Vol. 2May 2026

도서

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帰来

阿部次郎

帰来 阿部次郎 1 千九百二十三年の七月、私は、独逸を出てから、和蘭・白耳義を経て再びパリにはひつた。其処の美術館で、前に見た目ぼしいものを見なほしたり、前に見のこして置いたものを見たりするのが私の主たる目的だつた。その月の二十七日の午後、私はルーヴルの大玄関をはひつて直ちに右に折れ、Galerie Mollien を突当つて同じ名を負ふ階段を二階に上り、左

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忘られぬお国言葉

池田亀鑑

○「大山にや、雪が降つたかしらん、お宮の銀杏の葉がフラフラふる頃になあと大山にや雪がおりるけんなア」△「シェンセイは久古言葉をようおぼえちよんなはあますなア」○「ようおぼえちようわい、大山の麓ほどええとかアないけん。ところでお前パーマをかけたなア、嫁さんに貰ひてががいにああちゆうけんなア、えしこやれよ」△「嫁さんにやいきましェん」○「うそつけ、嫁さんに行きた

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エリザベスとエセックス

ストレイチーリットン

イギリスにおける宗教改革は、単に宗教上だけの事件ではない。それは社会的な事件でもあった。中世紀精神のカビが払い落とされると同時に、それにむすびついた革命が、同様の完成度と同様の深達度をもって、俗世の生活にも、権力の座の組織のなかにも起こった。幾世代かにわたってこの世を支配した騎士と僧門は没落し去り、彼らの位置は新しい人間階級に移った。武士でもなく、聖職でもな

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チベット旅行記

河口慧海

チベットは厳重なる鎖国なり。世人呼んで世界の秘密国と言う。その果たして然るや否やは容易に断ずるを得ざるも、天然の嶮によりて世界と隔絶し、別に一乾坤をなして自ら仏陀の国土、観音の浄土と誇称せるごとき、見るべきの異彩あり。その風物習俗の奇異、耳目を聳動せしむるに足るものなきに非ず。童幼聞きて楽しむべく、学者学びて蘊蓄を深からしむべし。これそもそも世界の冒険家が幾

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日本芥子

北大路魯山人

西洋料理、中国料理に添えてあるあのからしを見るたびに、どうも気になってしようがない。日本料理に付けられた場合などはなおさらである。 元来、西洋からしというもの、肝心の辛さが一向辛くなく、第一大切な香味がなっていない。辛味も香味も共に優れている日本からし。しかも、安価で存在しているものを、なにをもって西洋からしをありがたがるのか。わたしにはさっぱりその気が知れ

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白菜のスープ煮

北大路魯山人

白菜の煮方などは、一般にあまり吟味したやり方が行われていないと思うので、とりあえずここで扱うことにした。 白菜というものは、元来中国青島の産であるが、昔から朝鮮にも多く栽培されていた。これは寒帯にできる野菜であるから、東京辺つまり暖地のものは、品質があまりよくないといえよう。 白菜の料理は、魚や肉には軽い調節になってよいものだ。白菜は純日本のものではないから

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人間が家畜食

北大路魯山人

山の中に三十年の朝夕起臥、ほとんど社交のない生活を営みながら、わたしは時に快速船のように何事も進ませずにはいられないくせをもっている。自慢ではないが、それっというすべてが超スピードで活動するために、周辺の助け舟は大変である。眼の回るようにキリキリ舞いだが、わたしから見てすべてが鈍速で見ていられない。第一快調を欠いている。その理由をわたしはよく考えているのだが

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日本のやきもの

北大路魯山人

多くの文明諸国におけると同じ様に、日本でも、やきもの、つまり陶磁器が日常生活の什器として使用され始めた時期は、遠く紀元前数世紀に遡ることが出来る。けれども、陶磁器が諸々の趣味生活の素材として取上げられ始めたのは、遥かに後代のことらしい。九世紀から十二世紀にかけて、日本では平安朝時代と呼ばれる、宮廷文化の華やかであった時代が続いたが、この時代は主として中国文化

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能書を語る

北大路魯山人

今日は「料理と陶器」の話を致すということでありましたが、そういうことになりますと、ここに三百点ぐらいの陶器を並べなければなりません。それに私はこの四、五日大変混雑をいたしておりまして、そういう準備はいたし兼ねたのでありました。それで外題を勝手に改めたのでありますが、御諒解ねがいたいと存じます。 料理を語らんとする者が「能書を語る」というのも変じゃないかとお考

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南浦紹明墨蹟

北大路魯山人

南浦紹明(大応国師)は、宋の虚堂の法嗣で大燈国師のお師匠さん、建長寺の蘭渓道隆の門に参じたことがあり、宋から帰って後に筑前の崇福寺におること三十年、関西を風靡した。延慶元年臘月、七十四を以て示寂。 南浦の法統は女子の開悟を期するを以て特色としており、悟りに徹するには女も知らねばというわけで、その点、徹底しているともいえる。一休、沢庵などは、その出色で、一見エ

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日本料理の要点 ――新雇いの料理人を前にして――

北大路魯山人

星岡茶寮において、料理人の補充を京都の地に求めたのは、単に茶寮の幹部がみな京都人であるからばかりでなく、日本料理というものが、京都を源流にして発達しているからであって、京都という土地は、言わば日本料理の家元なのである。 今は京都も時世の推移とともに面白からぬ風潮が流れ込んで、持ち前の美風も、よい産物も、だんだんと失われていくようであるが、それでも家庭料理など

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蝦蟇を食べた話

北大路魯山人

山椒魚は手に入れるのが困難だが、反対にいくらでも手に入るもので、しかも、滅多に人の食わないもの、それでいて、相当の珍味を有するものと言えば、日本の蝦蟇だろう。 ひと頃、食用蛙というものが流行して、非常に美味いもののように言われたが、食用蛙などよりは蝦蟇の方が、よほど美味い。しかし、このことを知っている者は、案外少ないようである。 私がはじめて蝦蟇を食ったのは

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海苔の茶漬け

北大路魯山人

のりの茶漬けは至極簡単だが、やっている人は少ない。缶詰や壜詰になっているのりの佃煮には、いい香りのものは見られない。一年も二年も経って日増せになったのりとか、青のりのまじった生のりの屑だとか、言わば廃物をもって拵えたのが缶詰や壜詰ののりの佃煮である。悪いのになると、大部分青のりであるから、青のりの臭みと味とに満ちている。 ほんとうに美味しいのりの佃煮が食べた

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納豆の茶漬け

北大路魯山人

ここでいう納豆の拵え方とは、ねり方のことである。このねり方がまずいと、納豆の味が出ない。納豆を器に出して、それになにも加えないで、そのまま、二本の箸でよくねりまぜる。そうすると、納豆の糸が多くなる。蓮から出る糸のようなものがふえて来て、かたくて練りにくくなって来る。この糸を出せば出すほど納豆は美味くなるのであるから、不精をしないで、また手間を惜しまず、極力ね

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ハワイの食用蛙

北大路魯山人

ハワイの食用蛙 北大路魯山人 小島政二郎君 僕の作品展示会の模様は、後便で記事の出ている新聞といっしょに送りますから、それをご一覧ください。 ここではアメリカで食べたお料理のことをざっと書いてご覧に供しましょう。飛行機がハワイに着くと、与田さんが迎えに来てくれて、ホノルルの本町通りで自身経営しているシティ・グリルというのへ連れて行かれ、ここでアメリカにおける

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鱧・穴子・鰻の茶漬け

北大路魯山人

鱧・穴子・鰻の茶漬け 北大路魯山人 鱧 茶漬けの中でも、もっとも美味いもののひとつに、はもの茶漬けがある。これは刺身でやるたい茶漬けと拮抗する美味さだ。洋食の流行する以前の京、大阪の子どもに、「どんなご馳走が好きか」とたずねると、「たい」と「はも」と、必ず答えたものだ。それほど、たいとはもは京阪における代表的な美食だった。 はものいいのは、三州から瀬戸内海に

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日本料理の基礎観念

北大路魯山人

日本料理の基礎観念 北大路魯山人 私どもが旅行をしますと、汽車の弁当を食ったり、旅館の料理を食ったりしなければなりませんが、それらはいかにも不味くてまったく閉口します。そういう日本料理というものはまるでなっていません。まだ西洋料理ならいくらか食べられます。また、中国料理でもそうです。してみると、西洋料理とか中国料理とかいうものは、拵え方がやさしいのだ、単純な

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握り寿司の名人

北大路魯山人

握り寿司の名人 北大路魯山人 東京における戦後の寿司屋の繁昌は大したもので、今ではひと頃の十倍もあるだろう。肴と飯が安直にいっしょに食べられるところが時代の人気に投じたものだろう。しかし、さて食える寿司となるとなかなか少ない。これは寿司屋に調理の理解がないのと、安くして評判をとるために粗末になるからだろう。 現に新橋付近だけでも何百軒とあるであろう。この中で

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鍋料理の話

北大路魯山人

鍋料理の話 北大路魯山人 冬、家庭で最も歓迎される料理は、なべ料理であろう。煮たて、焼きたてが食べられるからである。 なべ料理では、決して煮ざましを食べるということはない。クツクツと出来たての料理を食べることが、なによりの楽しみである。だから、なべ料理ほど新鮮さの感じられる料理はない。最初から最後まで、献立から煮て食べるところまで、ことごとく自分で工夫し、加

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伝不習乎

北大路魯山人

伝不習乎 北大路魯山人 昔の料理は至極簡単なものであった。今日の料理は至極複雑である。しかし、どっちが本当に美味を持っていたかというと、昔の簡単な料理に軍配が挙がる。少なくとも今日の料理が次第にインチキ料理になりつつあることは争われぬ事実である。それはなぜかといえば、料理法は簡単素朴なものであったが、材料がしっかりしたものであったからだ。 こんど某会館で魚料

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ナリン殿下への回想

橘外男

昨年の八月中頃、ヒューゲッセン大使負傷事件を契機として我が国に対する英帝国の態度が、そろそろ敵意を帯びた奇怪なものに映り出していた頃であったと記憶している。何かの用件である日の夕方、ヴァローダ商会という印度商館へ訪ねて行ったことがある。電車通りに面した事務所には、相変らず所狭いまでに各種の器具機械類が並べられて、三人ばかりの日本商人が注文欲しげな顔で売り込み

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グリュックスブルグ王室異聞

橘外男

「その時わたくしは、下町のフォーゲル街で父の遺した家に母と暮していましたが、四月初め頃のある朝、……まだ日陰には雪が残って、その中から……ミルザの花が咲いていましたから、三月末頃だったかも、知れません。ある朝事務所の前に、すばらしいイスパノスイザの高級車が停まって、頬髭いかめしい年輩の執事が訪れて来ました。中央公園のドラーゲ公爵家から来たものだが、お願いした

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ウニデス潮流の彼方

橘外男

諸君は御記憶であろうか? 昨夏七月二十二日ブエノスアイレス発ユーピー特電が突如倫敦各紙に第一声を送って以来、エーピー、ロイター、タス、アヴァス等世界の大通信社の触手という触手は一斉に色めき立って、地元拉丁亜米利加諸国はもちろん、全欧米を熱狂と興奮の坩堝と化せしめ、世界学界に解けざる謎を与えて輿論は囂々として、今なお帰趨するところを知らざる大事件のあったという

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陰獣トリステサ

橘外男

「被告! 被告は自己のために、何か最後の陳述をしたいという意志はないか?」と裁判長は紙とペンをくれて、私に最後の陳述の機会を与えてくれた。その機会を利用して、今私は獄窓にペンを走らせているわけであるが、これが法廷に対する私の告白であるか、犯した罪に対する懺悔であるか、あるいは私の死後にこれを読んでくれるであろう一般社会に対する私の挑戦であるかは、見る人々の判

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