女性週評
宮本百合子
女性週評 宮本百合子 大雷雨 大雷雨の空が夕焼のように赤らんでいるのを大変不思議に思いながら寝て、けさ新聞を見たら、落雷で丸之内の官衙が九つ灰燼に帰した出来ごとを知った。愛する東京よ、東京よ。何と自然の力の下に素朴な姿を横たえていることだろう。 青少年を護る 青少年工がこの頃の景気の中で、とかく誘惑に負け、その青春を蝕ばまれるのをふせぎ又指導するために、厚生
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宮本百合子
女性週評 宮本百合子 大雷雨 大雷雨の空が夕焼のように赤らんでいるのを大変不思議に思いながら寝て、けさ新聞を見たら、落雷で丸之内の官衙が九つ灰燼に帰した出来ごとを知った。愛する東京よ、東京よ。何と自然の力の下に素朴な姿を横たえていることだろう。 青少年を護る 青少年工がこの頃の景気の中で、とかく誘惑に負け、その青春を蝕ばまれるのをふせぎ又指導するために、厚生
田中貢太郎
ぼつぼつではあるが街路の左右に点いた街路照明の電燈の燈を見ると菊江はほっとした。菊江はこの数年来の不景気のために建物の塞がらない文化住宅の敷地の中を近路して来たところであった。 微曇のした空に月があって虫の音が一めんにきこえていた。街路には沙利を敷いてあった。菊江はその街路を右の方へ往った。その街路に面した方にも処どころ空地があって、建物が並んでいないうえに
田山花袋
男女の争闘のその一歩先にある創造的気分に達しなければ、女は男を理解したといふことは出来ないし、男も亦女を理解したといふことは出来ない。女に子供を生ませて、それで男の勝利だと思つてゐるとそれが却つて敗北の種子となつたりすることがある。これに限らず、何でもさういふ風に単に勝敗できめて了ふことは出来ないものであるが、男女の間柄は、中でも殊にさうであるやうな気がする
チェーホフアントン
ライブージ村の教会の真向うに、石を土台にした鉄板葺きの二階家がある。階下には、ヂューヂャというのが通り名の、この家の主人フィリップ・イーノフ・カーシンが家族と一緒に住んでいる。二階は、夏はひどく暑くて冬はひどく寒いが、旅の官吏や商人や地主達が来て泊る。ヂューヂャは土地を貸したり、街道の小料理屋を経営したり、タールや蜂蜜から、家畜、鵲まで商って、もう千八百ほど
折口信夫
一 女房歌合せ 数ある歌合せのうちに、時々、左の一の座其他に、女房とばかり名告つた読人が据ゑられてゐる。禁裡・仙洞などで催されたものなら、匿名の主は、代々の尊貴にわたらせられる事は言ふまでもない。公家・長上の家で興行せられた番の巻物なら、其処の亭主の君の作物なる事を示してゐるのである。此は、後鳥羽院にはじまつた事ではなかつた。かうした朗らかな戯れも、此発想競
宮本百合子
女の手帖 宮本百合子 共学 期待はずれた今度の内閣改造の中で僅かに生彩を保つのは安倍能成氏の文部大臣であるといわれる。朽木の屋台にたった一本、いくらかは精のある材木が加えられたところで、その大屋の傾くことを支え切れるものではない。腐れ屋台につがれた細い材木が共に倒れて裂かれないことを願うのは多くの人の心持である。 アメリカから教育に関する専門家たちが大勢来る
伊藤野枝
女教員の縊死と題して大阪朝日に記されてゐた事柄は、大阪市内の某校の女教師が母と一緒に暮してゐてそのうち養子を迎へたがどうしても仲よくすることが出来ずに争ひがたえなかったが或日も午後の七時頃から買物に出かけて十時頃かへつたがあまり外出の時間が長いと小言を云はれてそれから大げんかをしたが翌日またそのつゞきがあつて結局女は二階にあがつて縊死を遂たと云ふのだが実に下
津田梅子
女子教育上の意見としては別段に申上ることも御在ませんが、唯だ私が一昨年の春此の女子英學塾を開いてから以來、種々今日の女子即ち女學生に就て經驗した事がありますから、それを少し御話して大方の教を乞はんと欲するので御在ます。 私の塾は御存知の通り高等女學校卒業以上の程度の者を入學せしめるので、女子の普通教育はまづ終つたものと見なければなりません。年齡も十六七以上、
宮本百合子
数人の若い女のひとたちが円く座って喋っている。いろんな話の末、映画のことになって、ひとりの人に、あなたは誰がお好き? ときいた。そのひとは房々と長く美しく波うたせてある髪を瀟洒な鼠色スーツの肩で一寸揺って、さあ、と口ごもっている。きまりわるいのかしらと思って、私は自分からロゼエの名などあげて、あなたは? ともう一遍云ったら、そのひとはいかにも生活から遠くのこ
太宰治
女の決闘 太宰治 第一 一回十五枚ずつで、六回だけ、私がやってみることにします。こんなのは、どうだろうかと思っている。たとえば、ここに、鴎外の全集があります。勿論、よそから借りて来たものである。私には、蔵書なんて、ありやしない。私は、世の学問というものを軽蔑して居ります。たいてい、たかが知れている。ことに可笑しいのは、全く無学文盲の徒に限って、この世の学問に
徳田秋声
昨夜同伴が二人できて、栄子は或る日本ものゝ映画の試写を見に行きに、小森をも誘つた。その招待券の小森へも来たのは、つひ二三日前のことで、彼は栄子が工合のわるい体を悲観してゐるので、仕事が一つ片づいたところで、何うせ詰らないとは知りながら、舞踊好きな彼女を観劇に誘つて、それだけでも見ようとおもつて家を出たのであつたが、その間ぎわに其招待券を手にしたのであつた。
宮本百合子
どうもこれは大へん難しいおたずねだと思われますね。こういう質問を受けて、私が返答に困るのは、いってみれば、今のような世の中での生活は重荷がベタ押しで、取り出して見れば経済的な重荷、女として経験しつつある重荷、および作家として文学的に感じている責任から来る重荷、こういうようなものは普通のことですからね。 私なんかの生活の気分ではこれらの重荷を重荷として自分が押
宮本百合子
女流作家として私は何を求むるか 宮本百合子 なぜ女性の中から良い芸術家が生れないか、或いはそれが生れたにしてもなぜ完成の域にまで成長しないのか、その質疑に対して私は第一に女性教育の欠陥を挙げたいと思います。個性の上に温かいはぐくみを持たない今の教育は、綜合的な人間常識を授けるにとどまって、その人の持っている質の善悪にまで敷衍されていないからです。その点から一
杉田久女
女流俳句を味読す 杉田久女 本も沢山よまず何の学問もない私が、句評をするという事の僭越さは自分でもよく知っているが、之はただ私の勉強の為め、小倉の女流達の為め、何の理屈もなく味い感じ、学ぶ心持ちに他ならぬ。其点大方の寛恕を乞い私の味読のしかたに誤あらばドシドシ御教示仰ぎたい。 独楽もつて子等上がりくる落葉寺 立子 独楽二つぶつかり離れ落葉中 同 あばれ独
田山花袋
女に取つての温泉場――関東では伊香保が一番好いといふのは、昔からの定論であるらしかつた。果してさういふ風にあの湯が効目があるか何うか。それは知らないけれども、細君同伴で一まはりも湯治して来れば、屹度子供が出来るなどゝ言つたものであつた。兎に角あそこは女に取つて好い温泉場であるに相違なかつた。第一、行くのに便利であつた。上野から足、地を踏まずに行く事が出来た。
野口雨情
女王 野口雨情 何時、誰が創つたのか、村にはずつと古くから次々に伝へられてゐる歌詞がありました。村の母親達はそれをねんねこ歌のやうにして小さな子供たちに歌つてきかせてゐるのでした。 トムちやんのお母さまが学校に勤めるやうになつてから、それを作曲して学校の児童達に歌はせるやうにしました。歌は「愛の歌」と名づけられました。今ではその歌がだんだんに伝へられて、この
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかし むかしのことです。ふたりの王子が、ぼうけんのたびに でかけました。 ところが、王子たちは、すきかってなくらしを はじめてしまって、家へかえろうとはしませんでした。 そこで、おばかさん という名前の、いちばん下のおとうとが、兄さんたちをさがしにでかけました。おばかさんは、やっとのことで 兄さんたちをみつけました。 ところが、兄さんたちは、おとうとをばか
マクラウドフィオナ
ミストの島スケエの城の高い壁のかげに二人の男が縛られて倒れていた。 一人は「はげ」と綽名されたウルリック、一人は琴手コンラであった。多くの櫓船が海峡に沈んだ時、ゲエルもゴールも血に赤い波に沈んで、ただこの二人だけが生き残った。 長いあいだ二人は波の上に一本の同じ檣の上に揺られていた――それは「長髪」と綽名されたスヴェンが一艘ごとに二十人を乗り組ました櫓船二十
マクラウドフィオナ
強い女王スカァアが剣持つ手の掌に死の影を握って支配していたスカイの島をクウフリンが立ち去った時、そこには彼の美を惜しむなげきがあった。クウフリンはアルスタアの王コノール・マック・ネサの招きに依ってアイルランドに帰ったのであった。そのときレッドブランチの党派は血に浸っていた。予言する人たちの眼には恐しい事が起って拡がって行くのが見えていた。 クウフリンは年齢か
太宰治
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか
島崎藤村
ある女の生涯 島崎藤村 おげんはぐっすり寝て、朝の四時頃には自分の娘や小さな甥なぞの側に眼をさました。慣れない床、慣れない枕、慣れない蚊帳の内で、そんなに前後も知らずに深く眠られたというだけでも、おげんに取ってはめずらしかった。気の置けないものばかり――娘のお新に、婆やに、九つになる小さな甥まで入れると、都合四人も同じ蚊帳の内に枕を並べて寝たこともめずらしか
南部修太郎
女盗 女盗 南部修太郎 女は黒い、小型の旅行鞄をさげた赤帽のあとから、空氣草履の足擦り靜に車内へはいつて來た。黒絹の手袋した右手に金金具、茶なめし皮のオペラパツクを、左手に派手な透模樣のパラソルを、そして、金紗づくめのけばけばしい着附、束髪に厚化粧、三十三四と見える年頃が、停車中の車内のむしむした、變にダルな空氣をぱつと引き立たせるに十分だつた。車窓には梅雨
内藤湖南
女眞種族の同源傳説 内藤湖南 滿洲の各種族の中で、古くは金國を形作り、後には清朝を出した所の女眞族は、或説には既に唐の初頃から現れて居ると云ひ、或説には五代に始めて知れたとも云はれてゐる。要するに其の種族の事情が分明になるやうになつたのは、契丹との接觸から起つたのであつて、契丹即ち遼の時代には、女眞種族を大體三通りに分けてあつた。一つは生女眞、一つは熟女眞で
太宰治
女神 太宰治 れいの、璽光尊とかいうひとの騒ぎの、すこし前に、あれとやや似た事件が、私の身辺に於いても起った。 私は故郷の津軽で、約一年三箇月間、所謂疎開生活をして、そうして昨年の十一月に、また東京へ舞い戻って来て、久し振りで東京のさまざまの知人たちと旧交をあたためる事を得たわけであるが、細田氏の突然の来訪は、その中でも最も印象の深いものであった。 細田氏は