自他の融合
田山花袋
自他の融合と言ふことに就いて、文壇には猶ほ深く考へなければならないことが多いと思ふ。自己の心理をいかに他に発見し、又他の心理をいかに自己に発見するかといふことは、芸術の標準を上げる上に於て、最も必要なことである。一度自分で体感したものを、もう一度他にひつくりかへして見るといふこと、自己の経験を他の中に発見するといふこと、またこれを大きくひろめて言へば、自然と
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田山花袋
自他の融合と言ふことに就いて、文壇には猶ほ深く考へなければならないことが多いと思ふ。自己の心理をいかに他に発見し、又他の心理をいかに自己に発見するかといふことは、芸術の標準を上げる上に於て、最も必要なことである。一度自分で体感したものを、もう一度他にひつくりかへして見るといふこと、自己の経験を他の中に発見するといふこと、またこれを大きくひろめて言へば、自然と
黒島伝治
自伝 黒島傳治 明治三十一年十二月十二日、香川県小豆郡苗羽村に生れた。父を兼吉、母をキクという。今なお健在している。家は、半農半漁で生活をたてゝいた。祖父は、江戸通いの船乗りであった。幼時、主として祖母に育てられた。祖母に方々へつれて行って貰った。晩にねる時には、いつも祖母の「昔話」「おとぎばなし」をきゝながら、いつのまにかねむってしまった。生れた時は、もう
三島霜川
自傳 三島霜川 幼い時から、小説類を讀むことが好きで、十二三の頃から古いものでは水滸傳だとか三國志だとか、新らしいものでは涙香の飜譯物や、南翠の作を好んで讀んだ。無論、其時分は文學なるものゝ意味が分つて讀んだのでもなければ、又、文學者にならうと思つたのでもない。唯、譯も分らず好きで面白くて無茶苦茶に讀んだのである。 其中に十七八の頃、國民之友の附録かなんかで
坂口安吾
私は私の意志によって生れてきたわけではないので、父を選ぶことも、母を選ぶこともできなかった。 そういう限定は人間の一生につきまとっていることで、人間は仕方なしに何か一つずつ選ぶけれども、生活の地盤というものは人間の意志とは関係がない。 人間は生れた時から人のふったサイコロで出てきた天来のかけの子供なのだから、我々の文化が自由意志などと大声シッタしてみても砂上
高村光太郎
自作肖像漫談 高村光太郎 今度は漫談になるであろう。この前肖像彫刻の事を書いたが、私自身肖像彫刻を作るのが好きなので、肖像というと大てい喜んで引きうける。これまでかなりいろいろの人のものを作った。 昔、紐育に居てボオグラム先生のスチュジオに働いていた頃、暫く同じ素人下宿に居られた鉄道省の岡野昇氏といわれる人が、私に小遣取をさせる気持で肖像を作らせてくれた。肖
太宰治
自作を語る 太宰治 私は今日まで、自作に就いて語った事が一度も無い。いやなのである。読者が、読んでわからなかったら、それまでの話だ。創作集に序文を附ける事さえ、いやである。 自作を説明するという事は、既に作者の敗北であると思っている。不愉快千万の事である。私がAと言う作品を創る。読者が読む。読者は、Aを面白くないという。いやな作品だという。それまでの話だ。い
田山花袋
総て物が平等に見え出して来るといふことは、面白い人間の心理状態である。美も醜も、善も悪も、旨いも拙いも、昔感じたやうに大きな差別を見ずに、又は好悪を感ぜずに、あるがまゝにあるといふ風に感じて来る心理、この心理は差別をのみ気にし、又は箇をのみ気にした心理と、何ういふ関係を持つてゐるか。 人が大きな家屋に住んでゐる。立派な庭園を持つてゐる。綺羅を尽してゐる。贅沢
宮本百合子
自信のあるなし 宮本百合子 私たちのまわりでは、よく、自信があるとか、自信がないとかいう表現がされる。そして、この頃の少しものを考える若い女のひとは、何となしこの自信の無さに自分としても苦しんでいることが多いように思えるのはどういうわけだろうか。 一つには、女の与えられる教育というものが、あらゆる意味で不徹底だという理由がある。なまじい専門程度の学校を出てい
太宰治
本紙(朝日新聞)の文芸時評で、長与先生が、私の下手な作品を例に挙げて、現代新人の通性を指摘して居られました。他の新人諸君に対して、責任を感じましたので、一言申し開きを致します。古来一流の作家のものは作因が判然していて、その実感が強く、従ってそこに或る動かし難い自信を持っている。その反対に今の新人はその基本作因に自信がなく、ぐらついている、というお言葉は、まさ
太宰治
本紙(朝日新聞)の文藝時評で、長與先生が、私の下手な作品を例に擧げて、現代新人の通性を指摘して居られました。他の新人諸君に對して、責任を感じましたので、一言申し開きを致します。古來一流の作家のものは作因が判然してゐて、その實感が強く、從つてそこに或る動かし難い自信を持つてゐる。その反對に今の新人はその基本作因に自信がなく、ぐらついてゐる、といふお言葉は、まさ
南部修太郎
自分のこと 南部修太郎 明治二十五年の秋、仙臺で生れた。このことは姓と結び合せて自分を宮城縣人と思ふ人もあるらしいが、たゞ生誕の地といふだけで、三ヶ月後には仙臺を去り、それから土木技師である父の轉勤につれて東京・神戸・熊本・博多・長崎と轉住した。長崎には住むこと七年、小學校課程の大半をこゝで過し、少年時代の追想の懷しい町である。明治三十八年の春、また父の轉勤
辻潤
自分だけの世界 辻潤 これは読者のためではなく寧ろ自分の覚え書きのつもりで書いて置くのである。だが読者にも何等かの参考にならないとも限らない。自分はこの書(自我経)を訳了した時にはなんとなく仕事らしい仕事を片付けたような気がした。他の人から見たらなんでもないことかも知れないが自分だけには意味がありそうに思われたのである。 自分は十年も前に読み始めた本をやっと
小川未明
ある田舎に、二人の百姓が住んでおりました。平常はまことに仲よく暮らしていました。二人とも勉強家で、よく働いていましたから、毎年穀物はたくさんに穫れて、二人とも困るようなことはありませんでした。 あるとき、甲は乙に向かっていいました。 「おたがいに達者で、働くことはできるし、それに毎年気候のぐあいもよくて、圃のものもたくさん穫れて、こんな幸福なことはない。いつ
南部修太郎
自分の變態心理的經驗 南部修太郎 妖怪と云ふものが昔の妖怪話の妖怪畫などに現はれてゐるやうな異樣、奇怪、凄慘などの極端に誇張された存在でない事は、少くとも客觀的存在でない事は、今更ら云ふまでもない話であるが、これを精神上の一種の主觀的存在、云ひ換へれば、人間の幻覺或は錯覺としてみる時は確にあり得るもののやうに思はれる。と云ふのは、私としても心身が變態的な状態
宮本百合子
自分自分の心と云うもの 宮本百合子 どうか私共女性たちは、もっと自分自分の心というものに対して、敏感に、よい意味の神経質になりたいと思います。 めいめいが、その事さえしていると自分の全心が勇気と愛に満ち真剣になれ切れると云うことだけに、没頭したら、どんなに真実な力の籠もった生活の調子が出来るでしょう。或る一つの仕事が百人に向き千人に適うものではありません。
千家元麿
この詩集は自分の初めての本だ。こゝに集めた詩は一九〇〇年の冬から今迄に書いたものを全部集めた。それ以前のものははぶいた。 武者小路實篤兄から序文を、岸田劉生兄から裝幀を頂いた事を深く感謝する。自分はこの詩集に誇りをもつ事を禁じ得無いでゐる。自分はこの初めての詩集を亡き父上に捧げる。 一九一八年三月二十六日夜 千家元麿
高村光太郎
自分と詩との関係 高村光太郎 私は何を措いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとい善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変りがない。 ところでその彫刻家が詩を書く。それにどういう意味があるか。以前よく、先輩は私に詩を書くのは止せといった。そういう余技にとられる時間と精力とがあるなら、それだけ彫刻にいそしんで、早く彫刻の第一流になれ
小川未明
田舎の小学校の庭であったが、林から独り離れて校庭の中程に、あまり大きくない一本の杉の木が立っていました。生徒等は、この木をば、目印にして鬼事をしたり、そのまわりで、遊んでいました。いつしか木の根許の土は、堅く石のようになり、その木の垂れ下った大枝は折られ、木の幹の皮は剥がれて、悲惨なものになりました。そのうちに冬が来て、雪は、その木の半分を埋めてしまった。
三沢勝衛
自力更生より自然力更生へ 三澤勝衛 はじめに 次の小文は、昭和十一年の春、長野県砂防協会の第三回総会に招かれたその席上での小講演要項である。会合された方々、すなわち聴講者の内容は県庁内のその方面の方々を初め、実際各地の崩壊地において直接その方面の事業に携わって苦労されておられる技術家の方々、および直接その崩壊被害のために年々苦難されておられる長野県各地の市町
豊田喜一郎
昨年[一九三五年]十一月二十一日にトヨタ自動車が始めて形となつて皆樣の前に表はれたのでございますが、當時、私はノツピキならぬ用事のため、滿洲に旅行して居りました。廿一日東京より長文の電報を受取つた時は實に感慨無量でありました。 それから既に一年の星霜を過した今日、再び同じ樣な感に打たれる次第です。 トヨタ自動車が漸く市場に顏を見せる樣になりました。此の自動車
中谷宇吉郎
アメリカでは自動車の交通規則がやかましく、赤ランプの突破など、ひどい罰金である。 何分ああ自動車が多くては、よほど規則を嚴重にしておかなくては、到底交通の安全を期し難い。車道と人道との區別もはっきりしていて、車道には普通自動車だけしか走っていない。自轉車は、原則として人道を通ることになっている。まず乳母車並みである。 人命を非常に大切にしているので、誤って人
三木清
自己を中心に 三木清 まだ迷いはなかなか無くならないが、迷いながらもやや安心していられる年齢に私も達したように思う。 人生の上でも、仕事の上でも、私はすでに多くのことを経験してきた。そして翻って考えるとき、私はやはり自分自身に還り、その上に腰を据えてやってゆくのほかないと思う。自分を中心にして仕事をしてゆくこと、それがけっきょく社会のために尽くすことになるの
牧野信一
どういふことを書いていゝか見当が付かない。写真は笑顔を示さずに撮るのが普通だらう、そして男なら成るべく深刻気な苦味を添へて――。だが僕には、深刻もなく苦味もないから六ヶしい顔も出来ない。だがまさか笑つた顔も見せられない。それ程心が朗かでもない。「泣き笑ひ」といふ心持もない。そこで極くあたりまへになるわけだが、その落ちつきはまた持合せぬ、写真は例に過ぎない、こ
蔵原伸二郎
はからずも権威ある読売文学賞を受賞して驚くとともに、たいへんうれしく思つています。 もともと詩集『岩魚』(初版)は、飯能在住二十年を祝つてくれる意味で、飯能市の若い詩人たちが計画出版したものであります。だから、受賞などということは夢にも考えなかつただけに、ほんとうにうれしく思いましたが、全体の配列とか、バランスとかにあまりこだわらないで、なにげなく二十年も前