紙の洪水
中谷宇吉郎
アメリカの話も、もう皆鼻についているので、あまり書くこともない。しかしホテルに泊っていたのでは、一寸気のつかないこともあり、そういう話なら、少しは面白いことがあるかもしれない。しかし私はまだそのホテルに住居をしているので、書く資格が出来ていない。もう十日くらいすれば、家族の連中も到着するので、そうしたら、また種が出て来ることであろう。 ところで、家をもつと、
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中谷宇吉郎
アメリカの話も、もう皆鼻についているので、あまり書くこともない。しかしホテルに泊っていたのでは、一寸気のつかないこともあり、そういう話なら、少しは面白いことがあるかもしれない。しかし私はまだそのホテルに住居をしているので、書く資格が出来ていない。もう十日くらいすれば、家族の連中も到着するので、そうしたら、また種が出て来ることであろう。 ところで、家をもつと、
中谷宇吉郎
前の話で、家をもったら、紙の始末をどうするか、少し気になるという話を書いたが、その始末法はきわめて簡単にわかった。半分は棄て、半分は燃してしまうのである。 前にいったように、新聞紙と、買物の時にくれる紙袋とが、心配していたとおりに、みるみるうちに溜って来る。しかし何も取越苦労をする必要はないので、こういう紙類などはどんどんさばけて行く。 第一に、台所で出て来
岸田国士
『紙風船』について 岸田國士 この作は、順序としては私の第四作である。処女作「古い玩具」を大正十四年の春、当時山本有三氏の編輯にかかる「演劇新潮」に発表し、第二作「チロルの秋」を同年秋、同誌のために書き、その翌年の四月であつたか、文芸春秋から、その戯曲号へ三十枚ほどのものをといふ注文を受け、私は嬉しまぎれに、これを転地先の辻堂の海岸で、殆ど即興的に書き飛ばし
岸田国士
人物 夫 妻 時 晴れた日曜の午後 所 庭に面した座敷 夫 (縁側の籐椅子に倚り、新聞を読んでゐる) 「米国フラー建材会社のターナー支配人が一日目白文化村を訪れて、おゝロスアンゼルスの縮図よ! と申しましたやうに、目白文化村は今日瀟洒たる美しい住宅地になりました」 妻 (縁側近く座蒲団を敷き、編物をしてゐる)なに、それは。夫 (読み続ける)「四万坪
木暮理太郎
大田蜀山人の『半日閑話』の中に「信州浅間岳下奇談」と題して次の記事が出ている。 九月(文化十二年)頃承りしに、夏頃信州浅間ヶ岳辺にて郷家の百姓井戸を掘りしに、二丈余も深く掘けれども水不出、さん瓦を二三枚掘出しけるゆへ、かゝる深き処に瓦あるべき様なしとて又々掘ければ、屋根を掘当けるゆへ其屋根を崩し見れば、奥居間暗く物の目不知、去れ共洞穴の如く内に人間のやうなる
小林多喜二
級長の願い 小林多喜二 先生。 私は今日から休ませてもらいます。みんながイジめるし、馬鹿にするし、じゅ業料もおさめられないし、それに前から出すことにしてあった戦争のお金も出せないからです。先生も知っているように、私は誰よりもウンと勉強して偉くなりたいと思っていましたが、吉本さんや平賀さんまで、戦争のお金も出さないようなものはモウ友だちにはしてやらないと云うん
金森徳次郎
生れるときに自分の將來の仕事を考えるものは無いが、それでも若いときから一生の目的を考えるものだ。ところが私は若いときはもとよりのこと、中年になつても老年になつても夢にも思わなかつた圖書館人と言うものに六十歳を超えてからなつた。業平朝臣の言いぐさではないが「忘れては夢かとぞ思う思いきや」であり雪は踏みわけないが毎日圖書館を見て喜び眺めているのだ。 私の管理して
北大路魯山人
(一) 私は日頃の心がけとして、後悔になるようなことは決してせんつもりでいるが、事実は、どうしてどうして大いに後悔することが次から次へ湧いて出て当惑することが少なくない。 例えば先年前山久吉さんを激怒せしめたなどはその例のゆゆしき一つである。それが場所もあろうに三越の四階、私の作陶展覧会場でである。従って多勢の人ごみの中でだ。相手は耳順、私は知天命に近からん
牧野信一
「マダムの御気嫌はどう? 今日は?」 山崎の顔を見るなり私は、部屋の入口に突立つたまゝ凝つと、訊ねた。――「君の顔色には何だか生気がない、病的といふほどのことではなしに……。眼つきが何となく悸々としてゐる、今日も!」 「さうだらう、俺は――」と山崎は、私がもつとさういふ風な彼に関する批評を続けるであらうことを、別段に何の不安を持つこともなく待ち構えるやうに、
正宗白鳥
私は發表する當てのないのに物を書いたことはない。また材料を得るために旅行をしたり讀書したりしたことはない。雜誌などに頼まれて何か書かうとして机に向つて筆を採つてから、さて材料はどれにしようかと考へるのである。 さうすると、いろ/\な材料が頭に浮んで來る。幾十となく思ひ浮ぶ。生きてゐる限り材料の缺乏に苦しむことはない譯なのだ。自分自身の生涯については云ふまでも
宮沢賢治
ひかりの素足 宮沢賢治 一、山小屋 鳥の声があんまりやかましいので一郎は眼をさましました。 もうすっかり夜があけてゐたのです。 小屋の隅から三本の青い日光の棒が斜めにまっすぐに兄弟の頭の上を越して向ふの萱の壁の山刀やはむばきを照らしてゐました。 土間のまん中では榾が赤く燃えてゐました。日光の棒もそのけむりのために青く見え、またそのけむりはいろいろなかたちにな
豊島与志雄
紫の壜 豊島与志雄 検察当局は私を、殺人罪もしくは自殺幇助罪に問おうとしている。私は自白を強いられている。だが、身に覚えないことを告白するのは、嘘をつくことだ。この期に及んで嘘をつきたくはない。軍隊生活では平然と嘘をつくことを教えられてきた。それを清算したい意味もあるのだ。私は真実だけを語りたい。 それにしても、当事者の私にとって明瞭な真実は、如何に僅かな些
小酒井不木
読者諸君は、塚原俊夫君の取り扱った「紅色ダイヤ」事件というのを記憶していてくださるだろうと思います。その事件を紹介する際、私は俊夫君に金持ちの叔父さんのあることを話しておきましたが、最近俊夫君はこの「赤坂の叔父さん」に実験室の一部を建て増してもらい、そこへ水銀石英灯というものを買ってもらって据えつけたのであります。 どうして、俊夫君が水銀石英灯を買ってもらっ
坂口安吾
紫大納言 坂口安吾 昔、花山院の御時、紫の大納言という人があった。贅肉がたまたま人の姿をかりたように、よくふとっていた。すでに五十の齢であったが、音にきこえた色好みには衰えもなく、夜毎におちこちの女に通った。白々明けの戻り道に、きぬぎぬの残り香をなつかしんでいるのであろうか、ねもやらず、縁にたたずみ、朝景色に見惚れている女の姿を垣間見たりなどすることがあると
長谷川時雨
八月九日、今日も雨。 紫式部をもととした随筆の催促が、昨日もあったことを思って、戸をあけてから、蚊帳のなかでそんなことを考える。 水色の蚊帳ばかりではない、暁闇ばかりではない。連日の雨に暮れて、雨に明ける日の、空が暗いのだ。それが、簀戸を透して、よけいに、ものの隈が濃い。 濡れた蝉の声、蛙も鳴いている。 今年は萩の花がおそく、芒はしげっているのに、雁来紅は色
宮沢賢治
盛岡の産物のなかに、紫紺染というものがあります。 これは、紫紺という桔梗によく似た草の根を、灰で煮出して染めるのです。 南部の紫紺染は、昔は大へん名高いものだったそうですが、明治になってからは、西洋からやすいアニリン色素がどんどんはいって来ましたので、一向はやらなくなってしまいました。それが、ごくちかごろ、またさわぎ出されました。けれどもなにぶん、しばらくす
萩原朔太郎
ああその燃えあがる熱を感じてゐる この熱の皮膚を しばしば貴女にささげる憂鬱の情熱を ただ可愛ゆきひとつの菫の花を 貴女の白く柔らかな肌に押しあてたまへ ここにはまた物言はぬ憂愁の浪 紫をもて染めぬいた夢の草原 ああ耐へがたい病熱の戀びとよ 戀びとよ 今日の日もはや暮れるとき 私は貴女の家を音づれその黒い扉の影に接吻しよう しほしほと泣く心の奧深く 貴女はそ
田中貢太郎
累物語 田中貢太郎 承応二巳年八月十一日の黄昏のことであった。与右衛門夫婦は畑から帰っていた。二人はその日朝から曳いていた豆を数多背負っていた。与右衛門の前を歩いていた女房の累が足を止めて、機嫌悪そうな声で云った。 「わたしの荷は、重くてしようがない、すこし別けて持ってくれてもいいじゃないか」 与右衛門はそれを聞くと、 「絹川の向うまで往ったら、皆、おれがい
佐藤垢石
細流の興趣 佐藤垢石 鮒釣りには季節によりいろいろの釣り方があるが、乗っ込み鮒ほど興趣が深いものはないのである。鮒党はこの本乗っ込みをどんなに首をのべて待っていたことであろう。白い玉浮木がフワフワと流れてスイと横に動く味は、どの釣りにも求め得られない。竿も仕掛けも極めて軽く、そして繊細に作れば一層この釣りの妙所を味わい得る。竿は七、八尺から二間くらいまで、釣
谷崎潤一郎
私が「細雪」の稿を起したのは太平洋戦争が勃発した翌年、即ち昭和十七年のことである。 これがはじめて中央公論に出たのは昭和十八年の新年号であつたが、それから四月号に載り、次いで七月号に掲載される筈の所がゲラ刷になつたまゝ遂に日の目を見るに至らなかつた。陸軍省報道部将校の忌諱に触れたためであつて、「時局にそはぬ」といふのが、その理由であつた。当時すでに太平洋の戦
永井荷風
小説の巧拙を論ずるには篇中の人物がよく躍如としているか否かを見て、これを言えば概して間違いはない。 人物の躍如としているものは必ず傑作である。人物が躍如としていれば、その作は読後長く読者の心に印象を留める力がある。作者はその人物を空想より得来ったか、或はモデルによろしきを得たか否かは、深くこれを追究するに及ばない。 谷崎君の長篇小説「細雪」は未完ではあるが、
牧野信一
* 希ひである――。 アスフアルトの街上で。 * ロシナンテ(馬である、私達の――)を飛して森の奥深く駆け込んだ。剣を抜いて、邪悪の魔術師と渡り合ふた靴は破れ、花は千切れ、胸に血潮が流れた――勝敗は知らぬけれど、私は「王の大業を害ひたる、邪悪の魔術師」の剣に、ものゝ見事な巻き落しを喰はせた! と独り我点した。悪魔の剣は朝霧の虚空に銀の弧を描いて、森を超へて、
中原中也
トリスタン・コルビエールが、甞て我が国に於いて紹介されたことがあつたかどうか、私は知らない。コルビエールは、ヴ※ルレーヌの有名な批評集、『生得の詩人達(Potes maudits)』(五人の詩人が挙げられてゐる)にも出てゐて、仏蘭西では知れ渡つた詩人である。その『生得の詩人達』中の、コルビエールの篇は、四五年前、雑誌『社会及国家』に、私が訳載したのだが、文壇
宮本百合子
終刊に寄す 宮本百合子 用紙節約から廃刊になるということはさけがたいことながらやはりそれぞれにつながる編輯者のこれ迄の御骨折りや読者の好意について感想を新しくいたします。これ迄の足かけ八年間にこの雑誌のつくして来た文化の上での意義が読者の生活の裡で育ちつづけることを願います。 〔一九四一年十月〕