Vol. 2May 2026

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Showing 7,632 of 14,981 titles

必要以上のもの

豊島与志雄

必要以上のもの 豊島与志雄 先年、B君が突然死んだ。夜遅く、ひどく酒に酔って帰ってきて、風呂にはいり、そして寝たのであるが、翌日、十一時頃まで起き出さないので、女中がいってみると、もう冷たくなっていたのだった。その死因に、怪しい点があった。彼は軽い心臓弁膜症にかかっていた。また平素不眠になやんでいて、医者の処法の催眠剤を用いていた。なお大酒の癖が頻繁になって

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忌々しき「死」の大君は

ダンテアリギエリ

忌々しき「死」の大君は慈悲の敵なり、 昔より悲の母、 かたくなに、言向けがたき司かな。 われも心に「憂愁」の種を播かれぬ、 いざさらば憂ひて已まじ この舌の君さいなみに倦みぬとも。 われ今ここに君が身をつゆばかりだに 慈悲無しと思ふものから、 まがごとの大凶事と、君が罪 鳴して責めむ。世の人も知らぬにはあらず、 しかすがになほ憤り、 けふよりぞ「愛」の惠に歸

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志士と経済

服部之総

幕末に取材する大衆文芸は一部志士文芸(?)でもあるが、志士活動の基底にどんな社会経済が横たわっているのかはっきりしないものが多い。股旅物、三尺物の主人公が何で食っているかはいかにもはっきりしているが一歩すすんで、彼らの生活の物質的な地盤となっている社会経済――いわゆる旦那衆を構成する特定社会層の本質となると描かれていることがもう稀だ。筋の波瀾と離合のからくり

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志賀直哉に文学の問題はない

坂口安吾

志賀直哉に文学の問題はない 坂口安吾 太宰、織田が志賀直哉に憤死した、という俗説の一つ二つが現われたところで、異とするに足らない。一国一城のアルジがタムロする文壇の論説が一二の定型に統制されたら、その方が珍であろう。奇説怪説、雲の如くまき起り、夜鴉文士や蝮論客のたぐいを毒殺憤死せしめる怪力がこもれば結構である。 人間にたいがいの事が可能でありうるように、人間

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志野焼の価値

北大路魯山人

古伊賀、古志野は日本の生んだ純日本的作風を有することが先ず第一の権威に価いする。そうしてこれらの真価は、三、四百年前、すでに識者の重きを加えるところとなって、爾来今日までその声価は重加こそすれ、少しも軽くはなっていない。言わば間違いも勘違いもなく、陶器中の名品たることを保証されているので、その価格も、中国名産の万暦赤絵や祥瑞、古染付などの上座を占めているので

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忘れもの

原民喜

ポストのところまで歩いて行くと、彼はポケットから手紙を取出した。そして何だか変だとは思ひながら、ポストの口へ入れて行ったが、指を離した瞬間、はっと気がついて顔を歪めた。切手がまだ貼ってなかったのだ。馬鹿。あの手紙を受取る里の親達は嘸、馬鹿と彼のことを云ふだらう。結婚して半年、まだ職に就けない彼なのだ。そして今日も職のことで先輩を訪はねばならない日だった。焦々

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忘れがたみ

原民喜

大学病院の方へ行く坂を登りながら、秋空に引かれた白い線に似た雲を見ていた。こんな面白い雲があるのかと、はじめて見る奇妙な雲について私は早速帰ったら妻に話すつもりで……しかし、その妻はもう家にも病院にも居なかった。去年のこの頃、よくこの坂を登りながら入院中の妻に逢いに行った。その頃と変って今では病院の壁も黒く迷彩が施されてはいるが、その方へ行くとやはり懐しいも

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忘れえぬ人々

国木田独歩

忘れえぬ人々 国木田独歩 多摩川の二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中ほどに亀屋という旅人宿がある。ちょうど三月の初めのころであった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしいこの町が一段と物さびしい陰鬱な寒そうな光景を呈していた。昨日降った雪がまだ残っていて高低定まらぬ茅屋根の南の軒先からは雨滴が風に吹かれて舞うて落

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忘恩

田中貢太郎

忘恩 田中貢太郎 土佐の侍で大塚と云う者があった。格はお馬廻り位であったらしいがたしかなことは判らない。その大塚は至って殺生好きで、狩猟期になると何時も銃を肩にして出かけて往った。 某日それは晴れた秋の午後であった。雑木の紅葉した山裾を廻って唯ある谷へ往った。薩摩藷などを植えた切畑が谷の入口に見えていた。大塚はその山畑の間の小径を通って、色づいた雑木に夕陽の

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忘れられたる感情

小川未明

もはや記憶から、消えてしまった子供の時分の感情がある。また、或時分に、ある事件によって、自分の心を占領したことのあった、忘れられた感覚がある。また、偶然にふら/\と頭の中に顔を出して、はっと思ってその気分を意識しようとする刹那には、もう、其の顔が隠れてしまって、たゞ、単調な連続的の感情に頭が占領せられているのを意識するばかりである。 これを要するに、たゞ、吾

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忘春詩集 01 『忘春詩集』に

佐藤春夫

今朝、室生君からの手紙を枕頭に受け取つて、まだ起きもせずに開いて見ると、忘春詩集に序を書けといふのである。読みながら第一に私が思ひ浮べたことは或る会話である。それはつい一週間も前に私を訪ねた或る人と私とが取交したものである。―― 「この間、室生氏のところへ行つて、悪い嗜みだとは思つたが直接にあの人の詩をほめたら、僕の詩をほめるのはお前の小説には感心出来ないと

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忘れ難きことども

松井須磨子

忘れ難きことども 松井須磨子 先生のことを思ひますと、唯私は悲しくなります。先生は、随分苦労をなさいました。ほつと呼吸をつく間もない位に、殆んど苦労のし通しでした。それを残らず傍にゐて見知つてゐるだけに、皆私には忘れられないことばかりです。 先生は、ずつと以前から、私達一座を率ゐて西洋へ行つて見たいと云ふお考へを持つてゐらつしやいました。はなは、大連から露西

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忘れえぬ風景

島木健作

日本の自然のうち、とくに自分の好きな風景などといふものはない。私は各地の名勝を何ほども探つてはゐないので、出題にたいして何かいふ資格すら持たぬものであるが、たとへ今後さういふ機会が多くあつたとしてもとくにとりたてて好きといへる自然の風光をあげうるかどうか疑問である。私の今までのわづかばかりの経験から推してさういへる。世間に著名な、海や山や河や、ただそれだけで

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忙ノ説

成島柳北

上子性甚ダ閑ヲ好ム。而シテ一歳ノ中閑ヲ得ルノ日ハ稀ニシテ毎ニ忙ニ苦シム。窃カニ謂フ新年ハ少シク閑ヲ貪リ以テ自カラ慰セント。然ルニ一日ヨリ今日ニ至ル迄一日ノ閑無ク一刻ノ閑無ク困却極レリ。家ニ在レバ故交新知来タリテ応接暇無ク、社ニ出レバ論士説客来タリテ送迎ニ労ス。之ヲ謝セントスレバ無礼不敬ヲ以テ譴責サレンヲ恐ル。之ヲ謝セザレバ新聞ノ手伝ヲ為シ火之元ヲ見廻ハル能ハ

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応仁の乱に就て

内藤湖南

私は應仁の亂に就て申上げることになつて居りますが、私がこんな事をお話するのは一體他流試合と申すもので、一寸も私の專門に關係のないことであります、が大分若い時に本を何といふことなしに無暗に讀んだ時分に、いろいろ此時代のものを讀んだ事がありますので、それを思ひ出して少しばかり申上げることに致しました。それももう少し調べてお話するといゝのですが、一寸も調べる時間が

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応挙と其の時代が好き

上村松園

応挙と其の時代が好き 上村松園 別に取り立てて感想もありませぬが、私は応挙と其の時代に憧憬を持つて居るものです。あの落着いた立派な作風、あのガツシリと完成した描法など真に好いと思ひます。今の様に忙しくては到底大作などは出来ませぬが、あの時代の画家は実にのんびりと制作に従つて居て心行くまで研究を積まれたものと思はれます。慥か今から三十年も前の話でありますが、如

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忠五郎のはなし

小泉八雲

昔、江戸小石川に鈴木と云う旗本があって、屋敷は江戸川の岸、中の橋に近い所にあった。この鈴木の家来に忠五郎と云う足軽がいた。容貌の立派な、大層愛想のいい、怜悧な若者で、同僚の受けも甚だよかった。 忠五郎は鈴木に仕えてから数年になるが、何等非難の打ち所のない程身持もよかった。しかし遂に外の足軽は、忠五郎が毎夜、庭から抜け出して明方少し前までいつもうちにいない事を

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忠告

富永太郎

思想の重圧のために眠りがたい躰には、起つてロココ風の肘掛椅子に腰を下ろすことが必要である。そして膝を組んで、壁の薄浮彫の淡いニユアンスを眺めながら、細巻のシガレツトを一本ふかすうちには、どんな重苦しい思想の悪夢でも退散させることができるものである。 しかし、もしあなたがたを圧し付けて眠を妨げるものが鈍重な「思想」ではなくて、あの悪意にみちた「悔恨」であつた夜

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忠義な犬

楠山正雄

忠義な犬 楠山正雄 一 むかし陸奥国に、一人のりょうしがありました。毎日犬を連れて山の中に入って、猪や鹿を追い出しては、犬にかませて捕って来て、その皮をはいだり、肉を切って売ったりして、朝晩の暮らしを立てていました。 ある日りょうしはいつものように犬を連れて山に行きましたが、どういうものか、その日は獲物が一向にありません。そこで心をいらだたせながら、ついうか

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忠義者のヨハネス

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

むかし、あるところに、年よりの王さまがおりました。王さまは病気で、もう、この寝床が、どうやらじぶんの臨終の床になるらしい、と思っていました。 そこで王さまは、 「忠義者のヨハネスをよんでまいれ。」 と、おそばのものにいいつけました。 忠義者のヨハネスというのは、王さまのいちばんお気にいりの家来でした。この男は、一生のあいだ、ずっと王さまに忠義をつくしてつかえ

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念仏の家

小寺菊子

私の家の祖先は、越中の国水橋といふ小さな漁村の生れであつた。 「有磯の海」といふのである。枕の草紙に、「渡りはしかすがの渡、こりずまの渡、みづはしの渡」とある。その水橋である。文治二年正月末、源義経主従十七人が山伏の姿となつて奥州へ落去の途次、京都堀川を忍び出て、越前に入り、安宅の関をすぎ、倶利伽羅峠をこえて、越中に入り、水橋川を渡つた――といふ史話がある。

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念仏と生活

倉田百三

* 私の信仰を言いますと、念仏申さるるように生きるという一語に尽きる。法然上人も、この世を渡るには念仏申さるるように生きよと仰せられた。念仏者のイデオロギーは念仏がとなえられるように生きて行くということである。そのきめ方は色々あるであろう。倫理的な生き方もあり、国のためになるように生活原理を立てることもあろう。共産主義者ならば労働者のために役立つように生きて

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念珠集

斎藤茂吉

念珠集 斎藤茂吉 1 八十吉 僕は維也納の教室を引上げ、笈を負うて二たび目差すバヴアリアの首府民顕に行つた。そこで何や彼や未だ苦労の多かつたときに、故郷の山形県金瓶村で僕の父が歿した。真夏の暑い日ざかりに畑の雑草を取つてゐて、それから発熱してつひに歿した。それは大正十二年七月すゑで、日本の関東に大地震のおこる約一ヶ月ばかり前のことである。 僕は父の歿したこと

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ちょうと怒濤

小川未明

美しいちょうがありました。 だれがいうとなく、この野原の中から、あまり遠方へゆかないがいい。ゆくと花がない、ということをききましたから、ちょうは、その野原の中を飛びまわっていました。 しかし、その野原は広うございましたので、毎日遊ぶのに、不自由を感じませんでした。自分ばかりでない、たくさんのほかのこちょうもいました。また、みつばちもいましたから、さびしいこと

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