大阪の反逆 ――織田作之助の死――
坂口安吾
将棋の升田七段が木村名人に三連勝以来、大阪の反逆というようなことが、時々新聞雑誌に現われはじめた。将棋のことは門外漢だが、升田七段の攻撃速度は迅速意外で、従来の定跡が手おくれになってしまう(時事新報)のだそうで、新手の対策を生みださぬ限り、この攻撃速度に抗することができないだろう、と云う。新らたなるものに対するジャーナリズムの過大評価は見なれていることだから
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坂口安吾
将棋の升田七段が木村名人に三連勝以来、大阪の反逆というようなことが、時々新聞雑誌に現われはじめた。将棋のことは門外漢だが、升田七段の攻撃速度は迅速意外で、従来の定跡が手おくれになってしまう(時事新報)のだそうで、新手の対策を生みださぬ限り、この攻撃速度に抗することができないだろう、と云う。新らたなるものに対するジャーナリズムの過大評価は見なれていることだから
織田作之助
大阪の可能性 織田作之助 大阪は「だす」であり、京都は「どす」である。大阪から京都へ行く途中、山崎あたりへ来ると、急に気温が下って、ああ京都へはいったんだなと感ずるという意味の谷崎潤一郎氏の文章を、どこかで読んだことがあるが、大阪の「DAS」が京都の「DOS」と擦れ合っているのも山崎あたりであり、大阪の「DAS」という音は、山崎に近づくにつれて、次第に「A」
織田作之助
またしても大阪の話である。が、大阪の話は書きにくい。大阪の最近のことで書きたいような愉快な話は殆んどない。よしんばあっても、さし障りがあって書けない。 「音に聴く大阪の闇市風景」などという注文に応じてはみたものの、いそいそと筆を取る気になれないのである。 ――と、こんな風にまえがきしなければ、近頃は文章が書けなくなってしまった。読者も憂鬱だろうが、私も憂鬱で
直木三十五
大阪を歩く 直木三十五 大大阪小唄 直木三十五作歌 一、大君の 船着けましき、難波碕 「ダム」は粋よ、伊達姿、 君に似たかよ、冷たさは、 黄昏時の水の色、 大阪よいとこ、水の都市 二、高き屋に 登りて、見れば、煙立つ、 都市の心臓か、熔鉱炉 燃ゆる焔は、吾が想い 君の手匙で、御意のまま 大阪よいとこ、富の都市 三、近松の 昔話か、色姿 酒場の手管は、ネオンサ
内藤湖南
大阪の町人の學問については、豫て私の友人幸田成友君などが隨分精細な調べをされて、大阪市史にも載せられて居るから、私が茲に語らんとする所は、大阪の町人と學問との關係について、私一個の考察を申述べるに過ぎない。而も此等の事に關しては、懷徳堂で嘗て山片蟠桃の話をし、この次ぎに富永仲基に關する話をする約束があり、又嘗て土屋元作君が橋本宗吉に關して精しいお話があつて、
内藤湖南
大阪毎日新聞が、一萬五千號のお祝で講演會を催されるといふことで、私にも出るやうにとのお話で出て參りました。但しこの講演會は、時に毎日新聞の一萬五千號のお祝のやうにも聞え、大大阪のお祝のやうにも聞え、時としては大大阪文化史の講演といふ風に見えたこともあります。それについて一寸お斷りして置きますが、私は大都市主義に反對です。それで一萬五千號のお祝に出て參りました
織田作之助
年中夫婦喧嘩をしているのである。それも仲が良過ぎてのことならとにかく、根っから夫婦一緒に出歩いたことのない水臭い仲で、お互いよくよく毛嫌いして、それでもたまに大将が御寮人さんに肩を揉ませると、御寮人さんは大将のうしろで拳骨を振り舞わし、前で見ている女子衆を存分に笑わせた揚句、御亭主の頭をごつんと叩いたりして、それが切っ掛けでまた喧嘩だ。十年もそれが続いたから
中谷宇吉郎
昭和二十二年の秋の話である。 その頃私は、資源関係の或る会の委員をしていて、日本の水資源の調査を一部やることになっていた。敗戦後の日本に残された資源のうちで一番大きいものは水であるから、これは少し真面目にやってみる必要がある。というので、柄にないことを始めたわけである。 ところで水資源のうちで、一番大きいものは、日本では、まず雪であるということに気がついた。
鈴木三重吉
大震火災記 鈴木三重吉 一 大正十二年のおそろしい関東大地震の震源地は相模なだの大島の北上の海底で、そこのところが横巾最長三海里、たて十五海里の間、深さ二十ひろから百ひろまで、どかりと落ちこんだのがもとでした。 そのために東京、横浜、横須賀以下、東京湾の入口に近い千葉県の海岸、京浜間、相模の海岸、それから、伊豆の、相模なだに対面した海岸全たいから箱根地方へか
牧野信一
いつも僕は野球の期節になると何よりも先に屹度大音寺君のことを思ひ出す。早稲田の岸、谷口、加藤等の頃だつたから今から十余年も前のことだ。僕は余り教室へ出ることを好まない文科の学生で、いつも独り法師で、大してフアンといふ程の者でもなかつたのだが、天気が好いと運動場へ来てぼんやりと、選手の練習を何時迄でも見物してゐるのが慣ひであつた。 その日も僕はガランとしたスタ
国枝史郎
大鵬のゆくえ 国枝史郎 吉備彦来訪 読者諸君よ、しばらくの間、過去の事件について語らしめよ。……などと気障な前置きをするのも実は必要があるからである。 一人の貧弱い老人が信輔の邸を訪ずれた。 平安朝時代のことである。 当時藤原信輔といえば土佐の名手として世に名高く殊には堂々たるお公卿様。容易なことでは逢うことさえ出来ない。 「そんな貧弱い風態でお目にかかりた
小川未明
ある日のことであります。男は空想にふけりました。 「ほんとうに、毎日働いても、つまらない話だ。大金持ちになれはしないし、また、これという安楽もされない。ばかばかしいことだ。よく世間には、小判の入った大瓶を掘り出したといううわさがあるが、俺も、なにかそんなようなものでも掘り出さなければ、大金持ちとはならないだろう。」と、その男は、いろいろなことを、仰向いて考え
豊島与志雄
天下一の馬 豊島与志雄 一 ある田舎の山里に、甚兵衛という馬方がいました。至ってのんき者で、お金がある間はぶらぶら遊んでいまして、お金がなくなると働きます。仕事というのは、山から出る材木を、五里ばかり先の町へ運ぶのです。ぷーんと新しい木の香りがする丸や四角の材木を、丈夫な荷馬車に積み上げ、首のまわりに鈴をつけた黒馬にひかして、しゃんしゃんぱっかぱっか……と、
国枝史郎
元文年間の物語。―― 夜な夜な名古屋城の天主閣で、気味の悪い不思議な唸り声がした。 天主閣に就いて語ることにしよう。 「尾張名古屋は城で持つ」と、俚謡にまでも唄われている、その名古屋の大城は、慶長十四年十一月から、同十六年十二月迄、約二ケ年の短日月で、造り上げた所の城であるが、豊公恩顧の二十余大名六百三十九万石に課し、金に糸目をつけさせずに、築城させたもので
田中貢太郎
鏑木清方画伯の夫人が産褥熱で入院した時の話である。 その夫人が入院した時は夜で、しかもひどく遅かった。夫人はその時吊台で病院に運ばれたが、その途中吊台の被の隙から外の方を見ると、寒詣りらしい白衣の一面に卍を書いた行者らしい男が、手にした提灯をぶらぶらさせながら後になり前になりして歩いていた。そして、目的の病院へ著いたが、玄関の扉が締っているので、しかたなく死
田中貢太郎
小説家の山中峯太郎君が、広島市の幟町にいた比のことであった。それは山中君がまだ九つの時で、某夜近くの女学校が焼けだしたので、家人は裏の畑へ往ってそれを見ていた。その時山中君は、ただ一人台所へ往って立っていたが、何かしら悪寒を感じて眼をあげた。と、すぐ頭の上の天井から不意に大きな足がぶらさがった。それはたしかに人間の足で、婢室の灯をうけて肉の色も毛の生えている
三木露風
ある夏の暑い日に、私はAといふ大学生と一緒に、童貞女の居るトラピスト修道院を訪ねた。その修道院は、函館から東北へ二三里行つた湯の川といふ山村の後丘に立つてゐるのであつた。 初め、私は童貞女の修道院を訪ねるつもりではなかつた。私は男子の修道院の方へ行かうと思つてゐたので、東京を立つ前に手紙をその方へ送つておいた。さうして、函館へ来た。折柄暑中休暇で帰省してゐる
野村胡堂
百年前、日本には既に空飛ぶ機械が発明されて居たのでした。惜しいことにそれが後年の飛行機にまで発達する機会に恵まれず、無智と野心と邪悪な心とに亡ぼされて、たった一篇の随筆と、哀れ深い物語を遺しただけで亡びてしまったのです。併し、その先覚者の逞ましい意図と、血みどろの研究が、今日世界の空を征服せんとする、航空界の驚異的な発達の一つのささやかな捨石でなかったと誰が
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
ある晴れわたった日のことでした。神さまは天国のお庭を散歩なさろうとお思いになって、使徒や聖者たちをみんなおつれになりました。そのため、天国には聖ペテロさまがひとりしかのこっていませんでした。 神さまは、ごじぶんのるすのあいだは、だれもいれてはいけない、と、聖ペテロさまにおいいつけになりました。それで、聖ペテロさまは門のところに立って、番をしておりました。 す
下村千秋
三月の末日、空つ風がほこりの渦を卷き上げる夕方――。 溝の匂ひと、汚物の臭氣と、腐つた人肉の匂ひともいふべき惡臭とがもつれ合つて吹き流れてゐる、六尺幅の路地々々。その中を、海底の藻草のやうによれ/\と聲もなくうろついてゐる幾千の漁色亡者。 一つの亡者が過ぎて行くと、その兩側の家の小窓から聲がかゝる。遠くから網をなげかけてたぐり寄せるやうな聲、飛びついて行つて
中谷宇吉郎
天地創造の話というと、たいへん大袈裟なことになるが、一昨年即ち昭和十九年の夏から、北海道の片隅で、そういう異変が現実に起きているのである。 今まで鉄道が通り畑が耕されていたただの平地であった所が、毎日二十センチくらいの速さで隆起して来て、人家や道路が、何時の間にか丘の上に持ち上げられてしまった。そのうちに噴火が起きて、そこに突如として、四〇五メートルもの高さ
土井晩翠
「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫虫篆刻の末技に非ず。既往數百年間國詩の經歴に關しては余將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十餘年、今日其穉態笑ふべきは自然の數なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を將來に必すべからず。詩は國民の精髓なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の
小川未明
天職を自覚せず、また、それにたいする責任を感ぜず、上のものは、下のものに好悪の感情を露骨にあらわして平気だった、いまよりは、もっと暗かった時代の話であります。 新しく中学の受け持ち教師となったSは、おけ屋のむすこの秀吉を、どういうものか好きでありませんでした。特別にきらった理由の一つは、ほかの生徒のごとく学科ができないからというのではなく、秀吉がいつも、じっ
小川未明
人間は、これまでものをいうことのできない動物に対して、彼等の世界を知ろうとするよりは、むしろ功利的にこれを利用するということのみ考えて来ました。言い換えれば、利益を中心にこれ等の動物を見、また取扱って来たのです。こうしたところには、彼等の天性の美を見ることも出来なければ、造物主が彼等によって示さんとした天賦の叡智、敏感、正直さというようなものも、ついに知られ