蝉の子守唄
島崎藤村
ねん/\よ。おころりよ。ころ、ころ、ころ、ころ、おころりよ。ねん/\よ。おころりよ。おゝしいつく/\、ねんねしな。ねん/\よ。おころりよ。みん、みん、みん、みん、ねんねしな。ねん/\よ。おころりよ。かな、かな、かな、かな、ねんねしな。ねん/\よ。おころりよ。めんめが覚めたら、何あげよ。おつぱい、おつぱい、おいしいおつぱい。好い兒の坊やのおいしいおつぱい。 お
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島崎藤村
ねん/\よ。おころりよ。ころ、ころ、ころ、ころ、おころりよ。ねん/\よ。おころりよ。おゝしいつく/\、ねんねしな。ねん/\よ。おころりよ。みん、みん、みん、みん、ねんねしな。ねん/\よ。おころりよ。かな、かな、かな、かな、ねんねしな。ねん/\よ。おころりよ。めんめが覚めたら、何あげよ。おつぱい、おつぱい、おいしいおつぱい。好い兒の坊やのおいしいおつぱい。 お
高村光太郎
蝉の美と造型 高村光太郎 私はよく蝉の木彫をつくる。鳥獣虫魚何でも興味の無いものはないが、造型的意味から見て彫刻に適するものと適さないものとがある。私は虫類に友人が甚だ多く、バッタ、コオロギ、トンボ、カマキリ、セミ、クモの類は親友の方であり、カマキリの三角あたまなどには殊に愛着を感じ、よく自分の髪の毛を抜いて彼に御馳走する。カマキリは人間の髪の毛が非常に好き
坂口安吾
凡そ世に同じ人間は有り得ないゆえ、平凡な人間でもその種差に観点を置いて眺める時は、往々、自分は異常な人格を具へた麒麟児であると思ひ込んだりするものである。殊に異常を偏重しがちな芸術の領域では、多少の趣味多少の魅力に眩惑されてウカウカと深入りするうちに、遂には性格上の種差を過信して、自分は一個の鬼才であると牢固たる診断を下してしまふことが多い。夢は覚めない方が
小川未明
私は一人の蝋燭造を覚えている。その町は海に近い、北国の寂しい町である。町は古い家ばかりで、いずれも押し潰されたように軒の低い出入の乱れた家数の七八十戸もある灰色の町である。名を兵蔵といって脊の高い眉の濃い、いつも鬱いだ顔付をして物を言わぬ男である。彼の妻は小柄の、饒舌る女で、眼尻が吊上っていた。子供に向ってもがみがみ叱る性質で、一人の清吉という息子があったが
佐藤春夫
僕は去年の今ごろ、台湾の方へ旅行をした。 台湾というところは無論「はなはだ暑い」だが、その代り、南の方では夏中ほとんど毎日夕立があって夜分には遠い海を渡っていい風が来るので「なかなか涼しい」だ。夕立の後では、ここ以外ではめったに見られないようなくっきりと美しい虹が、空いっぱいに橋をかける。その丸い橋の下を、白鷺が群をして飛んでいる。いろいろな紅や黄色の花が方
桜間中庸
ひつそり 蝙蝠を待つてた 草の葉は 夜露にぬれてた そつと高く 投げた草履 蝙蝠が 落ちたやうだぞ まがきの向の 細い音 まがきを つんとのぞいたら 酸つぱい 花の香が泌みた ●図書カード
佐藤春夫
あるところに一匹のコーモリがいた。それはオモチャで、ボール紙を切り抜いてその上に紫いろのアートペーパーがはりつけてあった。そして小さなゼンマイ仕掛でバタバタと飛ぶように出来ていた。 ところがある日、このコーモリがどうしたのか、それをこしらえた職人の店へ帰って来た。それは街に青い瓦斯燈がまたたき出した頃で、職人がその一日の仕事を終えてその木の馬や鳥や、それから
片山広子
蝙蝠の歴史 片山廣子 古いゲエルの伝説に出てくる蝙蝠の話を読むと、昔の昔から彼はきらはれものであつたらしい。蝙蝠にはいろいろの名があつたらしいが「黒い放浪者」といふのが一ばん詩的な名だとその伝説の筆者は書いてゐる。 世界の初めごろ蝙蝠は川蝉のやうに青い色で、胸は燕のやうに白く、そしてうるほひ深い大きな眼を持つてゐたから、その眼の色とひらめく羽根のうごきとで「
喜田貞吉
我が群島國の先住種族中、石器を使用して、其遺蹟を後世に遺せるものは何なりやとの疑問に對して解决を與ふる諸説の中、最も多數なるは、之を蝦夷なりとするものと、之を蝦夷とは別種なるコロボツクルなりとするものとの兩説なり。其他肅愼人説、土蜘蛛説などあれども、比較的、賛成者少し。而して蝦夷説を唱ふる學者中最も有力なるは、言ふ迄もなく小金井博士にして、コロボツクル説を採
豊島与志雄
蝦蟇 豊島与志雄 五月頃から私の家の縁先に、大きい一匹の蝦蟇が出た。いつも夕方であった。風雨の日や、妙に仄白く暮れ悩んだ日や、月のある夕方などには、出なかった。夕闇が濃く澱んでいる時や、細かい雨がしとしと降る時などに、出た。垣根に沿ってのそりのそりと匐っていった。それが如何にも悠然としていた。静かであった。そして大きい力に満ちていた。 夕食が少し後れたような
正岡子規
蝶 正岡子規 のぼる○空はうらゝかに風はあたゝかで、今日は天上に神様だちの舞踏会のあるといふ日の昼過、白い蝶と黄な蝶との二つが余念無く野辺に隠れんぼをして遊んで居る。今度は白い蝶の隠れる番で、白い蝶は百姓家の裏の卯の花垣根に干してある白布の上にちよいととまつて静まつて居ると、黄な蝶はそこらの隅々を探して、釣瓶の中や井の中を見たが何処にも居らんので稍失望した様
萩原朔太郎
この詩集には、詩六十篇を納めてある。内十六篇を除いて、他はすべて既刊詩集にないところの、單行本として始めての新版である。 この詩集は「前篇」と「後篇」の二部に別かれる。前篇は第二詩集「青猫」の選にもれた詩をあつめたもの、後篇は第一詩集「月に吠える」の拾遺と見るべきである。即ち前篇は比較的新しく後篇は最も舊作に屬する。 要するにこの詩集は私の拾遺詩集である。し
久生十蘭
終戦から四年となると、復員祝いも間のぬけた感じだったが、山川花世の帰還が思いがけなかったせいか、いろいろな顔が集まった。主人役の伊沢元仏蘭西領事と山川の教え子だった伊沢の細君の安芸子、須田理学士、貿易再開で近くリヨンに行く森川組の笠原忠兵衛、シンガポールの戦犯裁判で、弁護団側のマレー語の通訳をしていた岩城画伯などがやってきたが、定刻をすぎても、当の山川はあら
牧野信一
いま時分に、まだ花のあるところなんてあるのかしら? ――はじめて来た方角には違ひないのだが、案外だ! この様子を見ると何処か途中にでも花見の場所があるのらしいが、どうも妙だ! 何処の花だつて、もうとうに散つてゐる筈だが――花見と云つても、あの時のは芝居見物のことだつたが、あれに誘はれたのはやがてもう一ト月も前になるぢやないか! あの頃が、それでも田舎よりはい
河井寛次郎
戦争も終りに近づいた頃でありました。東京も大阪も神戸も都市という都市が、大抵やっつけられてしまいまして、やがてはこの京都も、明日ともいわず同じ運命を待つ外ない時でありました。 私は毎日のように夕方になるとこの町に最後の別れをするために、清水辺りから阿弥陀ヶ峰へかけての東山の高見へ上っていました。 その日もまた、警報がひんぱんに鳴っていた日でありました。私は新
原民喜
秋も大分深くなって、窓から見える芋畑もすっかり葉が繁った。田中氏は窓際の机に凭って朝食後の煙草を燻して、膝の上に新聞を展げてゐた。さうしてゐると、まだ以前の習慣が何処かに残ってゐるやうで、出勤前のそはそはした気持になるのだった。 今、湯殿では妻が洗濯してゐる音が聞える、彼は不意とその方へ声が掛けたくなる衝動を抑へて、静かにぢっと耳を澄ました。すると気の所為か
喜田貞吉
この小冊子はいかにして融和を促進すべきかということを主として説述したもので、いわゆる特殊部落民なるものは、決して普通部落民と筋の違ったものではなく、ただ昔の落伍者のある者が、その択んだ職業によって、当時の社会の迷信と、階級的意識の犠牲となったにほかならぬということを述べたに止どまり、私の特に宣伝したいと思うところの、歴史的の説明にはあまり多く及ぶことができま
喜田貞吉
この小冊子は昨年「融和促進」を発行しました際の予約に基づいて、もっぱらいわゆる特殊部落の由来変遷を述べたものであります。今もなお往々にして存する差別観念は、まったく因習から導かれた感情の結果でありまして、もはや議論の余地はありません。したがって議論ではなるほどと承認して、表面差別待遇をしなくなりましても、因習の根本たる歴史が明らかになっていなかったならば、い
中谷宇吉郎
北海道に前から住んでいた人は、よく昔はもっとずっと寒くて、雪もたくさん降った。札幌市内の大通りで遭難した人があったくらいだが、この近年は冬が非常に暖くなった、という話をする。 私なども、そういう印象を受けているが、一番の原因は、煖房設備や防寒裝備が良くなったので、寒さにそう苦しめられなくなったのだろうと思う。しかし氣温自身も、今世紀にはいって、徐々に昇りつつ
北原白秋
夏の昼間の ひきがへる、 そなたは、なんで さびしいぞ。 白い女の 指さきで、 刺され、突かれて うれしいか。 夏の昼間の ひきがへる、 海鼠色した ひきがへる。 金の指輪に、 肢が切れて、 血でも出したら 何とする。 夏の昼間の ひきがへる、 海鼠色した ひきがへる。 ●図書カード
田中貢太郎
蟇の血 田中貢太郎 三島讓は先輩の家を出た。まだ雨が残っているような雨雲が空いちめんに流れている晩で、暗いうえに雨水を含んだ地べたがじくじくしていて、はねあがるようで早くは歩けなかった。そのうえ山の手の場末の町であるから十時を打って間もないのに、両側の人家はもう寝てしまってひっそりとしているので、非常に路が遠いように思われてくる。で、車があるなら電車まで乗り
田中貢太郎
三島譲は先輩の家を出た。まだ雨が残つてゐるやうな雨雲が空いちめんに流れてゐる晩で、暗い上に雨水を含んだ地べたがジクジクしてゐて、はねがあがるやうで早くは歩けなかつた。その上、山の手の場末の町であるから十時を打つて間もないのに、両側の人家はもう寝てしまつてひつそりとしてゐるので、非常に路が遠いやうに思はれて来る。で、車があるなら電車まで乗りたいと思ひ出したが、
新美南吉
蟹のしょうばい 新美南吉 蟹がいろいろ考えたあげく、とこやをはじめました。蟹の考えとしてはおおできでありました。 ところで、蟹は、 「とこやというしょうばいは、たいへんひまなものだな。」 と思いました。と申しますのは、ひとりもお客さんがこないからであります。 そこで、蟹のとこやさんは、はさみをもって海っぱたにやっていきました。そこにはたこがひるねをしていまし
田中貢太郎
蟹の怪 田中貢太郎 お種は赤い襷をかけ白地の手拭を姉様冠りにして洗濯をしていた。そこは小さな谷川の流れが岩の窪みに落ち込んで釜の中のようになった処であった。お種は涼しいその水の上に俯向いて一心になって汚れ物を揉んでいた。 そこは土佐の高岡郡、その当時の佐川領になった長野から戸波へ越す日浦坂の麓であった。そして、お種の洗濯している谷川の流れは、日浦坂の上にある