Vol. 2May 2026

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「我等の劇場」緒言

岸田国士

此の一巻は、私が文筆生活を始めてから今日まで略二年間に亘つて、いろいろな機会に発表した断片的評論又は感想のうち、演劇に関する文章を一纏めにして出来たものである。 最初の「演劇一般講話」と題する一文は、菊池寛氏の主宰する文芸講座の為めに特に「演劇論」といふ標題で執筆したものであつて、これは、厳密な意味に於ける研究発表ではなく、従つて、学界に向つてその価値を問は

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我等の春

今野大力

春の丘を超えて歩んで来た息子の母は 慈愛にみち 春の大地のように ふくふくとめぐみにみちていた。 母よ あなたは歩んで来た 夏を超えて 秋を踏んで 冬の野をふみこえて 春の丘へ辿って来たあなた その時だけはさすがに幸福そうだった そして あなたは息子を生んで又歩き出した。 母よ あなたはもう昔のように 幸福の花を路傍に見ることは得ない 今日もあなたは歩いてい

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アメリカ我観

宮本百合子

アメリカ我観 宮本百合子 アメリカというところがなかなか興味ありそうに思われます。しかし私としては非常に、わずかのことしか知っていませんので、至極ぼんやりと、一九二九年以後アメリカの繁栄が蒙った変化につれて変化した文学、次第に成長し、ヨーロッパの良質な人をどんどんうけ入れてニュアンスを深めて来る「アメリカの明るさ」がどんな文化を生み出してゆくか、精神のゆとり

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我邦感傷主義寸感

中原中也

此の間京都の農林学校の生徒が三十名、満蒙視察に出掛けました。帰つて来て、彼等の身体検査をしてみますと、そのうち二十名がイヤな病気に冒されてゐました。 そのうち五名は非常に重く、学校をも欠席してゐました。 何か処方せんけれあならんと思つたかした校長は、その五名を放校に、他の十五名を謹慎処分といふことにしました。 怒つたのはその五名の父兄で、病気の軽重で処分の軽

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我鬼

坂口安吾

我鬼 坂口安吾 秀吉は意志で弱点を抑へてゐた、その自制は上り目の時には楽しい遊戯である。盛運の秀吉は金持喧嘩せず、心気悠揚として作意すらも意識せられず、長所だけで出来あがつた自分自身のやうであつた。彼は短気であつたが、あべこべに腹が立たなくなり、馬鹿にされ、踏みつけられ、裏切られ、それでも平気で、つまり実質的な自信があつた。家康に卑屈なほどのお世辞を使ひ、北

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或る一世の話

中谷宇吉郎

アメリカでは社會保障制度が、なかなか巧く行っている。ほとんどどんな職業についていても、六十五歳以上になって引退すると、死ぬまで毎月七十ドルないし百ドルくらいの年金が貰える。その時十八歳未滿の扶養者があると、一人につき三分の一だったか附加される。また細君が六十五歳を越すと、三分の二くらい増額になる。要するに國民の全部に恩給がつく制度になっている。 もっとも政府

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或る五月の朝の話

牧野信一

「シン! シン!」 夢の中で彼は、さう自分の名前を呼ばれてゐるのに気づいたが、と同時にギュツと頬ツぺたをつねりあげられたので、思はずぎよツとして眼を見開いた。――Fが酷い仏頂面をして彼を睨んでゐた。彼は、縁側の椅子に凭れてうたゝ寝をしてゐたのだ。 「失礼だ!」とFは叫んだ。「私はもう横浜へ帰る/\。」 「Fはあまり短気すぎるよ。」 彼は、一寸具合が悪かつたの

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或る作家の厄日

豊島与志雄

或る作家の厄日 豊島与志雄 準備は出来た。彼女が来るのを待つばかりだ。御馳走が少し足りないようだが、この場合、いろんな物をごてごて並べ立てるのも、却ってさもしい。万事すっきりと、趣味を守ることだ。腹にたまるようなものは避けたがよい。肉類はだいたい下品だ。もし腹がへったら、白いパンにキャビア……パンは白いにきまってる筈だが、その白いパンがなかなか手にはいらない

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或る別れ

北尾亀男

父 娘      人妻 隣家の人々  主人、男の子、主人の老母 葬儀人夫甲乙 山の手の或る公園 大正大地震の翌春――花時には稀な晴れた日の午前。正面と下手にバラック。その間は細い路次で、奥深いバラック長家の心。正面のは入口が路次に面していて、(見物には)明りとりの小さな窓のあるはめ板が見えるだけで、下手のよりもやや奥まっている。窓には障子がはめてあり、その下

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或る国のこよみ

片山広子

或る国のこよみ 片山廣子 はじめに生れたのは歓びの霊である、この新しい年をよろこべ! 一月  霊はまだ目がさめぬ 二月  虹を織る 三月  雨のなかに微笑する 四月  白と緑の衣を着る 五月  世界の青春 六月  壮厳 七月  二つの世界にゐる 八月  色彩 九月  美を夢みる 十月  溜息する 十一月 おとろへる 十二月 眠る ケルトの古い言ひつたへかもし

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或売笑婦の話

徳田秋声

この話を残して行つた男は、今どこにゐるか行方もしれない。しる必要もない。彼は正直な職人であつたが、成績の好い上等兵として兵営生活から解放されて後、町の料理屋から、或は遊廓から時に附馬を引いて来たりした。これは早朝、そんな場合の金を少しばかり持つて行つた或日の晩、縁日の植木などをもつて来て、勝手の方で東京の職人らしい感傷的な気分で話した一売笑婦の身の上である。

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或外国の公園で

堀辰雄

「……伊太利は好い效果を與へてくれましたけれど、こんどは私には北方が、空間が、風が必要になつたやうな氣がいたします……」と、一九〇四年四月二十九日、當時羅馬に滯在してキエルケゴオル、ヤコブセン等の作品を好んで讀んでゐたライネル・マリア・リルケはそのスカンヂナヴィア在住の女友達エレン・ケイに宛てて書いてゐる。エレン・ケイはルウ・アンドレアス・サロメ等と共にリル

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或夜

永井荷風

季子は省線市川驛の待合所に入つて腰掛に腰をかけた。然し東京へも、どこへも、行かうといふ譯ではない。公園のベンチや路傍の石にでも腰をかけるのと同じやうに、唯ぼんやりと、しばらくの間腰をかけてゐやうといふのである。 改札口の高い壁の上に裝置してある時計には故障と書いた貼紙がしてあるので、時間はわからないが、出入の人の混雜も日の暮ほど烈しくはないので、夜もかれこれ

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或夜

永井荷風

季子は省線市川駅の待合所に入って腰掛に腰をかけた。しかし東京へも、どこへも、行こうという訳ではない。公園のベンチや路傍の石にでも腰をかけるのと同じように、ただぼんやりと、しばらくの間腰をかけていようというのである。 改札口の高い壁の上に装置してある時計には故障と書いた貼紙がしてあるので、時間はわからないが、出入の人の混雑も日の暮ほど烈しくはないので、夜もかれ

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或る夜の武田麟太郎

豊島与志雄

その昔、といっても日華事変前頃まで、所謂土手の小林は、吾々市井の酒飲みにとって、楽しい場所だった。 この家は終夜営業していた。この点では品川の三徳と双璧だが、三徳の方は深夜になると戸を閉めるのに反し、小林の方は夜通し表戸を開け放しなのである。いくら顔馴染みだからといって、表戸が閉ってるのと開いてるのとでは、大いに違う。開け放してあれば、ぬーっと、或はのっそり

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「或る女」についてのノート

宮本百合子

「或る女」についてのノート 宮本百合子 有島武郎の作品の中でも最も長い「或る女」は既に知られている通り、始めは一九一一年、作者が三十四歳で札幌の独立教会から脱退し、従来の交遊関係からさまざまの眼をもって生活を批判された年に執筆されている。 「或る女のグリンプス」という題で『白樺』に二年にわたって発表されたらしい。私共がそれを読んだのはそれから足かけ七年後、作

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或る女

林芙美子

或る女 林芙美子 何時ものやうに歸つて來ると、跫音をしのばせて梯子段へ足さぐりで行つたが、梯子段の下の暗がりで、良人の堂助が矢庭に懷中電燈をとぼした。たか子はぎくつとして小さい叫び聲を擧げた。 「何さ‥‥まだ、あなた、起きていらつしたの?」 「寢てればよかつたのかい?」 「厭アな方ねえ、一寸遲くなるとこれなンですもの‥‥あなたのお時計、いま幾時なンですの?」

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或る女の手記

豊島与志雄

或る女の手記 豊島与志雄 私はそのお寺が好きだった。 重々しい御門の中は、すぐに広い庭になっていて、植込の木立に日の光りを遮られてるせいか、地面は一面に苔生していた。その庭の中に、楓の木が二列に立ち並んで、御門から真直に広い道を拵えていた。道の真中は石畳になっていて、それが奥の築山と大きな何かの石碑とに行き当ると、俄に左へ折れて、本堂へ通じているらしかった。

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或る嬰児殺しの動機

佐左木俊郎

或る嬰児殺しの動機 佐左木俊郎 1 都会は四つの段階をもって発達し膨張するのを常とする。海港の街は、まずその触手を海岸へ、海岸の空地へと伸ばしていく。田舎の小さな町でさえ、そこに一本の河川が流れていると、河岸へ河岸へと水に向けて広がっていく。そして、水際に猫の額ほどの空地もなくなると、第二段階としてその郊外に向けて農耕地域の上に触角を伸ばしていくのだ。その機

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或る心持よい夕方

宮本百合子

或る心持よい夕方 宮本百合子 或る心持のよい夕方、日比谷公園の樹の繁みの間で、若葉楓の梢を眺めていたら、どこからともなくラジオの声が流れて来た。職業紹介であった。 ずっと歩いて行って見たら、空地に向った高いところに、満州国からの貴賓を迎えるため赤や緑で装飾された拡声機が据えつけてあって、そこから「年齢十六歳前後、住む込みで月給七円、住みこみで月給七円」と夕空

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或る忠告

太宰治

或る忠告 太宰治 「その作家の日常の生活が、そのまま作品にもあらわれて居ります。ごまかそうたって、それは出来ません。生活以上の作品は書けません。ふやけた生活をしていて、いい作品を書こうたって、それは無理です。 どうやら『文人』の仲間入り出来るようになったのが、そんなに嬉しいのかね。宗匠頭巾をかぶって、『どうも此頃の青年はテニヲハの使用が滅茶で恐れ入りやす。』

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或る探訪記者の話

平林初之輔

世の中には色々な職業がある。肉をひさぎ、貞操を売って生活してゆく女があるかと思うとそういう女の上前をはねてくらしてゆく奴もある。泥棒が悪いというなら、泥棒に凶器を売る銃器店や、金物屋もわるいことになる。金貸しが不徳だというなら、金貸しから金を借りる者も共犯者のわけだ。死刑執行人だって、国家の秩序を維持してゆくにはなくてはならぬ職業といえる。悪人のために生活す

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或教授の退職の辞

西田幾多郎

或教授の退職の辞 西田幾多郎 これは楽友館の給仕が話したのを誰かが書いたものらしい、 而もそれは大分以前のことであろう。 初夏の或晩、楽友館の広間に、皓々と電燈がかがやいて、多くの人々が集った。この頃よくある停年教授の慰労会が催されるのらしい。もう暑苦しいといってよい頃であったが、それでも開け放された窓のカーテンが風を孕んで、涼しげにも見えた。久しぶりにて遇

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或る文学青年像

佐藤春夫

「文学青年といふ奴はどうしてかうも不愉快な代物ばかり揃つてゐるのであらう。不勉強で、生意気で、人の気心を知らない。ひとりよがりな、人を人とも思はぬ、そのくせ自信のまるでない、要するに誠実も、智慧もない虚栄心の強い女のくさつた見たいな……」 そのほかこの種の形容詞をまだまだ沢山盛り上げようとしてゐるところを、堀口大学がいつになく横合から口を出して、 「それでい

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