Vol. 2May 2026

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14,981종 중 11,856종 표시

緑の星

岸田国士

ヨーロッパ通ひの船が印度洋をすぎて、例の紅海にさしかかると、そこではもう、太古以来の沙漠の風が吹き、日が沈む頃には、駱駝の背越しに、モーヴ色の空がはてしなくつづくのが見える。 その時、海の旅にあきた誰れかれの眼に、きまつて妖しく映るのは、地平線のうへに、次ぎから次ぎへと湧きでる、あの星ともいへぬ星、ひとつひとつが胸飾りのやうに鮮明な、エメラルドの星のまたたき

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緑の種子

北原白秋

種子はこれ感覚の粋、 緑は金の陰影にして、幽かに泣くはわが心。 種子を哀しめ、よきひとよ、 冷たく、小さき芥子のたね、その一粒に心せよ、 歔欷けかし、日の光。 種子はこれ霊魂の粋、 生ける宝石、「時」の秒、金と緑の夜の秘密、 淫慾の芽の潜伏所、 阿片の精。 種子を哀しめ、よきひとよ、 緑は色の粋にして、 智慧と不思議と生滅の見えざる悲劇、 万華鏡。 消え去り

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緑色の人

チェスタートンギルバート・キース

半ズボンの青年が、血色のいい熱心な横顔を見せながら、砂浜と海に平行したリンクで、独りゴルフを楽しんでいた。あたりは夕闇で灰色になりかけていた。青年はむぞうさにボールを打ちまくつているわけではなく、むしろ特殊のストロークを人目につかない激しさで練習しているのであつた……キチンと身ぎれいにした旋風という感じであつた。この青年はいろんなゲームを手早く習得していたが

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緑色の太陽

高村光太郎

緑色の太陽 高村光太郎 人は案外下らぬところで行き悩むものである。 いわゆる日本画家は日本画という名にあてられて行き悩んでいる。いわゆる西洋画家は油絵具を背負いこんで行き悩んでいる。飛車よりも歩を可愛がるような羽目に自然と立ち至る事もあるのである。その MOTIV(モチフ)を考えるとおかしくはあるが、行き悩んでいる当面の事局を眼鏡の焦点に置いて考えると、かな

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緑色の時計

小川未明

おじさんの髪は、いつもきれいでした。そして、花畑でも通ってきたように、着物は、いいにおいがしました。そわそわと、いそがしそうに、これから、汽車に乗って、旅へでもでかけるときか、あるいは、どこか遠くから、いま、汽車でついたばかりのように、その目はいきいきとしていました。 事実、おじさんは、方々へでかけたし、ぼくたちの知らない町で、めずらしいものを見たり、いろい

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緑色の透視

左川ちか

一枚のアカシヤの葉の透視 五月 其処で衣服を捨てる天使ら 緑に汚された脚 私を追いかける微笑 思い出は白鳥の喉と なり彼女の前で輝く いま 真実はどこへ行った 夜露でかたまった鳥らの音楽 空の壁に印刷した樹らの絵 緑の風が静かに払いおとす 歓楽は死のあちら 地球のあちらから呼んでいる 例えば重くなった太陽が青い空の方へ落ちてゆくのを見る 走れ! 私の心臓 球

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緑の芽

佐左木俊郎

緑の芽 佐左木俊郎 一 弾力に富んだ春の活動は、いたるところに始まっていた。 太陽は燦爛と、野良の人々を、草木を、鳥獣を、すべてのものを祝福しているように、毎日やわらかに照り輝いた。農夫は、朝早くから飛び起きて、長い間の冬眠時代を、償おうとするかのように働いていた。 菊枝はまだ床の中で安らかな夢に守られているらしかった。父親は、朝飯前にと、近所へ出掛けたきり

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緑葉歎

堀辰雄

青葉頃になると、どうも僕の身體の具合が惡くなるのです。それにやられまいと思つて、隨分用心してゐるのですが、いつのまにかやられてゐます。こんどなども、ちよつと氣分が惡かつたので、二三日安靜にしてゐたら、それからずつと微熱が續いて、もう半月ばかりになるのに、いまだに寢込んでゐる始末です。それにどうしたのか、足がなやんでなりません。あの足首の、丁度靴下が一番先に穴

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緑衣人伝

田中貢太郎

緑衣人伝 田中貢太郎 趙源は家の前へ出て立った。路の上はうっすらと暮れかけていた。彼はその時刻になってその前を通って往く少女を待っているところであった。緑色の服装をして髪を双鬟にした十五六になる色の白い童女で、どこの家のものとも判らないし、また、口を利き合ったというでもないが、はじめて顔を合わした時から、その潤みのある眼元や口元に心を引きつけられていた。そし

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緑衣の女

松本泰

緑衣の女 松本泰 一 夏の夕暮であった。泉原は砂塵に塗れた重い靴を引きずりながら、長いC橋を渡って住馴れた下宿へ歩を運んでいた。テームス川の堤防に沿って一区劃をなしている忘れられたようなデンビ町に彼の下宿がある。泉原は煤けた薄暗い部屋の光景を思出して眉を顰めたが、そこへ帰るより他にゆくところはなかった。半歳近く病褥に就いたり、起きたりしてうつら/\日を送って

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緑衣の少女 聊斎志異 巻八「緑衣女」

蒲松齢

益都の生れの小宋という別名を持った于生という若者があった。彼は醴泉寺の僧房に学生として住んでいた。或る夜のこと、ちょうど彼が読書に耽っている時であった。突然、窓のそとに若い女性の声が聞えた。それは彼を讃める言葉であった「于さん、大そう御勉強でいらっしゃること。」彼はおどろいて跳び上った。そうしてその方を見た。それは、緑の衣を着て長い上衣を身にまとった比べるも

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緑の軍港

牧野信一

緑の軍港 牧野信一 いつの間にかわたしの部屋の壁には、いろいろな軍艦の寫眞が額になつて、あちこちに並び、本棚の上には「比叡」と「那智」の模型が飾られ、水雷型の筆立には巡洋艦「鈴谷」進水式紀念の軍艦旗とZ旗があつた。「比叡」と「那智」の模型は、それぞれわたしが拜乘の機會に浴した思ひ出の爲に材料を買ひ集めて組み立てたものである。近日中にエンヂンを取り付けて競技會

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緑の軍港

牧野信一

いつの間にかわたしの部屋の壁には、いろいろな軍艦の写真が額になつて、あちこちに並び、本棚の上には「比叡」と「那智」の模型が飾られ、水雷型の筆立には巡洋艦「鈴谷」進水式紀念の軍艦旗とZ旗があつた。「比叡」と「那智」の模型は、それぞれわたしが拝乗の機会に浴した思ひ出の為に材料を買ひ集めて組み立てたものである。近日中にエンヂンを取り付けて競技会へ出場させて見ようと

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緑雨と一葉

伊庭心猿

かの日都を落ちて船橋にやどり申候 きのふより市川町に戻りて百姓家を借りうけ、ともかくすごし居り候 今宵は松葉の土手と申すを下りて渡船にのりて月を觀候 なみ/\の旅ならねば落人の身の上いとゞ悲しく候 これは殘少き眞間のもみぢに候 處の名とは申ながら※ましく候 鬼共の都にて立騷ぎ候姿 目に見えておもひ候やうに眠られず候 この先いかゞ成行くべきかみづからも知らず候

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緒方氏を殺した者

太宰治

緒方氏を殺した者 太宰治 緒方氏の臨終は決して平和なものではなかったと聞いている。歯ぎしりして死んでいったと聞いている。私と緒方氏とは、ほんの二三度話合っただけの間柄ではあるが、よい小説家を、懸命に努力した人間を、よほどの不幸の場所に置いたまま、そのまま死なせてしまったという事実に就いて、かなりの苦痛を感じている。 追悼の文は、つくづく、むずかしいものである

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線香の火

中谷宇吉郎

昔、寺田(寅彦)先生が、よく「線香の火を消さないように」という言葉を使われた。 大学を新しく卒業して、地方の中学校即ち今の高等学校などへ赴任する学生が、先生のところへ暇乞いに行くと、先生はどういうところへ行っても、研究だけは続けなさいと諭された。「地方の学校へ行くと、研究の設備などは、もちろん少いだろう。研究費だってほとんどないだろうが、その気さえあれば、研

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線香花火

中谷宇吉郎

もう十年以上も前のことであるが、まだ私が大学の学生として寺田先生の指導の下に物理の卒業実験をしていた頃の話である。その頃先生はよく新しく卒業して地方の高等学校などへ奉職して行く人に、金や設備が無くても出来る実験というものがあるという話をして、そういう「仕事」を是非試みてみるようにと勧められていた。それ等の実例として挙げられた色々の題目の中には何時も決まって線

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〔編輯余話〕

牧野信一

私はこの七月から入社いたし皆様のために働くことゝなりました。私の心は悦しさに充ちて居ります。それは皆様といふ沢山なお友達を得ることが出来たからであります。庭の草花もほゝえむでゐるかのやうに見える程、私は爽かさを感じながら面白く仕事をして居ります。 しかし世の中のことがさう易々と運ばれるわけはありません。殊に巣を出たばかりの私のすることは定めし皆様方に御不満が

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編輯当番より

岸田国士

編輯当番より 岸田國士 少しは面倒な仕事、柄にない仕事でも、みんなが順番にやるといふことになると、私はなんとしても厭やとは云へない。順番に何かの役目が廻つて来るといふことは、誰にでも幾分か楽しいことではないかと思ふ。人間生活の自然な相を映してゐるやうでもあり、秩序の観念の理想的な表示ででもあるやうな気がするためであらうか。私は、さういふ楽しさを子供の時分から

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編輯後記(大正十五年九月号) 『青空』記事

梶井基次郎

同人の大部分が歸省中の編輯の任に當り、それを全うする積りであつたが、十七日に點呼があるので、殘務を中谷や外村や小林にあづけ十六日の朝東京を立つた。 全くこの夏は暑かつた。平常は無爲な私も事務に追はれて、アスフアルトが弛んでゐるやうな街を歩いた。少し健康は害してゐたが、日によつてはその暑熱が私を街へ誘惑することもあつた。松住町から湯島臺へ上つて行く左手のバラツ

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編輯後記(大正十五年四月号) 『青空』記事

梶井基次郎

忽那が三人寄せ書きの後記を書かうと云つて、よしとは云つたもののこれと云つて書く程のことも見付からない。然し一つ、この度第三種郵便物に加入することにしたので、その手續きに出掛けた、そのことだけは書いておき度い。積極的な用事もなく、居殘つてゐるのだが、内心では早く歸つていゝ作をして驚かしてやり度く思つてゐる。それだけ。

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編輯後記(昭和二年一月号) 『青空』記事

梶井基次郎

例月に比して小量のものしか載せ得なかつたことは、青空の經濟策に變動があつたことにもよるが、編輯の任にあたつた私が病態思ふやうに働らけなかつたためである。その點パートナーの三好を多々煩はしたことを感謝しなければならない。 青空も滿二年を經た。絶えざる成長が行はれたことは讀者も感じられることゝ思ふ。内部にはそれと共に新らしい進展のための用意が出來てゐる。それが今

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編輯雑感

喜田貞吉

自分がこの特別号の発行を思い付いたのは、本年二月下旬、東京築地本願寺で催された同情融和会の折であった。かくて爾来材料の蒐集に着手し、四月にその計画を発表して各地の有志家に材料の提供を依頼し、五月の本誌上に始めて予告を掲げた様な次第であったが、今やともかくもこれだけのものを発行せしむるに至ったのは、同情者各位とともに愉快に堪えぬところである。 自分は歴史家とし

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