図書館法を地方の万人の手に
中井正一
図書館法を地方の万人の手に 中井正一 三年前のことであった。 戦い敗れ、青年の魂の表皮には、まだ生ま生ましい傷痕が赤い肌をあらわにしているときであった。 広島県の田島の青年が、突然、私の家にやって来た。リュックサックから、数十冊の本をものもいわずに引き出して、 「先生、今、大阪から、こんな良い本を、これだけ買ってきました」 昂然と、私に一つ一つの本を示しつつ
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中井正一
図書館法を地方の万人の手に 中井正一 三年前のことであった。 戦い敗れ、青年の魂の表皮には、まだ生ま生ましい傷痕が赤い肌をあらわにしているときであった。 広島県の田島の青年が、突然、私の家にやって来た。リュックサックから、数十冊の本をものもいわずに引き出して、 「先生、今、大阪から、こんな良い本を、これだけ買ってきました」 昂然と、私に一つ一つの本を示しつつ
中井正一
あの戦争のさ中、或る兵器を造っている人が次のような面白いことをいった。 「『零戦』のような飛行機ができるためには、五十年位義務教育が行われている、文化の高い国でないと出来ない。例えば、一ミリの幾万分の一という、鋼鉄の膨張率を測定するには、その職工は、その国の文化が五十年位の、義務教育の成熟している段階にいなければできない。満州国へ工場をもっていって、そこで養
中井正一
図書館法楽屋話 中井正一 この議会で図書館法が通過したことは、全図書館人にとって、まことに感慨深いものがあるのである。 人々にとって、予算の背景のないあんな法案が何になるかという感じもあるであろうが、あの法案があの形になるまでには、いろいろの山もあれば河もあったのである。戦い敗れた国の文化法案の一つの類型的な運命を担っていたとも思えるのである。ここに少しふり
中井正一
図書館法ついに通過せり 中井正一 この数年間、わが図書館界は、この法のために、実に多くの討論をし、実に多くの交渉をし、海を越え山を越えて、ここに辿り来ったのである。 勿論われわれは、未だ多くの夢をもっている。しかし、かかるかたちにおいて、一つの橋頭堡を、われらの永い文化の闘いにおいて、かちえたことは、現段階の酷薄な情勢のなかにあっては、一つの前進であり、記念
中井正一
図書館に生きる道 中井正一 人々が自然の美しさの中に見とれるということは、その中に定かではないが、漲っている深い秩序にあっと驚き、その中に、溶け入り、ともに秩序に諧和し、それと一つになり、力がぬけ、それに打ち委す心持ちのことである。 この宇宙に対決するものにとって、一つの、そして、唯一つの驚きは、その中に、測ることのできぬ秩序が、厳しく、その道を辿っているこ
知里真志保
私が当時の室蘭中学校に入学したのは関東大震災の年、つまり大正12年のこと。登別の小学校から、室中1年1組の副級長として、中学生活の第一歩を踏み出した私は、現在振りかえってみてもあまり楽しい思い出をもたない。 まだ人種的偏見のかなり激しかったころとて、国語や歴史などのように授業中アイヌという言葉を聞かなければならなかった学課は、そういう意味でどうも苦手だった。
野上豊一郎
レンブラントの国 野上豊一郎 一 オランダには三日半きりいなかったけれども、小さな国だから、毎日車で乗り廻して、それでも見たいと思っていたものはあらかた見てしまった。 五月一日(一九三九年)の昧爽、フーク・ファン・ホランドに上陸した時の第一印象は、いかにも物静かな、どことなく田舎くさい、いやに平ったい国だという感じだった。前の晩おそく、雨の中をハリッジを出帆
中谷宇吉郎
五月の末に日本を立って、米国の東海岸に面した避暑地ウッズホールで、三日間の会議をすませ、昨日グリーンランドのチューレへ着いた。そこから十四マイルばかり氷河のモレインの原を行くと、氷冠にとりつく。そのすぐ手前のところに、タトウのベース・キャンプがある。 ここは、グリーンランドでも、ずっと北の端近いところで、北極点までは、あと八百マイルくらいしかない。北極圏の中
国枝史郎
石川島監獄の内は陰森として暗らかった。 「……どうも夫れは宜くあるまい。私には何うも賛成出来ぬ。……それは残念には相違あるまい。泥棒をしたというのでは無く、いずれも国家の行末を案じ、一片耿々の志を以て天下の為めに大事を行い、その結果捕われて幽囚されたのじゃから、俯仰天地に恥ずる所は無く、従って捕われて自由を奪われた事は無念であるに相違無い。併し、それ故破獄し
中井正一
国会図書館のこのごろ 中井正一 立ちあがりのときは、どうなることかと思っていたが、二年半もたってみれば、どうやら一つのコースに乗ってきたようである。 上野図書館を支部図書館とすることになって、働いている人が約五百人、二十五の各支部図書館と本館を合わせると三百七十万冊の本が管理下に入ることとなったのである。 支部図書館のうちでも、静嘉堂と東洋文庫は世界的な東洋
中井正一
国会図書館の窓から 中井正一 日射しの暖かい南向きの窓に、開くともなしに、美しい装釘の本をひもどく、といった、読書のよろこび、「閑」というこころもちの深い厳しさ、こんな世界から、だんだん遠ざかりつつある。 どこへ行くのであろう。時々こんなこころもちになる。私のいる部署は実に五百人の人々が、タイプライターの機銃のような音、電話、交渉、書類の交錯の中で朝八時半か
喜田貞吉
昭和九年初頭の第六十五回帝国議会において、頭山満氏ほか数氏の名を以て、国号制定に関する請願なるものが提出せられた。我が国は大日本帝国なのか、日本国なのか、またこれを口にするに或いはニッポンと云い、或いはニホンと云い、外国人はジャパンとも、ヤポンなどとも云っているが、この際国家において正確なる呼称を定められたいと言うにあったらしい。一大帝国の国号がハッキリしな
黒島伝治
国境 黒島伝治 一 ブラゴウエシチェンスクと黒河を距てる黒竜江は、海ばかり眺めて、育った日本人には馬関と門司の間の海峡を見るような感じがした。二ツの市街が岸のはなで睨み合って対峙している。 河は、海峡よりはもっと広いひろがりをもって海のように豊潤に、悠々と国境を流れている。 対岸には、搾取のない生産と、新しい社会主義社会の建設と、労働者が、自分たちのための労
宮本百合子
国宝 宮本百合子 法隆寺が焼けて、あの見ごとな壁画が修理もきかないほどひどくなってしまった。されに新聞記事を見たとき、わたしの胸のなかで大きななみがくずれた感じがした。有名であったり、国宝であったりしても美しくない美術品もある。法隆寺の壁画はそのゆたかさ、端厳さに人間らしい立派さがあふれていて、わたしたちの心のなかに親愛と尊敬をもって生きていた。あの壁画が感
太宰治
生れてはじめて本場所といふものを、見せてもらつたわけであります。世人のわいわい騷ぐものには、ことさらに背を向けたい私の悲しい惡癖から、相撲に就いても努めて無關心を裝つて來たわけであります。けれども、内心は、一度見て置きたいと思つてゐたのでありました。むかしの姿が、そこにまだ殘つてゐるやうな氣がしてゐたからであります。 協會から案内の御手紙をもらつたので、袴を
折口信夫
一 日本文學が、出發點からして既に、今ある儘の本質と目的とを持つて居たと考へるのは、單純な空想である。其ばかりか、極微かな文學意識が含まれて居たと見る事さへ、眞實を離れた考へと言はねばならぬ。古代生活の一樣式として、極めて縁遠い原因から出たものが、次第に目的を展開して、偶然、文學の規範に入つて來たに過ぎないのである。 似た事は、文章の形式の上にもある。散文が
折口信夫
一 客とまれびとと 客をまれびとと訓ずることは、我が國に文獻の始まつた最初からの事である。從來の語原説では「稀に來る人」の意義から、珍客の意を含んで、まれびとと言うたものとし、其音韻變化が、まらひと・まらうどとなつたものと考へて來てゐる。形成の上から言へば、確かに正しい。けれども、内容――古代人の持つてゐた用語例――は、此語原の含蓄を擴げて見なくては、釋かれ
折口信夫
国文学の発生(第二稿) 折口信夫 呪言の展開 一 神の嫁 国家意識の現れた頃は既に、日本の巫女道では大体に於て、神主は高級巫女の近親であつた。併し、其は我々の想像の領分の事で、而も、歴史に見えるより新しい時代にも、尚村々・国々の主権者と認められた巫女が多かつた。 神功皇后は、其である。上古に女帝の多いのも、此理由が力を持つて居るのであらう。男性の主権者と考へ
宮本百合子
わたしたちの生活の間で、国際的という言葉はこれまでどんな工合に使われて来ているだろうか。 日常の言葉として、国際的という表現をあまりつかわない人たちでも、スポーツの場合はごくすらりと、世界記録というつかみかたで、国際的な水準なり、ある程度その感覚なりを身につけて来ている。 この節では国際結婚という言葉も日用語に近くなった。モードについて書かれている記事の中に
小酒井不木
国枝史郎氏の人物と作品 小酒井不木 最初は国枝史郎氏論という題で書こうと思ったけれど、「論」を書くほど自分の頭は論理的に出来ていないから、「人物と作品」と題して見たものの、自分には他人の人物や作品を批評する資格は少しもなく、ただその人物に接して得た私の感じを述べるに過ぎないことをあらかじめ御断りして置く。 始めて私が国枝史郎氏の作品に接したのは今から五年ほど
宮沢賢治
外の面には春日うららに ありとあるひびきなせるを 灰いろのこの館には 百の人けはひだになし 台の上桜はなさき 行楽の士女さゞめかん この館はひえびえとして 泉石をうち繞りたり 大居士は眼をいたみ はや三月の人の見るなく 智応氏はのどをいたづき 巾巻きて廊に按ぜり 崖下にまた笛鳴りて 東へととゞろき行くは 北国の春の光を 百里経て汽車の着きけん ●図書カード
喜田貞吉
大和吉野の山中に国栖という一種の異俗の人民が居た。所謂山人の一種で、里人とは大分様子の違ったものであったらしい。応神天皇の十九年に吉野離宮に行幸のあった時、彼ら来朝して醴酒を献じた。日本紀には正に「来朝」という文字を使っている。彼らは人となり淳朴で、常に山菓を取って喰う。また蝦蟆を煮て上味とする。その土は京(応神天皇の都は高市郡の南部大軽の地)よりは東南、山
仁科芳雄
國民の人格向上と科學技術 仁科芳雄 わが國はポツダム宣言受諾の結果,民主主義の平和國家として更生することとなつた.このことは今度の新憲法に具象化せられて居つて,人民のために人民が行ふ政體をとるのである.從つて人民各自の人格の高低はとりも直さず,我國の浮沈を決定するものに他ならない.ここに人格といふのは,道義心,性格,教養等を含めた全體の屬性を指すのである.
宮本百合子
国民学校への過程 宮本百合子 小学校は六年で卒業と私たちの頭に刻まれていた観念は、国民学校になると、八年制に改まる。毎年小学校を卒業する子供たちの数は随分夥しいもので、昭和十四年度には凡そ二百三十七万人余であった。これは尋常科高等科卒業と高等一年修了の児童たちを総括しての数である。 八年制はつまり現在の高等二年修了と同じになるのだろうから、日本の民衆の一般の