“子供の本”について
宮本百合子
“子供の本”について 宮本百合子 子供の本を買いに行って、いつも当惑する一つのことがある。それは、どの本も一つの頁へあんまりどっさりの内容をつめこもうとして、絵でも実にこせついていて、子供らしい感覚の伸びやかさが無視されていることである。 うちの小さい甥は、フクチャンに絶大の親愛を傾けている。けれどもフクチャンの絵本はどうにも買ってやろうという気がしない。一
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宮本百合子
“子供の本”について 宮本百合子 子供の本を買いに行って、いつも当惑する一つのことがある。それは、どの本も一つの頁へあんまりどっさりの内容をつめこもうとして、絵でも実にこせついていて、子供らしい感覚の伸びやかさが無視されていることである。 うちの小さい甥は、フクチャンに絶大の親愛を傾けている。けれどもフクチャンの絵本はどうにも買ってやろうという気がしない。一
小川未明
弱い者は、常に強い者に苛められて来た。婦人がそうであり、子供がそうであり、無産者がそうであった。 諺に言う「手の下の罪人」とは、ちょうどかかる類を指すのであろう。婦人は、暴力に於て男子の敵ではなかった。貧乏人は金持ちの前に頭が上がらなかった。小作人は到底地主を屈伏することができなかった。 しかし、時勢は、推移した。今や、婦人は平等の権利を主張し、無産階級の解
片山広子
子供の言葉 片山廣子 五月五日「こどもの日」の新聞に「子供からドロ棒へ」といふ文が出てゐた。 「このごろぼく達の学級会でとり上げた問題ですが、いくら討議しても先生にお願いしてもムダなので、世の中の人、特にドロ棒する人に訴へたいと思ひます、それは最近一ヶ月ぐらいの間にぼく達の学校のプールの廻りの排水ミゾの鉄フタが全部の三分の一ぐらい盗まれました、このままでは夏
小川未明
最近小さな子供の行状などを見ていると胸をうたれる。いいかえれば時代を反映して悪がしこくなり、今までの子供らしさを失っているものが多い。 子供は純情と一口でいうけれど、それは畢竟どうにでも感化されるという意味に他ならぬ。ただ子供は大人とちがって、鋭い叡智をもっている、それは未だくもりなき心に自然がありのまま映るからである。 戦争中はいかなる言葉をもって子供たち
小川未明
九月一日の大地震のために、東京・横浜、この二つの大きな都市をはじめ、関東一帯の建物は、あるいは壊れたり、あるいは焼けたりしてしまいました。そして、たくさんな人間が死にましたことは、もうみんなの知っていることだと思います。いままで動いていた汽車はトンネルやレールが破壊したために、もう往来ができなくなりました。また、毎晩華やかな街を照らしていた電燈は、装置が壊れ
野口雨情
ある日、つね子さんが、いつものやうにお庭へ出て、 兎来い 兎来い 赤い草履買つてやろ 兎来い 兎来い 赤い簪買つてやろ 兎来い 兎来い ぴよんこぴよんこはねて来い と、『兎来いの唄』をうたつて遊んでをりますと、 『今日は、今日は』と云つて一疋の子兎が来ました。 『まア お前は子兎ね』とつね子さんが云ひますと、 『さうです。わたしは子兎ですよ。あなたのお唄が聞
槙村浩
或所に一人のおどり子がありました。大へんおどる事が上手でした。或日お父さんに向って「お父さん、私はこれから月世界をまはって来たいと思ひます、どうかやって下さい」と云ひますとお父さんは「よし/\では行ってこい」といひます、おどり子は大さう喜んで「では行って参ります」と北をさして出かけました。だん/\行きますと、にぎやかな都へ来ました。田舎育ちのおどり子はこの有
豊島与志雄
子を奪う 豊島与志雄 兎に角、母が一人で行ってくれたのが、彼には嬉しかった。普通なら、いつも間にはいって面倒をみてる伯父が、当然その役目をすべきだが、「女は女同志の方が話がしよいから、」と幾代は主張した。そして伯父を同伴することさえ拒んだ。「では行ってきますよ、」と彼女は云いながら、重大な用件で小石川の奥から三田まで俥を走らせるのに、宛も日常の用足しででもあ
チェーホフアントン
夜、子守子のバルカは、きゝとれないくらゐの、ひくいこゑで、子守歌をうたひながら、赤ん坊のねてゐるゆり籠をゆすぶつてゐました。 「ねん/\よう。 ねん/\よう。」 神だなの前には、ランプが緑いろにともつてゐます。壁から壁へ、細いひもがかけわたしてあつて、赤ん坊の着物や、大きなズボンなどが、うす黒くぶらさがつてゐます。ランプのつるしてあるま上の天井が、まるく、大
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
西部フリースランド(オランダ)にあるフラネッケルという名まえの小都会で、五歳か六歳ぐらいの女の子と男の子、まあそういったような齢のいかない子どもたちが遊んでいました。 やがて、子どもたちは役わりをきめて、一人の男の子に、おまえは牛や豚をつぶす人だよと言い、もう一人の男の子には、おまえはお料理番だよと言い、またもう一人の男の子には、おまえは豚だよと言いました。
岸田国士
内村直也の名は、いまや天下の知るところで、私の序文はこの書物になにものも附け足すことにはならぬが、需められるまゝに、「えり子とともに」の作者について、私の観るところを少し語ることにしよう。 劇作家内村直也が舞台戯曲においてその才能を示すと同時に、ラヂオ・ドラマにおいて独自の領域を開拓し、専門的にみて、ほとんどその第一人者と目されるに至つたことは、偶然のやうで
宮本百合子
子に愛人の出来た場合 宮本百合子 一口に片づけ切れない複雑な問題と思います。双方が総ての意味で真面目である場合とすれば、 一、現今のように、何か異状な出来事の如く感ぜず冷静に、深い愛を以って、愛人達の生活のよき発展を助けること、相手がよいわるい、適不適と云うことは当事者達の生活経験によらなければ云えないことと心得ること。 二、どこまでも正直に。強く、公平を失
永井隆
うとうとしていたら、いつの間に遊びから帰ってきたのか、カヤノが冷たいほほを私のほほにくっつけ、しばらくしてから、 「ああ、……お父さんのにおい……」 と言った。 この子を残して――この世をやがて私は去らねばならぬのか! 母のにおいを忘れたゆえ、せめて父のにおいなりとも、と恋しがり、私の眠りを見定めてこっそり近寄るおさな心のいじらしさ。戦の火に母を奪われ、父の
小川未明
毎朝きまって、二羽のうぐいすが庭へやってきました。 「お母さん、きょうもまた、うぐいすがきましたよ。」 正ちゃんは、ガラス戸から、こちらをのぞいていいました。 「餌をさがしにくるのです。」と、お母さんは、おっしゃいました。 「母うぐいすと、子うぐいすですね。」 「きっとそうでしょう。お山で生まれた子供をつれて、冬になったから里へきたのです。」 「かわいいな。
小川未明
ある日、かりゅうどが山へいくと、子ざるが木の実を拾ってたべていました。もうじきに冬がくるので、木の葉は紅く色づいて、いろいろの小鳥たちが、チッ、チッ、といって鳴いていました。 かりゅうどは、子ざるを見つけると、足音をたてぬように、近寄りました。 「はてな、子ざるひとりとみえるな。親ざるはどうしたろう?」 あたりを見まわしたけれど、母ざるの姿が見えませんでした
寺田寅彦
子猫 寺田寅彦 これまでかつて猫というもののいた事のない私の家庭に、去年の夏はじめ偶然の機会から急に二匹の猫がはいって来て、それが私の家族の日常生活の上にかなりに鮮明な存在の影を映しはじめた。それは単に小さな子供らの愛撫もしくは玩弄の目的物ができたというばかりでなく、私自身の内部生活にもなんらかのかすかな光のようなものを投げ込んだように思われた。 このような
片山広子
「子猫ノハナシ」 片山廣子 明治の末頃、田辺和気子といふ有名なお茶の先生があつた。その田辺先生に私は二年ぐらゐお茶を教へていただいた。先生はお花も教へてをられ、金曜日には先生のあまり広くないお宅は花屋から持ちこむお花で、お座敷も椽側もいつぱいになつた。お流儀花の池の坊であつたが、ほんとうはお茶のついでに教へられたので、まづお嫁入り前のお稽古花のやうであつた。
新美南吉
子どものすきな神さま 新美南吉 子どものすきな小さい神さまがありました。いつもは森の中で、歌をうたったり笛をふいたりして、小鳥やけものと遊んでいましたが、ときどき人のすんでいる村へ出てきて、すきな子どもたちと遊ぶのでした。 けれどこの神さまは、いちどもすがたをみせたことがないので、子どもたちにはちっともわかりませんでした。 雪がどっさりふったつぎの朝、子ども
宮原晃一郎
子良の昇天 宮原晃一郎 一 むかし三保松原に伯良といふ漁夫がゐました。松原によく天人が遊びに降りてくるのを見て、或日その一人の天の羽衣を脱いであつたのをそつと隠しました。天人は天に上る飛行機の用をする羽衣をとられて、仕方なく、地上に止まつて伯良のおかみさんになりました。此天人が生んだ子は男で子良といふ名でした。 天人は天に住まうものですから、此地上にゐては外
高浜虚子
松山城の北に練兵場がある。ある夏の夕其処へ行って当時中学生であった余らがバッチングを遣っていると、其処へぞろぞろと東京がえりの四、六人の書生が遣って来た。余らも裾を短くし腰に手拭をはさんで一ぱし書生さんの積りでいたのであったが、その人々は本場仕込みのツンツルテンで脛の露出し具合もいなせなり腰にはさんだ手拭も赤い色のにじんだタオルなどであることがまず人目を欹た
夏目漱石
子規の畫 夏目漱石 余は子規の描いた畫をたつた一枚持つてゐる。亡友の記念だと思つて長い間それを袋の中に入れて仕舞つて置いた。年數の經つに伴れて、ある時は丸で袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かつた。近頃不圖思ひ出して、あゝして置いては轉宅の際などに何處へ散逸するかも知れないから、今のうちに表具屋へ遣つて懸物にでも仕立てさせやうと云ふ氣が起つた。澁紙の袋を引き出
夏目漱石
余は子規の描いた画をたった一枚持っている。亡友の記念だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。年数の経つに伴れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。近頃ふと思い出して、ああしておいては転宅の際などにどこへ散逸するかも知れないから、今のうちに表具屋へやって懸物にでも仕立てさせようと云う気が起った。渋紙の袋を引き出して塵を払いて中を
寺田寅彦
子規の自筆を二つ持っている。その一つは端書で「今朝ハ失敬、今日午後四時頃夏目来訪只今(九時)帰申候。寓所ハ牛込矢来町三番地字中ノ丸丙六〇号」とある。片仮名は三字だけである。「四時頃」の三字はあとから行の右側へ書き入れになっている。表面には「駒込西片町十番地いノ十六 寺田寅彦殿 上根岸八十二 正岡常規」とあり、消印は「武蔵東京下谷 卅三年七月二十四日イ便」とな
寺田寅彦
自然科学に関する話題にも子規はかなりの興味を有って居たように思われる。当時自分は訪問してそういう方面のどんな話をしていたかは思い出せないが、ただ一つ覚えていることがある。ある時颱風の話からそのエネルギーの莫大なこと、それをどうにかして人間に有益なように利用するようにしたいというようなことを話したら、大変にそれを面白がった。暴風の害を避けようというのでなくて積