裸虫抄
牧野信一
横須賀にゐる妹(彼の妻の)のところで、当分彼の息子をあづかりたいと云つて寄越したのである。子供のない慎ましい夫婦暮しで、文学の本ばかり読んでゐる妹であつた。彼の息子は、彼が転地療養をすることになつたが、学校の都合で東京の親戚にのこつてゐた。 「トモ子のところなら安心だわ。トモ子はだらしがないけれど、ひとのことには親切だし、それに朝雄さんが責任の強い人だし。」
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牧野信一
横須賀にゐる妹(彼の妻の)のところで、当分彼の息子をあづかりたいと云つて寄越したのである。子供のない慎ましい夫婦暮しで、文学の本ばかり読んでゐる妹であつた。彼の息子は、彼が転地療養をすることになつたが、学校の都合で東京の親戚にのこつてゐた。 「トモ子のところなら安心だわ。トモ子はだらしがないけれど、ひとのことには親切だし、それに朝雄さんが責任の強い人だし。」
野村胡堂
「姐御」 「シッ、そんな乱暴な口を利いてはいけない」 「成程、今じゃ三千石取のお旗本のお部屋様だっけ、昔の積りじゃ罰が当らア」 芸人風の若い男は、ツイと庭木戸を押し開けて植込の闇の中へ中腰に潜り込みました。 迎えたのは、二十一二の不思議な美しい女です。 武家風にしては、少し派手な明石縮の浴衣、洗い髪を無造作に束ねて、右手の団扇をバタバタと、蚊を追うともなく、
宮沢賢治
もろの崖より たゆみなく 朽ち石まろぶ 黒夜谷 鳴きどよもせば 慈悲心鳥の われにはつらき 睡りかな 榾組み直し ものおもひ ものうちおもひ 榾組みて はやくも東 谷のはて 雲にも朱の 色立ちぬ ●図書カード
ディモフオシップ
襟二つであった。高い立襟で、頸の太さの番号は三十九号であった。七ルウブル出して買った一ダズンの残りであった。それがたったこの二つだけ残っていて、そのお蔭でおれは明日死ななくてはならない。 あの襟の事を悪くは言いたくない。上等のオランダ麻で拵えた、いい襟であった。オランダと云うだけは確かには分からないが、番頭は確かにそう云った。ベルリンへ来てからは、廉いので一
樋口一葉
をかしかるべき世を空蝉のと捨て物にして今歳十九年、天のなせる麗質、をしや埋木の春またぬ身に、青柳いと子と名のみ聞ても姿しのばるゝ優しの人品、それも其筈昔しをくれば系圖の卷のこと長けれど、徳川の流れ末つかた波まだ立たぬ江戸時代に、御用お側お取次と長銘うつて、席を八萬騎の上坐に占めし青柳右京が三世の孫、流轉の世に生れ合はせては、姫と呼ばれしことも無けれど、面影み
原民喜
私は焼跡から埋めておいた小さな火鉢を掘出したが、八幡村までは持って帰れないので姉の家にあずけておいた。冬を予告するような木枯が二三日つづいた揚句、とうとう八幡村にも冬がやって来た。洗濯ものを川に持って行って洗うと指が捩げそうに冷たい。火鉢のない二階でひとり蹲っているうち、私の掌には少年のように霜焼が出来てしまった。年が明けて正月を迎えたが、正月からして飢えた
津田真道
余ガ故男爵西周君ト相識リシハ、初メテ蕃書調所教授手伝並タリシ日ニアリ。爾来交情親善、曾テ調所内ノ一宇ヲ借リ君ト同居シ、又同シク下谷ニ住シ、後和蘭国ニ留学ノ日亦同シク霊田ニ住シ、霊田大学法学教授法学博士ヒツスセリング氏ニ就テ欧洲政学ノ要ヲ聞キ、余暇互ニ議論ヲ闘ハシタリ。但君ハカント派ノ哲学ヲ喜ビ余ハコムト氏ノ実学ヲ好メリ。故ニ円鑿方、論相ハサルノ憾ヲ免レザリキ
加藤弘之
拝啓。今般亡尊大人之御履歴御編纂之上御出版可被成ニ付、小生ニモ一言可致旨来諭之旨承知仕候。然るに尊大人之性行学識并功績等ハ世之既ニ知ル所ニ有之、又未タ知らさる者ハ御編纂之書ニ而概略ヲ知ルヲ得ル事ト為シ候而、今更小生之喋々ヲ要セサル事ト為し、唯一言申上度ハ、小生ハ尊大人之三十余歳、小生之二十四五歳之頃ヨリ御懇意ヲ受ケ、殆ト四十年間交情渝ラス常ニ兄事シテ、学事上
北大路魯山人
五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、 「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸か
薄田泣菫
西大寺の伎藝天女 薄田泣菫 私は西大寺をたづねて、一わたり愛染堂の寶物を見終つた。 「寶物はもうこれでお終ひどす。」 と、ぶつきら棒に言ひすてたまま、年つ喰ひの、ちんちくりんな西大寺の小僧は、先へ立つてさつと廊下へ出掛けて行つたが、つとまた後がへりをして、 「あ、忘れとりました。此處におゐでやすのが、伎藝天女さんどす。」 薄闇い片隅に向き直つて、小生意氣に大
坂口安吾
西東 坂口安吾 路上で煙次郎と草吉が出会つた。草吉は浮かない顔付であつた。 「どうした? 顔色が悪いな。胃病か女か借金か?」 「数々の煩悶が胸にあつてね、黙つてゐると胸につかへて自殺の発作にかられるのだ。誰かをつかまへて喋りまくらうと思つてゐたが、君に出会つたのは、けだし天祐だな」 「いやなことになつたな」 「十日前の話だが、役所からの帰るさ図らずも霊感の宿
久生十蘭
冬木が縁の日向に坐って、懐手でぼんやりしているところへ、俳友の冬亭がビールと葱をさげてきて、今日はツル菜鍋をやりますといった。 「ツル菜鍋とは変ってるね」 「ツル菜じゃない、鶴……それも、狩野流のリウとした丹頂の鶴です。鶴は千年にして黒、三千年にして白鶴といいますが、白く抜けきらないところがあるから、二千五百年くらいのやつでしょう」 「そんなものなら自慢する
夏目漱石
西洋にはない 夏目漱石 俳諧の趣味ですか、西洋には有りませんな。川柳といふやうなものは西洋の詩の中にもありますが、俳句趣味のものは詩の中にもないし、又それが詩の本質を形作つても居ない。日本獨特と言つていゝでせう。 一體日本と西洋とは家屋の建築裝飾なぞからして違つて居るので、日本では短冊のやうな小さなものを掛けて置いても一の裝飾になるが、西洋のやうな大きな構造
三遊亭円朝
西洋の丁稚 三遊亭円朝 エー若春の事で、却つて可笑みの落話の方が宜いと心得まして一席伺ひますが、私は誠に開化の事に疎く、旧弊の事ばかり演つて居りますと、或る学校の教員さんがお出でで、お前はどうも不開化の事ばかり云つて居るが、どうか然うなく開化の話をしたら宜からう、西洋の話をした事があるかと仰しやいました、左様でございます、マア続いた事は西洋のお話もいたしまし
岸田国士
西洋映画は何故面白いか? 岸田國士 かういふ問題はどういふ範囲の人々に興味があるかわからぬが、本誌「トツプ」の読者は、映画の専門家でないにしても、相当高級映画フアンであらうと思ふし、さうなら、日本映画の優秀作が、西洋の普通の水準にまで達してゐないことを万々気付いてをられる筈であるから僕と一緒にひとつこの問題を考へていただきたい。 今はそんなことを実際に考へて
中谷宇吉郎
アルゼンチンから来ている氷河学者から、南米インディアンの料理の話を聞いた。クラントウというのだそうで、原理からいえば、鯛の浜焼のようなものであって、別に珍しい話ではないかもしれないが、ただ規模の大きいところが、ちょっと変っている。これは野外で、大勢の仲間があつまって食事をする場合に限られている。アルゼンチンの草原の広々としたところが舞台である。 まず地面に大
スミスコードウェイナー
一人の火星人と 三人の共産主義者の 出任せ話でございます 火星人は御影石の小さな断崖の上に座っていた。そよ風を楽しめるように小ぶりな樅の木の形態を取っている。尖った常緑樹の葉の間を風が気持ちよく吹いていった。 崖下に一人のアメリカ人が立っていた。火星人が目にした初めてのアメリカ人である。 アメリカ人はポケットから魅惑的なまでに巧妙な装置を取り出した。金属製の
野上豊一郎
「西洋見學」はしがき 野上豐一郎 昭和十三年(一九三八年)十月一日、郵船靖國丸でヨーロッパへ向つて神戸を出帆し、翌十四年(一九三九年)十一月十八日、郵船淺間丸でアメリカから横濱に入港した。 旅行の目的は、イギリスの諸大學で、交換教授として、能の藝術理論を中心として日本文化の特質について講義することであつた。講義したのは、ケインブリヂ、オクスフォド、ロンドン、
田中貢太郎
西湖主 田中貢太郎 陳弼教は幼な名を明允といっていた。燕の人であった。家が貧乏であったから、副将軍賈綰の秘書になっていた。ある時賈に従って洞庭に舟がかりをしていると、たまたま大きな猪婆龍が水の上に浮いた。賈はそれを見て弓で射た。矢はその背に中った。他に小さな魚がいて龍のしっ尾を銜んで逃げなかった。そこで龍とその魚を獲って、じょうをおろして帆柱の間に置いてあっ
海野十三
西湖の屍人 海野十三 1 銀座裏の酒場、サロン船を出たときには、二人とも、ひどく酩酊していた。 私は私で、黄色い疎らな街燈に照らしだされた馴染の裏街が、まるで水の中に漬っているような気がしたし、帆村のやつは帆村のやつで、黒いソフトを名猿シドニーのように横ちょに被り、洋杖がタンゴを踊りながら彼の長い二本の脛をひきずってゆくといった恰好だった。 私はそれでも、ロ
国枝史郎
私の負傷は癒えなかったけれど、故郷を出てから六月目に、それでもマドリッドへ帰って来た。 私は誰にも逢わなかった。又逢いたいとも思わなかった。しかし、親友のドン・ムリオだけには逢って見たいような気持がした。 「カスピナに逢うのも悪くはない。私は誰でも構わない。慰めてくれる人が欲しいのだ」 ドン・ムリオの一人の妹、十九のカスピナが久しい前から、私を愛してくれてい
佐藤春夫
フラテ(犬の名)は急に駆け出して、蹄鍛冶屋の横に折れる岐路のところで、私を待っている。この犬は非常に賢い犬で、私の年来の友達であるが、私の妻などは勿論大多数の人間などよりよほど賢い、と私は信じている。で、いつでも散歩に出る時には、きっとフラテを連れて出る。奴は時々、思いもかけぬようなところへ自分をつれてゆく。で近頃では私は散歩といえば、自分でどこへ行こうなど
永井荷風
持てあます西瓜ひとつやひとり者 これはわたくしの駄句である。郊外に隠棲している友人が或年の夏小包郵便に托して大きな西瓜を一個饋ってくれたことがあった。その仕末にこまって、わたくしはこれを眺めながら覚えず口ずさんだのである。 わたくしは子供のころ、西瓜や真桑瓜のたぐいを食うことを堅く禁じられていたので、大方そのせいでもあるか、成人の後に至っても瓜の匂を好まない
岡本綺堂
西瓜 岡本綺堂 一 これはM君の話である。M君は学生で、ことしの夏休みに静岡在の倉沢という友人をたずねて、半月あまりも逗留していた。 倉沢の家は旧幕府の旗本で、維新の際にその祖父という人が旧主君の供をして、静岡へ無禄移住をした。平生から用心のいい人で、多少の蓄財もあったのを幸いに、幾らかの田地を買って帰農したが、後には茶を作るようにもなって、士族の商法がすこ