赤倉
中谷宇吉郎
白樺の一本見えて妙高の 野ははろばろと雲につづけり 妙高のふもと三里の高原 赤倉の野は雲につづく 夕べ静かなるおもいを抱いて わたしは野におり立って見る 茅の間に踏みわけられた径が いつ迄も続いて 所々が灌木の叢にかくされている 風にそよぐ二本の白樺 そのたよやかな幹によれば 「肌は真白にわがおもいに似たり」と 北信の山に育った 友の言葉も浮ばれてくる 昨年
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中谷宇吉郎
白樺の一本見えて妙高の 野ははろばろと雲につづけり 妙高のふもと三里の高原 赤倉の野は雲につづく 夕べ静かなるおもいを抱いて わたしは野におり立って見る 茅の間に踏みわけられた径が いつ迄も続いて 所々が灌木の叢にかくされている 風にそよぐ二本の白樺 そのたよやかな幹によれば 「肌は真白にわがおもいに似たり」と 北信の山に育った 友の言葉も浮ばれてくる 昨年
田中貢太郎
永禄四年の夏のことであった。夕陽の落ちたばかりの長良川の磧へ四人伴の鵜飼が出て来たが、そのうちの二人は二羽ずつの鵜を左右の手端にとまらし、後の二人のうちの一人は艪を肩にして、それに徳利や椀などを入れた魚籃を掛け、一人は莚包を右の小脇に抱え、左の小脇に焼明の束を抱えていた。皆同じように襤褸襦袢を一枚着て腰簔をつけていたが、どこか体のこなしにきりっとしたところが
小川未明
釣りの道具を、しらべようとして、信一は、物置小舎の中へ入って、あちらこちら、かきまわしているうちに、あきかんの中に、紙につつんだものが、入っているのを見つけ出しました。 「なんだろうか。」 頭を、かしげながら、ほこりに、よごれた紙を、あけてみると、べいごまが、六つばかり入っていました。信一は、急になつかしいものを、見いだしたようにしばらくそれに見入っていまし
国枝史郎
赤坂城の謀略 国枝史郎 一 (これは駄目だ) と正成は思った。 (兵糧が尽き水も尽きた。それに人数は僅か五百余人だ。然るに寄手の勢と来ては、二十万人に余るだろう。それも笠置を落城させて、意気軒昂たる者共だ。しかも長期の策を執り、この城を遠征めにしようとしている。とうてい籠城は覚束ない) そこで、正成は将卒をあつめ、しみじみとした口調で申し渡した。 「この間は
種田山頭火
赤い壺 種田山頭火 『あきらめ』ということほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽して後に初めて許される『魂のおちつき』である。 私は酒席に於て最も強く自己の矛盾を意識する、自我の分裂、内部の破綻をまざまざと見せつけられる。酔いたいと思う私と酔うまいとする私とが、火と水とが叫ぶように、また神と悪魔とが戦うように、私
種田山頭火
赤い壺(三) 種田山頭火 物を弄ぶのはその物の真髄を知らないからである。理解は時として離反を齎らすけれど、断じて玩弄というような軽浮なものを招かない。 鏡を持たない人は幸福である。その人は自分が最も美しいと信じきっている。私はそういう見すぼらしい幸福を観るにも堪えない。 自己を愛するということは自己に侫ねることではない、自己に寛大であることではない。真に自己
種田山頭火
赤い壺(二) 種田山頭火 自分の道を歩む人に堕落はない。彼にとっては、天国に昇ろうとまた地獄に落ちようとそれは何でもない事である、道中に於ける夫々の宿割に過ぎない。 優秀な作品の多くは苦痛から生れる。私は未だ舞踏の芸術を解し得ない。私は所謂、法悦なるものを喋々する作家の心事を疑う。此意味に於て、現在の私は『凄く光る詩』のみを渇望している。 涙が涸れてしまわな
海野十三
赤外線男 海野十三 1 この奇怪極まる探偵事件に、主人公を勤める「赤外線男」なるものは、一体全体何者であるか? それはまたどうした風変りの人間なのであるか? 恐らくこの世に於て、いまだ曾て認識されたことのなかった「赤外線男」という不思議な存在――それを説明する前に筆者は是非とも、ついこのあいだ東都に起って、もう既に市民の記憶から消えようとしている一迷宮事件に
小川未明
ある国に美しいお姫さまがありました。いつも赤い着物をきて、黒い髪を長く垂れていましたから、人々は、「赤い姫君」といっていました。 あるときのこと、隣の国から、お姫さまをお嫁にほしいといってきました。お姫さまは、その皇子をまだごらんにならなかったばかりでなく、その国すら、どんな国であるか、お知りにならなかったのです。 「さあ、どうしたものだろうか。」と、お姫さ
小泉八雲
ひと目惚れは日本では西洋ほどありふれたものではない。一つには東洋社会の特有の構造のためであり、もう一つには恋愛にまつわる多くの不幸は親が取決める早婚によって未然に防がれているからである。しかし他方で、情死がしばしば起っているが、そこにはほとんどつねに二人一緒になされているという特徴がある。これらの多くの場合は不適切な関係つまり道ならぬ恋の結末であるといえよう
小川未明
だんだん寒くなるので、義雄さんのお母さんは精を出して、お仕事をなさっていました。 「きょうのうちに、綿をいれてしまいたいものだ。」と、ひとりごとをしながら、針を持つ手を動かしていられました。 秋も深くなって、日脚は短くなりました。かれこれするうちに、はや、晩方となりますので、あちらで、豆腐屋のらっぱの音がきこえると、お母さんの心は、ますますせいたのでありまし
小川未明
独りものの平三は、正直な人間でありましたが、働きがなく、それに、いたって無欲でありましたから、世間の人々からは、あほうものに見られていました。 「あれは、あほうだ。」と、いわれると、それをうち消すもののないかぎり、いつしか、そのものは、まったくあほうものにされてしまうばかりでなく、当人も、自分で自分をあほうと思いこんでしまうようになるものです。平三も、その一
小川未明
お花が、東京へ奉公にくるときに、姉さんはなにを妹に買ってやろうかと考えました。二人は遠く離れてしまわなければなりません。お花は、まだ見ないにぎやかな、美しいものや、楽しいことのたくさんある都へゆくことは、なんとなくうれしかったけれど、子供の時分から、親しんだ、林や、野や、自分の村に別れることが悲しかったのです。 姉は、かつて、自分も一度、都へいってみたいと心
国枝史郎
まだ真夜中にはなっていなかった。 が、豪奢なウッドワードのアパートに漲る深々たる夜の静寂は、泥棒猫のようにこっそり忍び込んだスパイダー・マッコイの亢奮した神経を針のように尖らせた。ゴム底の靴は歩く度に高価な絨氈の中に深々と沈み、彼の熟練した眼には夜目にも素晴しい調度品が感じられた。室から室を忍び歩く足の感じと時折照す懐中電燈の光だけで、スパイダーは家の中の様
小川未明
政雄は、姉さんからこさえてもらいました、赤い毛糸の手袋を、学校から帰りに、どこでか落としてしまったのです。 その日は、寒い日で、雪が積もっていました。そして、終日、空は曇って日の光すらささない日でありましたが、みんなは元気で、学校から帰りに、雪投げをしたり、また、あるものは相撲などを取ったりしたので、政雄も、いっしょに雪を投げて遊びました。そのとき、手袋をと
国枝史郎
僕達夫妻が支那見物をするべく秩父丸で神戸を出帆したのは四月の十九日の正午だった。一等船客を、秩父丸は一万七千頓で、米国通いの船の中でも特に優秀なものだそうだが随分よかった。 同勢は二十三人だった。 本来僕は、この船で上海などへ行くより先に、大連へ行かなければならなかったのだ。と云うのは大連の満洲日報社との取引関係があったから。 僕も然うしようかと思っていた矢
北条民雄
都美は、このごろ、夕暮になると、その少年に逢ひに行くのが、癖になつて、少年に逢はない日は、ホツケスに逢ふのも、嫌になつてしまつた。もともとホツケスが嫌ひではないのだが、西と東の感情の相違のために、その抱擁に全身をもつて、飛び込むには今一歩といふ心の焦立つ何かがあつた。それが彼女を淋しくした。三十に近くなつて、強烈なホツケスの愛情に身を任せながら、日本的な優し
槙本楠郎
貧しい子供たちよ。 おぢさんは、みんなが大へん可愛い。この本は君たちに讀んでもらひ、歌つてもらうために書いたのだ。金持の子供なんか讀まなくたつていい。 おぢさんは君たちのお父さんやお母さんと同じやうに貧乏だ。そして君たちのやうな元氣な可愛い子供を持つてゐる。去年は六つになるスミレといふ女の子を一人亡くした。それはおぢさんが貧乏なために、金持の子のやうに大切に
堺利彦
赤旗事件の回顧 堺利彦 回顧すれば、すでにほとんど二〇年の昔である。何かそれについて書けと言われる。今さらながら自分の老いを感ぜざるをえない。昔語りは気恥ずかしくもある。しかし、それも一興として、あるいは多少の参考として、読んでくれる人も無いではあるまい。しばらく昔の夢に遊んでみる。 神田錦町の錦輝館(きんきかん)の二階の広間、正面の舞台には伊藤痴遊君が着席
国枝史郎
赤格子九郎右衛門 国枝史郎 一 江川太郎左衛門、名は英竜、号は坦庵、字は九淵世々韮山の代官であって、高島秋帆の門に入り火術の蘊奥を極わめた英傑、和漢洋の学に秀で、多くの門弟を取り立てたが、中に二人の弟子が有って出藍の誉を謳われた。即ち、一人は川路聖謨、もう一人は佐久間象山であった。象山の弟子に吉田松陰があり、松陰の弟子には伊藤、井上、所謂維新の元勲がある。
国枝史郎
赤格子九郎右衛門の娘 国枝史郎 何とも云えぬ物凄い睨視! 海賊赤格子九郎右衛門が召捕り処刑になったのは寛延二年三月のことで、所は大阪千日前、弟七郎兵衛、遊女かしく、三人同時に斬られたのである。訴え人は駕籠屋重右衛門。実名船越重右衛門と云えば阿波の大守蜂須賀侯家中で勘定方をしていた人物、剣道無類の達人である。 係りの奉行はその時の月番東町奉行志摩長門守で捕方与
ドイルアーサー・コナン
友人シャーロック・ホームズを、昨年の秋、とある日に訪ねたことがあった。すると、ホームズは初老の紳士と話し込んでいた。でっぷりとし、赤ら顔の紳士で、頭髪が燃えるように赤かったのを覚えている。私は仕事の邪魔をしたと思い、詫びを入れてお暇しようとした。だがホームズは不意に私を部屋に引きずり込み、私の背後にある扉を閉めたのである。 「いや、実にいい頃合いだ、ワトソン
田中貢太郎
長野県の上田市にある上田城は、名将真田幸村の居城として知られているが、その上田城の濠の水を明治初年になって、替え乾そうと云う事になった。そして、いよいよその日になると、附近の人びとは好奇心に駆られて、早朝から手伝いやら見物やらで押しかけて来た。 その日は朝からからっと晴れた好天気で、気候も初夏らしく温い日だったので、人びとはお祭り騒ぎで替え乾をはじめた。その
楠山正雄
赤い玉 楠山正雄 一 これも大国主命が、八千矛をつえについて、国々をめぐって歩いておいでになる時のことでした。ある時摂津国の難波の津までおいでになりますと、見慣れない神さまが、海を渡って向こうからやって来ました。命が、 「あなたはだれです。」 とお聞きになりますと、その神さまは、 「わたしは新羅の国からはるばる渡って来た天日矛命というものです。どうぞこの国の