奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
喜田貞吉
昨年〔(大正一五年)〕一月発行の本誌〔(『民族』)〕第一巻第二号において、自分は柳田〔(国男)〕君の促しによって、「奥羽地方のアイヌ族の大陸交通はすでに先秦時代にあるか」という標題のはなはだ長たらしい、しかも内容のきわめて貧弱な一小篇〔(前章)〕を掲載して戴いたことであった。それはかつて同じ柳田君が『郷土研究』を発行せられた時に、同誌の同じ第一巻第二号におい
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喜田貞吉
昨年〔(大正一五年)〕一月発行の本誌〔(『民族』)〕第一巻第二号において、自分は柳田〔(国男)〕君の促しによって、「奥羽地方のアイヌ族の大陸交通はすでに先秦時代にあるか」という標題のはなはだ長たらしい、しかも内容のきわめて貧弱な一小篇〔(前章)〕を掲載して戴いたことであった。それはかつて同じ柳田君が『郷土研究』を発行せられた時に、同誌の同じ第一巻第二号におい
喜田貞吉
奥羽地方には各地にシシ踊りと呼ばるる一種の民間舞踊がある。地方によって多少の相違はあるが、大体において獅子頭を頭につけた青年が、数人立ち交って古めかしい歌謡を歌いつつ、太鼓の音に和して勇壮なる舞踊を演ずるという点において一致している。したがって普通には獅子舞或いは越後獅子などの類で、獅子奮迅踴躍の状を表象したものとして解せられているが、奇態な事にはその旧仙台
今野大力
君はおれの肩を叩いてきいてくれる 君は親しげなまざしでおれを見る おお君はいつもおれの同志 おれたちの力強い同志 しかしおれには今 君の呼びかけたらしい言葉がきこえない 君はどんなにかあの懐かしい声で 留置場からここへ帰って来たおれに 久方ぶりで語ってくれたであろうに おれには君の唇の動くのが見えるだけだ パクパクとただパクパクと忙しげな 静けさ、全く静けさ
久坂葉子
女は五通の手紙を書き、それ/″\白い角封筒に丁寧におさめた。内容は悉く同じものであった。封をしてから、女は裏に自分の名前を書いた。それから五つの表書をしばらく思案していたが、やがて、ペンの音をさせて性急に五種類の名前を書きはじめた。 夕闇が女の部屋にある水仙の白さを浮きたたせた。女は黒革のハンドバッグに五通の手紙をしまいこんだ。 春の朝は、かんばしいかおりと
水野仙子
女 水野仙子 『女つてもの位、なんだね、僕等に取つて依體の知れないものはないね、利口なんだか馬鹿なんだか、時々正體をつかむに苦しむことがあるよ。さうなるとまるで謎だね……法廷なぞでもなんだよ君、あゝあゝかうと、ちやんと言ひ切つてしまふのは女の證人だよ。男なら、さあはつきり覺がありませんとか、よく分りませんでしたとかいふところを、女は事々明瞭に申したてる、そり
宮沢賢治
女 宮沢賢治 そらのふちは沈んで行き、松の並木のはてばかり黝んだ琥珀をさびしくくゆらし、 その町のはづれのたそがれに、大きなひのきが風に乱れてゆれてゐる。気圏の松藻だ、ひのきの髪毛。 まっ黒な家の中には黄いろなラムプがぼんやり点いて顔のまっかな若い女がひとりでせわしく飯をかきこんでゐる。 かきこんでゐる。その澱粉の灰色。 ラムプのあかりに暗の中から引きずり出
中野鈴子
軍服をつけ 銃を肩に 立ち上がったこの姿を見よ 沈着と決意に動かぬ この勢揃いを見よ 彼女らの全身の血の集中! すべてを明日に 未来にかけ 今日 立ちふさぐ我ら日本の女 我らの目はあつく燃える 正義と愛と憎しみとに波打つ その立派なたくましい 彼女らの整列の上に ●図書カード
坂口安吾
私は人の顔をジロリと見る悪い癖があるのだそうだ。三十三の年にさる女の人にそう言われるまで自分では気づかなかったが、人の心をいっぺんに見抜くような薄気味わるさで、下品だという話だ。それ以来、変に意識するようになり、あゝ、又やったか、そう思う。なるほど、我ながら、変に卑しい感じがする。魂の貧困というようなものだ。男にはメッタにやらぬ。自分では媚びるような気持のと
坂口安吾
フシギな女 坂口安吾 文字と画はこうも違うものかね。ヤブニラミ、オカメ、無愛想、唇厚く、ニキビ面などと目撃者の表現が散々だから(築地の中華料亭四人殺害事件の犯人)この事件を漫画にとり入れた人々も大そうな不美人をかいていましたね。 ところが、モンタージュ写真を見ると、凄味のある不美人ではなくて、農村でタクサン見かけることができそうな、あたり前の顔だ。女中の顔の
中原中也
女 吸取紙を早くかせ 恵まれぬものが何処にある? マッチの軸を小さく折つた 女 自分は道草かしら 女は摘草といふも勿体ないといつた 俺は女の目的を知らないのださうだ 原因なしの涙なんか出さないと自称する女から言はれた 飛行機の分裂 目的が山の端をとぶ 縫物 秘密がどんなに織り込まれたかしら 女は鋏を畳の上に出したまゝ 出て行つた 自分に理窟をつけずに 只管英
宮本百合子
「女らしさ」とは 宮本百合子 私たち婦人が「女らしい」とか「女らしくない」とかいう言葉で居心地わるい思いをしなくなるのはいつのことだろう。 日本の社会も、袂で顔をかくして笑うのを女らしさといったり、大事な返事をしなければならないときに口もきけなくて畳をむしるのが娘らしいという考えかたからは、ぬけて来た。しかし、何かにつけて思い出したように「女らしさ」が登場し
岸田国士
「女らしさ」について 岸田國士 私はかういふ問題について特に興味をもつてゐるわけではないが、今時かういふ問題が婦人公論のやうな雑誌でとりあげられるといふ事実に多少時代的な意義を見出すのである。 大体「女」といふ言葉は、古来、複雑微妙な語感をもち、時と場合で、その響き方がいろいろに変るのであるが、この「女らしさ」にしても、なにかさういふ捕捉しがたい模糊とした感
宮本百合子
「女の一生」と志賀暁子の場合 宮本百合子 先だっての新聞は元新興キネマの女優であった志賀暁子が嬰児遺棄致死の事件で、公判に附せられ、検事は実刑二年を求刑した記事で賑わいました。出廷する暁子として、写真も大きく載せられ、裁判所は此一人の女優の生涯に起った悲しい出来事の公判のために、傍聴券を出しました。検事の論告は暁子が母性を失っている、母たる資格を持たぬ女であ
岸田国士
女七歳 岸田國士 彼は彼女を愛してゐるやうに見えた。 彼女は彼を愛しかけた。 彼は彼女を得た。 S子が生れた。 彼は彼女から遠ざかつた。 彼女は待つた。 彼は帰らなかつた。 五度目の春が来た。 彼女の父が死んだ。 ――おぢいちやま……おんぶ。 S子はよく夢を見た。 S子は彼女に手を曳かれておぢいちやまのお墓なるものに参つた。 彼女の兄が長い長い旅から帰つて来
羽仁もと子
第一には容易に腹を立てないこと、第二には他人をうらやまないこと、第三には時とものとをむだにしないように働くこと。この三ヵ条を忘れなければ、誰でもかならず福々しい身の上になることができます。 人は一生食べるだけのものを持って生まれているのだともいい、ものを粗末にする人は、年とってから乏しい目をするともいいます。そんなことはあるまいと思う人もあるようですが、よく
岸田国士
女九歳 岸田國士 Y子はK病院で扁桃腺の手術をすることになつた。 Y子は九歳で、春夏秋冬、風邪をひいた。 Y子は母親と、K子叔母ちやまと、女中とに連れられて家を出た。 Y子はその日、平生よりもはしやいでゐた。そして、時々、溜息を吐いた。 裸にされ、手術室にはひると、そばに母親も、K子叔母ちやまも、女中もゐなかつた。 Y子は、一寸泣きたさうな顔をしたが、やがて
太宰治
女人創造 太宰治 男と女は、ちがうものである。あたりまえではないか、と失笑し給うかも知れぬが、それでいながら、くるしくなると、わが身を女に置きかえて、さまざまの女のひとの心を推察してみたりしているのだから、あまり笑えまい。男と女はちがうものである。それこそ、馬と火鉢ほど、ちがう。思いにふける人たちは、これに気がつくこと、甚だおそい。私も、このごろ、気がついた
豊島与志雄
女人禁制 豊島与志雄 女人といっても、老幼美醜、さまざまであるが、とにかく、女性として関心のもてる程度の、年配と容貌とをそなえてる方々のことなのであって――。 一 汽車の寝台ではよく眠れないという人が、ずいぶんあるようだが、私はそれが腑におちない。充分に手足をのばせない憾みはあっても、縮こまっていた方がよくねつかれる道理で、しいて眠ろうとする時に人は大抵、布
太宰治
女人訓戒 太宰治 辰野隆先生の「仏蘭西文学の話」という本の中に次のような興味深い文章がある。 「千八百八十四年と云うのであるから、そんな古い事ではない。オオヴェルニュのクレエルモン・フェラン市にシブレエ博士と呼ぶ眼科の名医が居た。彼は独創的な研究によって人間の眼は獣類の眼と入れ替える事が容易で、且つ獣類の中でも豚の眼と兎の眼が最も人間の眼に近似している事を実
田中貢太郎
女仙 田中貢太郎 市ヶ谷の自証院の惣墓の中に、西応従徳と云う法名を彫った墓がある。それは西応房と云う道心坊主の墓で、墓の主の西応房は、素養などはすこしもなかったが、殊勝な念仏行者で、生涯人の悪を云わず、他人の罪を被せられても弁解せず、それで咎められる事でもあるとあやまり入り、それが後になって明白になっても、別に喜びもしないで、そうであったかなあと云ってすまし
坂口安吾
岡本は谷村夫妻の絵の先生であつた。元々素行のをさまらぬ人ではあつたが、年と共に放埒はつのる一方で、五十をすぎて狂態であつた。 谷村夫妻の結婚後、岡本は名声も衰へ生活的に谷村にたよることも多かつたので、金銭のこと、隠した女のこと、子供のこと、それまでは知らなかつたり、横から眺めてゐたにすぎないことを、内部に深く厭でも立入らねばならなかつた。 岡本は己れの生活苦
岡本綺堂
女侠伝 岡本綺堂 一 I君は語る。 秋の雨のそぼ降る日である。わたしはK君と、シナの杭州、かの西湖のほとりの楼外楼という飯館で、シナのひる飯を食い、シナの酒を飲んだ。のちに芥川龍之介氏の「支那游記」をよむと、同氏もここに画舫をつないで、槐の梧桐の下で西湖の水をながめながら、同じ飯館の老酒をすすり、生姜煮の鯉を食ったとしるされている。芥川氏の来たのは晩春の候で
牧野信一
文科大学生の戸田の神経衰弱症が日増に亢進してゐる模様だつたので、私は彼を百合子に紹介した。百合子は女子大に通つてゐたのだつたが、彼女の都会生活の風聞に関して、実家の人達が極度の寒心を覚えて反対するところから、通学を断念してゐた。そして、仏語の家庭教師を欲しがつてゐた。 あの閑静な田舎で、百合子の語学研究の相手でもしながら田園生活に親しんだら、間もなく戸田の病
田中貢太郎
明治二年七月八日発行の明治新聞と云うのに、浜田藩の淀藤十郎と云うのが、古著屋からであろう、蚊帳を買って来て、それを釣って寝たところで、その夜の半夜頃、枕頭へ女の姿があらわれた。それは白地に覇王樹のような型を置いた浴衣を著て、手に団扇を持っていた。淀は気のせいだろうと思ってそのままにしていたところで、その翌晩もまたその翌晩もやはり女の姿があらわれるので、友人に