Vol. 2May 2026

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ぽつぽのお手帳

鈴木三重吉

ぽつぽのお手帳 鈴木三重吉 一 すゞ子のぽつぽは、二人とも小さな/\赤いお手帳をもつてゐます。この二人は、「黒」よりもにやァ/\よりも、「君」よりも、だれよりも一ばん早くから、すゞ子のおあひてをしてゐるのです。 一ばんはじめ、或冬の、氷のはつてゐる寒い日に、二だいの大きな荷馬車がお荷物をつんで、ぽつぽたちのながく住んでゐた村から、町の方へ、こと/\出ていきま

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手をさし延べよう!

陀田勘助

食慾が針のように空らっぽの胃を刺激するかつての日の満腹は夢のようだ生きるために食うのか?食うために生きるのか?どちらでもいい ここで議論は胃を満たさないおれたちは飢え渇えている 凧! 糸の切れた凧だ!生存が切断される 同志よおれたちは要求する 一握のめしを! 麺麭を!おれたちは食物を乞うのでない生きてるゆえに 飢え渇えている者の要求だおれたちは団結しよう! 

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あつき手を挙ぐ

中野鈴子

都会、町、部落、 何処にも 朝鮮の人たち満ち溢れ 働き  たたかい 生活を打ち立て 話す言葉 国語正しく われら朝夕 親密濃く深まりつつ 出征、入営を送る折々には 先んじて旗振り、万歳を叫ぶ 朝鮮の人たち 朝鮮の人等 手に力こもり、唇は叫びつつ 心の底に徹し得ぬものがあるならん 常にわれかく思い 心沈みし 今 朝鮮に徴兵制布かる こころ新たに あつき手を挙ぐ

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手数将棋

関根金次郎

手数将棋 関根金次郎 ついでに手数将棋といふものを紹介しておかう。 この手数将棋といふのは、五十手なら五十手、百手なら百手――その約束した手数のあひだで、相手をつめてしまはなければならないのである。 芝居のなかの若い衆に、芝兼さんといふ人がゐた。若い衆といつても、年のころは五十がらみで、小屋のなかで弁当やら酒などをはこんできてサービスする商売であつたが、この

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手早い奴

チェスタートンギルバート・キース

不調和な二人連れの不思議な男たちの不思議な話がいまだにサセックスのあのせまい海岸附近で語り伝えられている。この浜にはメイポール・アンド・ガーランドという、静かな大ホテルが庭から海を見晴らしている。おかしな組合せの二つの人影がその静かなホテルにほんとにはいつてきたのはあのよく晴れた日の午後であつた……一人は、褐色の顔と黒い顎ひげをかこむように、ツヤツヤした緑色

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手療法一則 (二月例会席上談話)

荻野吟子

食物の事に就て、少し感じた事が有りますから貴婦人方に御噺し致しますが、今宮本さんから、段々の御噺しが有ツて、兒護婦の不注意より、子供が種々の者を飮み込み、夫れが爲めに大邊危險が有るとの事ですが、私が田舍に居りまする時分、之れに就て實見した事が有りますから、夫れをば申し上げ樣と存じます、夫れは二歳斗りの子供が、文久錢とも云ふべき錢を呑んだのです、恰度私も其節其

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手紙

久生十蘭

頃日、丸ノ内の蘭印・中国海運という会社から、村上マサヨ宛の幸便を取りに来いという通知を受けた。 行ってみると、蘭印アンボン島特別郵便局の検閲済の消印のある分厚な一通の封書と、赤い封蝋でシールされた、十糎立方ほどの小包を一個渡してくれた。差出人はマリハツ・シロウという人で、心当りのない名だったが、一応、持ち帰ってマサヨに封書を開けさせたところ、手紙は、村上重治

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手紙

竹内浩三

午前三時の時計をきいた。 午前四時の時計をきいた。 まっくらな天井へ向けた二つの眼をしばしばさせていた。 やがて、東があかるんできた。シイツが白々しくなってきた。 にこりともせず、ふとんを出た。タバコに火をつけて、机に向かった。手紙を書いてみたかった。出す相手もなかった。でも書いた。それは、裏切った恋人へであった。出さないのにきまっているのに、ながながと書い

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手紙

夏目漱石

モーパサンの書いた「二十五日間」と題する小品には、ある温泉場の宿屋へ落ちついて、着物や白シャツを衣装棚へしまおうとする時に、そのひきだしをあけてみたら、中から巻いた紙が出たので、何気なく引き延ばして読むと「私の二十五日」という標題が目に触れたという冒頭が置いてあって、その次にこの無名式のいわゆる二十五日間が一字も変えぬ元の姿で転載された体になっている。 プレ

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手紙

知里幸恵

手紙 知里幸恵 知里高吉・浪子宛(幌別郡登別村) 大正五年十月頃(旭川区五線南二号発信) 拝啓 しばらく御無沙汰いたしました。お父上の御病気は大分よくなったときいて私等ははじめて安心いたしました。秋も早やたけなはとなりまして四方の山は錦を着飾ってだん/″\涼しうなりましたから、きっと病気もよくなるでせうと私も昼夜祈って居ります。母上様も今年は御健康の由、いか

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手紙

牧野信一

お手紙拝見。面白い手紙だつたよ。あれだけ能弁な手紙が書けながら、まつたく君の々たる気焔には寧ろ小生は怖れを覚ゆるのであるが、それで、何うして、「哲人の石」の続稿がつゞけられないのか、不思議と思ふ。昨夜も小生は、あの君の作品を、三人の友達に向つて、声をあげて披露したところが、大かつさい――そして皆々感嘆絶賞の唸りをあげて、ひたすらその続稿の到来を待つばかりであ

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手紙

堀辰雄

野田君 また惡いさうだね。だから言はないこつちやない。ぢつと寢てゐたまへ。病氣はこつちで辛抱強く馴らしてやるがいいんだ。一度馴れてしまつたら、こんなに可愛い奴はない。 池谷さんが死んだんでこれからお葬式に行くところだ。時間が半端なので、いまコロンバンで、珈琲をのみながら、この手紙を書いてゐるんだ。 前から君に「オフェリヤ遺文」のことを何か書けと言はれてゐるの

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リラの手紙

豊田三郎

リラの手紙 豊田三郎 久能は千駄木の青江の家に移って卒業論文に取りかかった。同じ科の連中に較べると、かなり遅れていたので、狼狽気味に文献を調べ、此方に来ていない参考書を取り寄せたりした。大学の語学的な片よりを嫌って、その間近の喫茶店などにとぐろを巻いて文学をやる友達のいないのを歎じたり、気焔をあげたりしていたが、実際には創作など発表している先輩がいても、自分

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ある手紙

原民喜

ある手紙 原民喜 佐々木基一様 御手紙なつかしく拝見しました。あなたから手紙をいただいたり、そのまた御返事をこうして書くのも、思えばほんとに久振りです。空襲の激しかった頃には私はよくあなたやほかの友人に、いつ着くかあてもない手紙を、何の意味もない手紙を、重たい気分で、しかも書かないではいられない気持に駆られて書いたものです。が、今こうしてペンを執ってみると、

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手紙 001 嘉永六年九月二十三日 父坂本八平直足あて

坂本竜馬

一筆啓上仕候。秋気次第に相増候処、愈々御機嫌能可レ被レ成二御座一、目出度千万存奉候。次に私儀無異に相暮申候。御休心可レ被二成下一候。兄御許にアメリカ沙汰申上候に付、御覧可レ被レ成候。先は急用御座候に付、早書乱書御推覧可レ被レ成候。異国船御手宛の儀は先免ぜられ候が、来春は又人数に加はり可レ申奉レ存候。 恐惶謹言。九月廿三日龍尊父様御貴下御状被レ下、難レ有次第に

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手紙 002 安政三年九月二十九日 相良屋源之助あて

坂本竜馬

二白、御家内へも宜敷御伝声可レ被レ下候、以上。一筆啓上仕候。冷気次第に相増し候へ共、弥御安全可レ被レ成目出度奉レ存候。随而野生儀道中筋無二異議一江戸に着仕り、築地屋敷に罷在候。乍レ憚御休意被レ下度候。陳者出足の節は御懇念被レ下、又御見事成る御送物被レ下千万忝き次第に奉レ存候。早速御礼申上筈の処、失礼に打過ぎ候段、御仁免可レ被レ下候。定而御国下御静謐恐悦至極と

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手紙 003 安政五年七月頃 坂本乙女あて

坂本竜馬

(表面) 此状もつて行者ニ、せんの大廻の荷のやり所がしれん言ハれんぞよ。 此勇(男)のに物ぢやあきに、状が龍馬から来たけんどまちがつたと御いゝ可レ被レ下候。 先便差出し申候しよふ婦(菖蒲)は皆々あり付申候よし、夫々に物も付(着)申候よし、其荷は赤岡村元作と申候ものゝにて候。此状もちて行くものニて御座候。めしをたいてもらい候者ニて候。誠ニよき者故よろしく御取成

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手紙 004 安政五年十一月十九日 住谷信順、大胡資敬あて

坂本竜馬

尊札拝見仕候。寒気之節益御安泰、長途無二御一御修業、珍重之御儀奉レ存候。扨仰被レ越候御趣、何レ拝願之上御相談可二申上一奉レ存候。然ニ奴儀無レ拠要用ニ相掛居申候間、明後出足ニ而其御許迄参上可レ仕奉レ存候。誠ニ偏境之地、殊ニ山中御滞留故、御徒然奉レ察候。恐惶謹言。十一月十九日坂本龍馬加藤於莵之介様菊地清兵衛様貴下 ●図書カード

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手紙 007 文久三年三月二十日 坂本乙女あて

坂本竜馬

扨も/\人間の一世ハがてんの行ぬハ元よりの事、うんのわるいものハふろよりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。夫とくらべてハ私などハ、うんがつよくなにほど死ぬるバへでゝもしなれず、じぶんでしのふと思ふても又いきねバならん事ニなり、今にてハ日本第一の人物勝憐太郎殿という人にでしになり、日々兼而思付所をせいといたしおり申候。其故に私年四十歳になるこ

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手紙 008 文久三年五月十七日 坂本乙女あて

坂本竜馬

此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かはいがられ候て、先きやくぶんのよふなものになり申候。ちかきうちにハ大坂より十里あまりの地ニて、兵庫という所ニて、おゝきに海軍ををしへ候所をこしらへ、又四十間、五十間もある船をこしらへ、でしどもニも四五百人も諸方よりあつまり候事、私初栄太郎なども其海軍所に稽古学問いたし、時船乗のけいこもいたし、

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手紙 009 文久三年六月十六日 池内蔵太の母あて

坂本竜馬

いさゝか御心をやすめんとて、 六月十六日に 認候文。       直陰 龍馬よりも申上候。扨、蔵が一件ハ今 朝廷のおぼしめしもつらぬかず、土州を初メ諸藩のとの様がた皆国にかへり、蔵が心中にハ思よふ土州など世の中のあまりむつかしくなき時ハ、土佐のとの様を初、江戸でも京でも唯へら/\と国家をうれへるの、すべつたのとやかましくいゝひろき、当今に至りていよ/\むつか

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手紙 010 文久三年六月二十九日 坂本乙女あて

坂本竜馬

この文ハ極大事の事斗ニて、 けしてべちや/\シャベクリにハ、 ホヽヲホヽヲいややの、けして見せら れるぞへ六月廿日あまりいくかゝけふのひハ忘れたり。一筆さしあげ申候。先日杉の方より御書拝見仕候。ありがたし。 私事も、此せつハよほどめをいだし、一大藩によく/\心中を見込てたのみにせられ、今何事かでき候得バ、二三百人斗ハ私し預候得バ、人数きまゝにつかひ申候よふ相

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