはいっていた時分、外来の見舞客には特別の食堂があり、切符で注文すれば同じ値段で洋食か和食があり、こっちのほうがおいしかったのを思い出す。 フランスの病院では食事などできる制度は全くない。大学病院の訪問時間は、病人の世話がやけず、一ばん医者や看護婦の邪魔にならない正午から午後三時までに限られる。もっとも産科では昼間働いていて、そん
豊島与志雄
十一谷義三郎を語る 豊島与志雄 十一谷君とは大正十年以來の交誼を得ていたが、その間の十一谷君と切り離せないものは、碁、麻雀、煙草、古い反故るい……。 十一谷君が同人雑誌「行路」の一員だった頃、やはりその同人の一人だった三宅幾三郎君と、私はよく碁をうって、遂に十一谷君をも碁道に引入れてしまった。其後十一谷君の進歩著しく、私たちと互先の手合になり、顔を見れば早速
佐々木味津三
十万石の怪談 佐々木味津三 一 燐の火だ! さながらに青白く燃えている燐の火を思わすような月光である。――書院の障子いちめんにその月光が青白くさんさんとふりそそいで、ぞおっと襟首が寒む気立つような夜だった。 そよとの風もない……。 ことりとの音もない。 二本松城十万石が、不気味に冴えたその月の光りの中に、溶け込んで了ったような静けさである。――城主丹羽長国は
樋口一葉
例は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと兩親に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ歸して悄然と格子戸の外に立てば、家内には父親が相かはらずの高聲、いはゞ私も福人の一人、いづれも柔順しい子供を持つて育てるに手は懸らず人には褒められる、分外の欲さへ渇かねば此上に望みもなし、やれ/\有難い事と物がたられる、あの相手は定めし母樣、あゝ何も御
樋口一葉
例は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと兩親に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ歸して悄然と格子戸の外に立てば、家内には父親が相かはらずの高聲、いはゞ私も福人の一人、いづれも柔順しい子供を持つて育てるに手は懸らず人には褒められる、分外の慾さへ渇かねば此上に望みもなし、やれ/\有難い事と物がたられる、あの相手は定めし母樣、あゝ何も御
樋口一葉
例は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと両親に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ帰して悄然と格子戸の外に立てば、家内には父親が相かはらずの高声、いはば私も福人の一人、いづれも柔順しい子供を持つて育てるに手は懸らず人には褒められる、分外の欲さへ渇かねばこの上に望みもなし、やれやれ有難い事と物がたられる、あの相手は定めし母様、ああ何も
尾崎士郎
十二月七日。椰子の葉が風にゆれている。ブルー・バードの河岸はいつも見る同じ風景ではあったが、鳴りをしずめた自然の中にさえ無気味な影がちらついている。ブルー・バードの並木道へ出るとさすがに冬の気配が心にせまるようであった。空は青く雲のかげも見えないほど澄みきっているし、防波堤の上には散歩服を着たスペインの女が何時ものように、ゆったりとした足どりであるいている。
ポーエドガー・アラン
オランダのスピイスブルク市が世界第一の立派な都会だと云ふことは、誰でも知つてゐる。併しもう遺憾ながら、世界第一の立派な都会だつたと云はなくてはならなくなつた。 あの市は本街道を離れて、謂はば非常な所にあるのだから、読者諸君のうちであそこへ往つたことのある人は少からう。あそこを知らない人に、あの特色のある所を想像させるために、少し精しく土地の事を話すことは無益
永井荷風
近年新聞紙の報道するところについて見るに、東亜の風雲はますます急となり、日支同文の邦家も善鄰の誼しみを訂めている遑がなくなったようである。かつてわたくしが年十九の秋、父母に従って上海に遊んだころのことを思い返すと、恍として隔世の思いがある。 子供の時分、わたくしは父の書斎や客間の床の間に、何如璋、葉松石、王漆園などいう清朝人の書幅の懸けられてあったことを記憶
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかしむかし、あるところに、王さまとお妃さまとがおりました。ふたりはたいそうなかよくくらしていました。十二人のお子さんがありましたが、みんなそろいもそろって男の子ばかりでした。 さて、あるとき、王さまがお妃さまにむかっていいました。 「こんど生まれる子どもが、もし女の子だったら、十二人の男の子はみんな殺してしまおう。そして、その女の子の財産がたくさんになって