Vol. 2May 2026

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14,981종 중 12,504종 표시

薬局

織田作之助

薬局 織田作之助 その男は毎日ヒロポンの十管入を一箱宛買いに来て、顔色が土のようだった。十管入が品切れている時は三管入を三箱買うて行った。 敏子は釣銭を渡しながら、纒めて買えば毎日来る手間もはぶけるのにと思ったが、もともとヒロポンの様な劇薬性の昂奮剤を注射する男なぞ不合理にきまっている。然し敏子の化粧はなぜか煙草屋の娘の様に濃くなった。敏子は二十七歳、出戻っ

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薬指の曲り

田中貢太郎

――これは、私が近比知りあった医学士のはなしであります―― 私の父と云うのは、私の家へ養子に来て、医師になったものでありまして、もとは小学校の教師をしておりました。其の当時は、医師に免許状を持たした時で、それまで医師をやっていた家へは、内務省からお情け免状をくれました。で、父は祖父が亡くなりますと、其のまま家業を継いで医師になりました。 父が亡くなった時が七

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藁草履

島崎藤村

藁草履 藁草履(わらぞうり) 島崎藤村 長野県北佐久郡岩村田町大字金(かね)の手(て)の角にある石が旅人に教えて言うには、これより南、甲州街道。 この道について南へさして行くと、八つが岳(たけ)山脈の麓(ふもと)へかけて南佐久の谷が眼前(めのまえ)に披(ひら)けております。千曲川(ちくまがわ)はこの谷を流れる大河で、沿岸に住む人民の風俗方言も川下とは多少違う

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藍微塵の衣服

田中貢太郎

これは東京の芝区にあった話である。芝区の某町に質屋があって、そこの女房が五歳か六歳になる女の子を残して病死したので、所天は後妻を貰った。 後妻と云うのは、気質の従順な、何時も愉快そうな顔をしている女で、継子に対しても真の母親のような愛情を見せたので、継子も非常に懐いて、所天も安心することができた。 が、その後妻が、しばらくすると黙り込んで、あまり口数を利かな

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藍瓶

田中貢太郎

玄関の格子戸がずりずりと開いて入って来た者があるので、順作は杯を持ったなりに、その前に坐った女の白粉をつけた眼の下に曇のある顔をちょと見てから、右斜にふりかえって玄関のほうを見た。そこには煤けた障子が陰鬱な曇日の色の中に浮いていた。 「何人だろう」 何人にも知れないようにそっと引越して来て、まだ中一日たったばかりのところへ、何人がどうして知って来たのだろう、

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藤九郎の島

久生十蘭

享保四年の秋、遠州新居の筒山船に船頭左太夫以下、楫取、水夫十二人が乗組んで南部へ米を運んだ帰り、十一月末、運賃材木を積んで宮古港を出帆、九十九里浜の沖合まで来たところで、にわかの時化に遭った。海面いちめんに水霧がたち、日暮れ方のような暗さになって、房総の山々のありかさえ見わけのつかぬうちに、雷雨とともに、十丈もあろうかという逆波が立ち、未曽有の悪潮に揉まれ揉

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藤の実

寺田寅彦

藤の実 寺田寅彦 昭和七年十二月十三日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚の藤豆がはねてその実の一つが飛んで来たのであった。宅のものの話によると、きょうの午後一時過ぎから四時過ぎごろまでの間に頻繁にはじけ、それが庭の藤

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藤村いろは歌留多

島崎藤村

長いこと私は民話を書くことを思ひ立つて、未だにそれを果さずにゐますが、このいろはがるたもそんな心持から作つて見ました。私の『幼きものに』や、『ふるさと』や、『をさなものがたり』は、形こそ童話でありますが、その心持は民話に近いやうに、子供のために作つたこのいろはがるたも矢張それに近いものです。子供よ、來て遊べ、と言つて、父母も一緒に遊んで下さい。 い 犬も道を

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藤村詩抄 島崎藤村自選

島崎藤村

若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四卷をまとめて合本の詩集をつくりし時に 遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。 そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光と新聲と空想とに醉へるがごとくなりき。 うらわかき想像は長き眠りより覺めて、民俗の言葉を飾れり。 傳説はふたゝびよみがへりぬ。自然はふたゝび新し

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藤棚の陰から

寺田寅彦

藤棚の陰から 寺田寅彦 一 若葉のかおるある日の午後、子供らと明治神宮外苑をドライヴしていた。ナンジャモンジャの木はどこだろうという話が出た。昔の練兵場時代、鳥人スミスが宙返り飛行をやって見せたころにはきわめて顕著な孤立した存在であったこの木が、今ではちょっとどこにあるか見当がつかなくなっている。こんな話をしながら徐行していると、車窓の外を通りかかった二三人

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藤の瓔珞

田中貢太郎

憲一は裏庭づたいに林の方へ歩いて往った。そこは栃木県の某温泉場で、下には澄みきったK川の流れがあって、対岸にそそりたった山やまの緑をひたしていた。松杉楢などの疎に生えた林の中には、落ちかかった斜陽が微な光を投げていた。そこには躑躅が咲き残り、皐月が咲き、胸毛の白い小鳥は嫩葉の陰で囀っていた。そして、松や楢にからまりついた藤は枝から枝へ蔓を張って、それからは天

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藤の花

原民喜

運動場の白い砂の上では四十人あまりの男女が体操をしてゐた。藤棚の下で見てゐると微風が睡気を運んで来るので、体操の時間は停まったままでちっとも動かない。機械体操から墜ちて手首を挫いた豊が、ネルの着物の上に袴を穿いて、手を※帯で首から吊ってゐた。そのすぐ側には女の子が二人、やはり体操を休んでゐた。一人の女の子は髪が日向の枯草のやうに乾いてゐて、顔が年寄のやうに落

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藤野古白句集

藤野古白

明治の文学者、藤野古白(1871(明治4)年9月22日生、1895(明治28)年4月12日没)は、愛媛松山の生れ。彼が九歳の時、一家が東京に移り、成年となってからは、東京と松山を往復するようになる。幼名、久万夫、本名、潔。正岡子規とは四歳下の従弟。明治21年頃より子規の俳句サークルにて句作し、趣向や句法の斬新さで頭角をあらわす。この頃一時重い抑鬱的精神障害に

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藪の鶯

三宅花圃

藪の鶯 三宅花圃 第一回 男「アハハハハ。このツー、レデースは。パアトナアばかりお好きで僕なんぞとおどっては。夜会に来たようなお心持が遊ばさぬというのだから。 甲女「うそ。うそばかり。そうじゃござりませんけれども。あなたとおどるとやたらにお引っ張り回し遊ばすものですから……あの目がまわるようでござりますんで。そのおことわりを申し上げたのですワ。 男「まだワル

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蘆刈

谷崎潤一郎

君なくてあしかりけりと思ふにも いとゞ難波のうらはすみうき まだおかもとに住んでいたじぶんのあるとしの九月のことであった。あまり天気のいい日だったので、ゆうこく、といっても三時すこし過ぎたころからふとおもいたってそこらを歩いて来たくなった。遠はしりをするには時間がおそいし近いところはたいがい知ってしまったしどこぞ二、三時間で行ってこられる恰好な散策地でわれも

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蘆声

幸田露伴

蘆声 幸田露伴 今を距ること三十余年も前の事であった。 今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも安康の生活に浸って、朝夕を心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。 心身共に生気に充ちていたのであったから、毎日の朝を、まだ薄靄が村の田の面や畔の樹の梢を籠めているほどの夙さに起出て、そして九時か九時半かという頃ま

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蘇生

田中貢太郎

蘇生 田中貢太郎 秦郵という処に王鼎という若い男があったが、至って慷慨家で家を外に四方に客遊していた。その王鼎は十八の年に一度細君を迎えたことがあったが、間もなく病気で亡くなった。弟思いの兄の鼎が心配して、ほかから後妻を迎えようとしたが、本人が旅ばかりして家にいないので、話が纏まらない。兄は困って暫く家にいてくれと言って忠告したが、王鼎は耳に入れずにまた船に

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蘇生

豊島与志雄

蘇生 豊島与志雄 人物高木敬助………二十四歳、大学生中西省吾………二十五歳、大学生、敬助と同居人山根慶子………二十一歳、敬助の自殺せる恋人同 秋子………十八歳、慶子の妹村田八重子………二十一歳、慶子の親友、省吾と許婚の女其他――老婆(六十三歳、敬助と省吾との召使)、看護婦、医師、高橋及び斎藤(敬助の友人)、幻の人物数人 深い水底に沈んだ様な感じだった。何の音

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蘭丸の絵

牧野信一

僕等が小学校の時分に、写絵といふものが非常に流行しました。それは毒々しい赤や青の絵具で紙に色々な絵が描いてあつて、例へば武人の顔とか軍旗とか、花とか、その中で自分の気に入つた絵を切り取つて、水にぬらして腕や足に貼付け、上から着物で堅く圧えつけるのです。暫くたつて紙をそつとはがすと、その絵がそのまゝ腕に写つてしまふのです。たゞそれだけの事ですがそれをどういふも

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蘭学事始再版之序

福沢諭吉

蘭学事始の原稿は素より杉田家に存して一本を秘蔵せしに、安政二年、江戸大地震の火災に焼失して、医友又門下生の中にも曾て之を謄写せし者なく、千載の遺憾として唯不幸を嘆ずるのみなりしが、旧幕府の末年に神田孝平氏が府下本郷通を散歩の折節、偶ま聖堂裏の露店に最と古びたる写本のあるを認め、手に取りて見れば紛れもなき蘭学事始にして、然かも斎先生の親筆に係り門人大槻磐水先生

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蘭学事始再版序

福沢諭吉

蘭学事始の原稿は素より杉田家に存して一本を秘蔵せしに、安政二年江戸大地震の火災に焼失して、医友又門下生の中にも曾て之を謄写せし者なく、千載の遺憾として唯不幸を嘆ずるのみなりしが、旧幕府の末年に神田孝平氏が府下本郷通を散歩の折節、偶ま聖堂裏の露店に最と古びたる写本のあるを認め、手に取りて見れば紛れもなき蘭学事始にして、然かも斎先生の親筆に係り、門人大槻磐水先生

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蘿洞先生

谷崎潤一郎

A雑誌の訪問記者は、蘿洞先生に面会するのは今日が始めてなのである。それで内々好奇心を抱いて、もうさっきから一時間以上も待っているのだが、なか/\先生は姿を見せない。取次に出た書生の口上では「まだお眼覚めになりませんから」と云うことだった。寝坊な人だとは記者もかね/″\聞いていたから、その積りで来たのだけれど、何ぼ何でも既に十二時半である。三月末の、彼岸桜が咲

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久米正雄

新派俳優の深井八輔は、例もの通り、正午近くになつて眼を覚した。戸外はもう晴れ切つた秋の日である。彼は寝足りた眼をわざとらしくしばたゝいて、障子の硝子越しに青い空を見やると、思ひ切つて一つ大きな伸びをした。が、ふと其動作が吾乍ら誇張めいてゐるのに気がつくと、平常舞台での大袈裟な表情が、此処まで食ひ込んでゐるやうな気がして、思はず四辺を見巡し乍ら苦笑した。彼は俳

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虎媛

田中貢太郎

虎媛 田中貢太郎 明の末の話である。中州に焦鼎という書生があって、友達といっしょにの上流へ往ったが、そのうちに清明の季節となった。その日は家々へ墓参をする日であるから、若い男達はその日を待ちかねていて、外へ出る若い女達を見て歩いた。焦生も友達といっしょに外へ出る若い女を見ながら歩いていたが、人家はずれの広場に人だかりがしているので、何事だろうと思って往ってみ

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